時間と空間、そして変容の法

いま私に起きている様子だ

停車した車のシートに座っている
運転席
ハンドル
車内の空気、温度
窓の外には車道、街路樹
前方に同じく停車している白い車
脇の歩道では婚礼服を
着た人々が挨拶をしている
時計は午前10:28

もう一度周囲を見渡す
車内の様子は同じだが
前方の車はいない
歩道の人々の挨拶も終わったようだ
いまは通行人が犬を連れて
散歩をしている
時計は午前10:31

今回あなたが学ぶこととは
時間と空間は同じものであるということ
そしてその統合されたひとつのもの
つまり、それぞれの瞬間が
「あなた」であるということだ

時間は連続的に流れているのではない

「時間という概念」としては
確かに連続性を与えている
だがそれはあくまで
人間が作り出した決めごとであり
動物や植物にとっては
常に「いま」が起こっているだけである

 

シーンを個別のファイルにしてみる

だから今回はわかりやすくするために
時計が指し示した時間を、
そのシーンの名称として
ファイルしておこう

冒頭に記した、
私の「午前10:28」というカットでは
白い車や婚礼服を着た人々が
パッケージされている

そして「午前10:31」というカットでは
通行人が犬を連れて散歩をしている

そしてこれを書いている
たったいま「午前10:36」では
目の前に打ち込まれた文字がある
そこには「午前10:28」や
「午前10:31」がどうとか書かれている

常に瞬間はそこにあるものを
すべて含めていることがわかる
ここで重要なポイントがある

午前10:28も午前10:31のカットも
たったいまの
「午前10:36」のパッケージであるということだ
もちろん、いまは白い車はないし、
婚礼服の人も犬もいない

もしあなたが
私のファイル「午前10:36」を見つけたとき
そこには車内の風景、
そして誰も歩いていない車外の光景がある
ただ車内のMacに打たれている文字には
そこにないもののことが書かれている

そこにないもの

それは一体何だろう
そこにあるのは
「Macに書かれた文字がある」だ
その事実はそこにある

だがそこに「5分前には犬を連れた人が〜」
と書かれているからといって
犬を連れた人がそのカットに
映っているわけではない
だがその様子が書かれた文字だけは確かにある

記憶とはそこにないものに
対するヴィジョンだ
いま現在、
あなたが何かを思い出しているとする
事実としてそのワンシーンに映されているのは

「思い出していること」であり
その内容ではない

先に記したように
時間とは人間が勝手に作った決めごとであり
あなたが動植物のように
「常にいま」しかない次元に立つとき
何も持ち運ぶ必要がないことに気がつく

ただそのシーンがそこにあり
紙芝居のようにパッケージが
置き換わるだけなのだ

かつて私は「午前10:28」だった
またあるとき私は「午前10:31」だった
とも解釈しがちになるが
それはあくまで「いま」という
パッケージ内容に過ぎない

重要なのは
「パッケージが単に置き換わっているだけ」
ということである

そこに気がつけば記憶は力を持たなくなる
つまり時間という連続性は嘘っぱちとなる

あなたの目の前で微笑む家族は
いまここに表現されているのであって
彼女は家族でもなければ
実在すらしていない

 

あらゆるものが”いま”起きている

人だけでなくすべてがそうだ
新しい家電製品が発売されて10日経った、
それは連続的な過去10日間があるのではなく
たったいま
「発売されて10日経った」という情報が
そこに起こっているに過ぎない
その製品のイメージすら
いま初めて起こっている
あなたは以前から知っていたように
錯覚しているがそうじゃない
「知っていた」ということが
いま、起こっているのだよ

2500年前、それはいつだろう
いまあなたの中にあるのだ
2500回も正月を遡ることもなく
「2500年前、それはいつだろう」が
たったいまそこにある

あなたが記憶に囚われなくなるとき
すなわち呪縛から解き放たれたとき
この世のすべては白紙の上にあることを知る

何もなく
何を大切にする必要もなく
ゆえに
すべてがあり
すべてを大切にするべきなのだ

さらに連続性が錯覚であるとするならば
因果の関係が消える

因果と因縁生起は
意味が違うから間違えてはならない
すべては密接に絡み合っているという意味での
因縁生起は宇宙の法だ
そうではなく因果関係は時間軸のことだ
それは抹消される

因縁生起は時間を超えている
あなたがいま着ているシャツは
あなたが着ていると同時に、それを製造している人
物流、販売スタッフ、それに伴う各所のお金の流れ
そうした「やり取り」があったから
あなたはいま着ている

そして「いま着ている」という
ポイントをフォーカスすれば
すべてのやり取りは、
たったいまここに起こりながらも
完結していることがわかる

つまり、パッケージという1枚のカットが
いまここにあるのだ
シャツと言葉に出したが
それを読むまで服に意識がなければ
シャツの製造者も販売スタッフも消えていた
それが因縁生起、つまりパッケージだ

だが因果関係は消える
すなわち「○○したから、結果これがある」
という一連がなくなる
最初から「これがある」となる

一生懸命に努力したからいま報われた、
というストーリーがなくなり
ただ「いま報われた」がここにあるようになる
そもそも記憶がないので
「報われる」という概念すら消え
ただこれがある、のみとなる

 

