他者の言う通りにする

自我を捨て世界に溶ける
まだよくわからないのならば
今日も手ほどきをしよう

とても簡単なことだ

親でも夫や妻でもいい
すぐ近くにいる人

あなたはその人を受け入れていない
ある部分は認めるが
ある部分は自分とは違う
そのような関係性をあなたは保っている

そんな日常のあるとき
その身近な人が
あなたの意に反することを言う

何でもいい

「宿題やったの?遊びにいく前にやりなさい」
「普段疲れてるのわかるけど
次の休みは家族でどっか連れてってよ」

子どものあなたは遊びにいきたいし
大人のあなたは休日はゆっくりしたい
だけども困ったことに身近な人は
あなたを却下する
あなたはこう捉える

「自分のことをわかってくれない」とね

本題に入ろう
世界に溶ける方法は簡単だ
その身近な人の言う通りにすればいい
あなたから見て
どれほど間違った考え方の持ち主であろうと
その通りにする
その言う通りにする
アル中でサラ金に追われて母を殴るような父
彼があなたに何かを伝えれば
その通りにする

いいかい

瞑想的に生きていれば
風が肌を触っただけで
その実在を感じ取る
世界に身を溶かす

だけどもまだそこまでの深さがなければ
日常で起こる何百というヒントからも
何も掴めない
起こるすべてが「それ」であること
その糸口すら掴めない

だが「他者があなたに何かを言う」
これほど直接的な提示はないだろう
「世界」があなたに向けて
とてもわかりやすく手を差し伸べているのだ

他者があなたに意見をするとき
あなたは自我に囚われている
だから意見が生まれる
あなたが世界に溶けているとき
あなたに誰も何も言わない
その必要がないからだ

「あなた」はあなたに何と優しいことだろう

他者の意見とはアスファルトの
小さな欠片を見たというよりも
わかりやすい

だがそのヒントですらはね除ける
「自分のことを何もわからないくせに」とね

それがどんな人物であろうと
あなたが見下していようと
その人は「あなたの世界」なのだ
すなわち「あなた」なのだよ
あなたがあなたに手引きをしている

他者が何かをあなたに言うということ
これがどれほど
ビューティフルなことか考えみなさい

あなたとは全く異なったタイミングで
あなたの意向とは違う内容を
あなたに向けて伝えられる

あなたのコントロールは全くない
ただそこに生まれた風景
しかもその風景はあなたに対して直接的だ

他者のあなたへの意見とは一体なんだろう?
それはモーセの十戒と同じ
神、つまりあなたからの啓示なのだ
他者のあなたへの意見
こんなに素晴らしい手引きはないのだよ

他人の意見に流されて生きている
それをネガティブに受け取るならば
あなたは流されたことがないのだろう
つまり「流れていない」のだ

日々の出来事を暴風と比喩するなら
あなたは「自分の考え」という板で風を遮ろうとする
必死に板を支えるが最後は力尽きて飛ばされる
そこにいる限りどちらにしても飛ばされていたのだ
だが板で遮った分、あなたは恐怖を自ら生み出し
そして単なる遠回り、
つまり時間の無駄使いをしていた

覚えておきなさい
何をどうやろうが
必ず流れに戻る

ただ無駄な抵抗をするから
何もかもが遅れてやってくる
最初から流れなさい

あなたが何かを努力して
達成を摑み取ったのは
あなたが計画をしたからじゃない
別にその計画をする必要もなく
そこに辿り着いていた
どちらにしろそこに流れ着いていたのだ

あなたが身近な人たちの言う通りに生きていけば
日々に起こる些細な出来事に隠されたメッセージが
見えるようになる

その通りにする
ただそれだけだ

怒るシーンが来れば怒ればいい
抑えるとはあなたの綿密な計画だ
金が必要なら働きまくればいい
可能な限り稼ぎまくればいい
可愛い子と仲良くなりたければ
話しかければいい

「躊躇」はあなたの思考
つまり風を遮る板だ
世界に流れる
それであなたは完全に溶ける
もはや足りないものはない
充足の世界
無限の可能性の世界が見えてくる

世界があなたに提示するメッセージ
そしてあなたの中で生まれるムード
すべて「その通り」にすればいい
それが最もスマートでスピーディに
人生を全うするコツだ

「その通りにする」

それが世界に溶けるということだよ
何も難しくない

それを遮ろうとすることの方が
何億倍も難しいのだ
なぜ難しいのか
それは不自然だからだよ
海で泳ぐ魚を
あなたは地上で生かそうとしている
吠える犬を
吠えないように仕付ける

