眠りは自然とやってくる

どうすれば眠ることができる?
方法はひとつ
何もしないことだ

これはよく言われることで
不眠症で悩む人は多くの手段を講じる
だが「眠り」とは
突然起こる出来事に
身を委ねること
すなわち、何もしない
何もできない

だから不眠症のひとは
根本的に間違っている
どうすれば眠れるか
眠るためにどんな労力も惜しまない
眠れなければ気が狂う
それは大変だ
だから必死にその方法を探し求める
だけども
求めれば求めるほど
眠りは訪れない

これは世界に溶ける瞬間と同じ
あなたが何もしないとき
そこには世界や睡眠がある

そしてもうひとつ話をしよう

あなたがスピリチュアルの教えに習い
「いまに在る」ことを意識しているとする
思考を客観的に眺め
ただ「いま」を感じ続ける

だが電話が鳴る
家族が話しかける

あなたは瞬時に思考の枠へと入り込む
入り込んでいることに気が付かない
後で気が付くのだ
おっとこれはいけない、とね

ここにヒントがある
思考に瞬時に入り込むとき
あなたは自ら入ろうとしていない
つまり世界に委ねている
睡眠に委ねている
それと同じパターンが起こっている

だから思考すら「出来事」なのだよ
突然訪れる思考も睡眠と同じ

熟睡中に「私は熟睡している」とは察知できない
マインドが完全に消滅しているからだ
目覚めたときに、あれは熟睡だったと気付く

あなたが思考に囚われているとき
「私は思考に囚われている」とは察知できない
後で私は思考に囚われていた、と察知する
それは1秒後かもしれない
すべては後で知るのだ

そうして気が付かない限り
あなたは思考に足を掴まれている
睡眠中に悪夢にうなされているのと同じ

悪夢でも掴まれてもいい
ただそれに気付くかどうかだ

つまり「知る」とは過去についてのことであり
リアルタイムで「知る」とはありえない
なぜならば「知る」はマインドであり
「いま」ではないからだ

だがあなたが「あなたの背後にある何か」
それに気が付いたとき
あなたは自らの熟睡や思考を眺めることとなる
あなたは眠らないし思考もしない
その「生き物」が眠ったり思考しているのを
眺めている

「悟り」と呼ばれるそのエリアが
知ったり、分析したりすることのできないもの
それはそういうことだ

知るのではなく
見るのだ

あなたが完全に自我を捨て去るとき
つまり自分自身を忘れてしまっているとき
その世界を見ていなさい

自分自身と距離を作るとき
あなたは到達する

 


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