人生を変容する方法

ここに人生を明かす鍵がある

覚えておきなさい
アインシュタインはこう言った

「毎日同じことを続けているのに
それまでと違う答えを求めること自体が
奇跡なのだ」

つまり、そのパッケージの中に
「ないもの」を見つけるのは
大馬鹿者であるということを伝えている
違うパッケージゆえに
そこに置かれるものが違うのだ

ここでおすすめのメソッドだ

いいかい
以下に意識を向ければ
いつも新鮮なパッケージに置き換わるようになる

・尾を引かない
・いますぐやり出す、すぐに取りかかる
・先を考えない

するとあなたの世界には「行動」だけが起こる
いつも口を開けて「幸せにならないかな」と
そんなパッケージが置き換わる

常に動いているから
常に新しい世界へとガラガラと変わる
もちろん、世界が変わったという認識はない
その瞬間でしか、あなたは察知できないからだ
変わったことを知らない
だが明らかに循環されていないその状態とは違う
あなたは気が付くようになる

「最近なんか楽しいな でもなんでだろ?」とね

気がついたらそうなっていたのだ

 

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コメント・質疑応答

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  1. meg より:

    メソッド、具体的ですぐ実践出来るから助かってます。
    今日も実践中です。生きてる感じがします。
    ありがとうございます。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>megさん
      大切なのは楽しむことだ
      その内容はなんでもいい

      あなたが楽しんでいるとき
      世界は躍動している

  2. さゆり より:

    いつもありがとうございます。

  3. 労働者 より:

    いつも拝見しています。ありがとうございます。
    私が見ている現実は、一瞬一瞬ワンシーンの連続をただ見ているだけなのでしょうか?

    世の中には金持ちと呼ばれる人がいて、貧乏人と言われる人もいる。

    私の仕事でいえば、優秀な営業マンがいるとすれば、あまり数字の出せない営業マンもいる。

    自分がなりたい姿はいくつもあれど、ただの光景とするなら、なりたいと思うことに意味はないのでしょうか?

    ただその光景を、いわば映画を見ているだけなのでしょうか?

    その映画をコントロールしたいから、みなスピリチュアルに救いを求めているんだと思うのですが。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>労働者さん
      >優秀な営業マンがいるとすれば、あまり数字の出せない営業マンもいる。

      その人々はどこにいるのかね?
      あなたの見ている中にいるのだ
      つまり「あなたの中」にいるのだよ

      その視点からよく考えなさい
      じゃあ「自分」とは一体何者なのだろうか、とね

      そこに人の死がある
      そこに社会の理不尽がある
      そこに不幸がある

      それらはすべて
      「あなたの中」にあるものなのだ

      つまり優秀な営業マンも数字の出せない営業マンも
      実在しない
      彼らはあなたなのだ

      あなたが自分というものを
      別の側面から見た光景

      目隠しをして椅子を触ったとき
      革張りのシートと木製の脚とでは感触が違う
      あなたがそれを椅子と知らないとき
      まったく別のものとするだろう

      だがあなたの見ているものはすべてひとつのもの
      あなたなのだ

      >>映画をコントロールする

      いいかい
      「映画をコントロールする」という思考を
      あなたは見ているだけだ
      もちろんその思考もあなたの中に置かれているもの

      あなたという世界には何の不足もないのだよ
      この返信を何度も読み、そして熟考してみなさい

  4. より:

    >>労働者さん
    まさにそれ。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん
      すべてあなたの中で起こっている
      その意味を探りなさい

  5. 労働者 より:

    お返事ありがとうございます。

    すべては私の中での出来事であるなら、すべて私は持っているということですね。

    ということは、私は金持ちであり、貧乏人であり、優秀であり、凡人である。

    いやそれすらでない?

    ならばなぜ人は願望をもつのでしょう?

    • 自分 -涅槃- より:

      >>労働者さん

      世界からあなただけがいないとするとき
      では、あなたの見ている光景とはなんだろう?

      それをよく考えてみなさい

  6. A より:

    自分さんこんにちは。

    私生活では毎日部屋が片付いてて自炊もなぜか続いてます。シンクロニシティも誕生日にまた起こりました。

    こんな感じで楽しいのですが、仕事の方は困ってはないけど一向に暇過ぎてちょっと変化が欲しい時にこの記事見つけて速攻おすすめメソッドやってみました。そしたらなんとなく何かが(気分?)が変わって、暇過ぎて苦痛のパッケージは過ぎ去り楽でいいな~に変わりました。そう言えば、昨日暇過ぎて会社の一部を整理整頓したくなってガツガツ整理してたんですけど、私生活の整理整頓の流れがここに来たのかな?とか思ったんですけどまぁどーでもいいかって感じで過ごしてます。

    私生活と仕事って連動しますか?

    涅槃の書を見つけてから、タスクマを試しにやってみてからまさかの自炊生活の今にいたり、精神的にも軽くなって私生活が劇的に変化したのですが仕事での「暇だ」はちょろちょ前後する感じです。

    昔、忙しすぎて何も考えずゆっくりしたいって願望が今頃叶ったとも言えそうですが。もう仕事で忙しくなりたい訳じゃないけど、暇過ぎて不思議の域です。

    • -自分- 涅槃 より:

      Aさん

      こんにちは
      そのように意識的であるから
      満たされるのだよ

      だがマインド(頭)は
      理由を探そうとする
      そこで人は「?」となってしまう

      「いま満たされてるけど、
      その理由を探さなくちゃ」と

      また現実の罠に落ちていく

      >私生活と仕事って連動しますか?

      どちらも「あなたの中」で起きているものだ
      あなたが意識に満たされておれば
      世界のすべてが満たされる

      世界は影のようなもの
      どれだけ自己を俯瞰しても
      いつもそこにある

      それはつまり
      あなたが変われば
      影の形や色も変わるということだよ

      整然としたライフスタイルは
      あなたにクリアな視野を与える

      ひとつの行為に没頭できるようになる
      素晴らしいことだ

      だが理由を探してはならないよ
      いま目の前にあることだけが
      すべてなのだ

  7. mmrc7 より:

    すごくよくわかる。
    ありがとうございます。

コメント・質疑応答

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