魚は泳ぐものだ
犬は吠えるものだ

ごく自然でありなさい
それは起こるがままに
身を任せるということだよ

 

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コメント・質疑応答

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  1. M子 より:

    ホントに素晴らしい気づきをくれてありがとうございます。

    「流れに乗る」ことをキーワードにして、今はまだまだ自分の強固な意見との葛藤中だけど、でも、あらゆる出来事が、私の凝り固まった考えを溶かすためにやって来るように思えます。
    今はまだまだ日々鍛錬中です。

    このお題は『他者の言う通りにする」ですが、その中の
    怒るシーンが来れば怒ればいい
    抑えるとはあなたの綿密な計画だ
    金が必要なら働きまくればいい
    可能な限り稼ぎまくればいい
    可愛い子と仲良くなりたければ
    話しかければいい

    この、自分の感情に正直で或ことと、他者の言う通りにする事の区別を教えてください。

    • -自分- 涅槃 より:

      M子さん

      >自分の感情に正直で或ことと、
      >他者の言う通りにする事の区別を教えてください。

      ここでの他者の言う通りにする、というのは
      受容を意味している

      受容的であるとき
      あなたは消える

      つまり「あなたの自分の感情に正直である」というのは
      話のベクトル、つまり意識の向きが違うのだ

      あなたが自我を捨てて「到達」する道は2つある
      ひとつはこの手記の通り
      世界の流れに溶けてしまうこと

      もうひとつは
      自己を想起することだ
      それは主体的に在ることを意味する

      受容的に在ることと
      主体的に在ることは真逆の方向となる

      だから返答を少し変えてみよう

      「自分の感情に正直で或こと」
      それは反応を意味する

      感情とはそこに起きた物事に対して
      引き出されるものだからだ

      それは主体的であるようで
      そうではない

      反応であるか
      それとも主体的であるか
      その違いだよ

      例えばあなたが誰かと話すとき
      相手に聞いてもらおうと話すのか
      それとも
      自分が言葉を発しているのか、

      またあなたが何かを見るとき
      それは見せられているのか
      それとも自分が見ているのか

      それらは似ているようで
      まったく質が違う

      あなたのいう「感情」とは
      その場の反応でしかない
      つまり対象に囚われた状態

      その対象がなければ
      それを”やらなかった”のなら
      それは反応ということだよ

      自分が話し
      自分が見て
      自分が歩くのだ

      それは

      話を聞いてもらい
      何かを見せられて
      目的地に歩かされるのではない

      「主体的に在ること」が深まると
      やがて受容に溶けるようになる
      それは体験すればわかる

      真逆の方向なのに
      最後には合流する

      そのあたりは
      また手記にしておくよ

    • M子 より:

      ありがとうございました。
      主体的であることと、反応の違い、よく分かりました。

      とにかく今は、一歩下がった視点から、反応で行為ぜずに、流れてくる思考を眺めることに鍛錬します。鍛錬が必要なくなる日まで。
      思考の強い吸引力に引っ張られそうなときに、いつも涅槃の書に助けられて、一歩下がることができています。
      ほんとにありがとうございます。

    • -自分- 涅槃 より:

      M子さん

      自分を突き放すことだ
      最初は強引な方が良い

      怒っている自分
      辛い気持ちの自分
      喜んでいる自分
      幸せな自分

      そうした「自分」を
      そのまま泳がせなさい

      あなたがその意識にあるとき
      自ずと主体性は目を覚ますだろう

  2. Aslan より:

    最近、親が「いい加減に結婚しろ」と言います。
    うん、・・まぁ素直に従えばいいんだよね。
    私と結婚しても良いと言う人間と結婚することにします。

  3. Aslan より:

    最近と言うか、ここ10年近く言われていたが、ずっと撥ね付けて来た。
    全然流れてない。簡単なことだ。aslanさんと結婚したいと言う人と結婚すれば良いだけの話。それが世界に溶けると言うことなんだろう。
    しかしいつも、無理筋な女性に片思いばかりしているaslanさんである。
    これだと結婚しなくていいからね。世界に反抗しているわけだ。
    そうではなく、周りの言うとおりに生きてみる。すなわち、結婚してもいいという人と結婚する。こんな簡単な話は無いだろう。

  4. Aslan より:

    自己啓発の世界では「他者が反対するような夢を持ちなさい」とされ、もちろん「他者の反対に耳を傾けてはならない」とも強調する。
    「世界に溶ける」のではなく、世界を超越せよである。
    世界と言うのが自分だとしても、その自分は、単に「今までどおり」を望むので、例えば、サラリーマンがピアニストになりたいと思っても、世界は「あほなこというな」と反対する。その声に耳を傾けていたら夢は実現しませんぜ。私はピアニストであると猛烈に信じ込み、それ以外の意見は聞き入れるな。そのように説かれる。
    これも一理あると思う。
    世界に溶ける、流されると言うのが単に「今までどおりの人生を肯定する」ならば、こんな簡単なことは無い。「タバコ屋のおばさん」として生きることに何の違和感も感じなければそれでよい。
    実際、タバコ屋のおばさんは「平凡が一番幸せなのさ」などという人生哲学を持っていたりする。
    つまり、タバコ屋のおばさんの真の目的は命を養うことであり、虚栄心に駆られて変なことは目指さない、実に達観した態度だとも言える。
    しかし、意外にそのタバコ屋のおばさんは若い頃にアイドルを目指したとかの「過去」があるかもしれない。要は「納得」があるかないかなのである。タバコ屋のおばさんであることに納得がいかなければ、やはり別の運命を転回せざるを得ないのではなかろうか。
    その後、紆余曲折を得て、たタバコ屋のおばさんに戻っているかもしれないが、そのときは、もはやタバコ屋だろうが八百屋だろうが何でも良くなっているのである。

  5. Aslan より:

    何か自分にとって新しいことをはじめるとき、身近な人ほど反対する。
    身近な人とは、過去の自分だからだ。
    だから、身近な人の話にしたがっていると、過去の自分から脱却できなくなる面はあると思う。だけど、案外、身近な人って、突拍子も無いことを言うこともある。エジソンは親に「この子はただものではない」と言われたという話しだし、捏造の可能性が大とはいえ、秀吉は母親に「お前は太陽の子だ」と吹き込まれたと言う。小心なサラリーマンの親がふと「坂本竜馬のようなビッグな男になれよ」などというようなことはありそうな話だ。身近な人に誘われて、ジャニーズ事務所に応募したら受かって、スーパーアイドルになりましたと言う話もよくきく。
    過去の化身のような身近な人が、何かに憑かれたように、時に、変なことを言うことはあると思う。
    その一瞬を見逃してはならないのかもしれない。

  6. Aslan より:

    私は父親と余り仲が良くないので、余り話しを真剣に聞かないのだが、時折「お前は絵がうまいので画家になればいいと思ってたんだ」みたいなことを言うときがある。ずっと、スルーしてきたのだが、彼の言葉の中に、本当は私の本心があったのだと言えるのかもしれない。
    「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」で、その発言までスルーしなくても良かったのだ。

  7. Aslan より:

    どうしても「反発心」が芽生えるんだよね。
    「お前は画家になれば良い」
    「ふん、馬鹿なこと言うなよ」
    ではなく
    「お前は画家になればよい」
    「ほんと?じゃあ頑張るからさ、応援して!」
    これで全ての問題が解決して、世界に流れると言うのに、その可能性の扉を自分で閉め切ってしまっているのだ。
    しかし、絶対「ほんと?じゃぁ頑張るから、応援して」なんて素直な台詞は言えないのである。つい反発(反応)してしまうのだ。

  8. komatta より:

    母というよりタイミングが…。(影響はあるのでしょうが)

    詩の文体は好きでないとは言ってましたが絵の才能は認めてくれてて。
    中学までは美術があり、表彰は通信簿も高評価だったので。

    高校の時、イラスト関係の専門学校に行くか?と母親から話がでました。
    その時、高校では商業科だったせいで物理や音楽や美術という授業は無かった。だからその絵の才能もクラスメートが多少、あの子、絵が上手いと数名知ってる程度で。高校時代、少しグレて煙草で停学ななってたので口うるさい母より過干渉?と思える女の先生と相性が悪く進路指導のとき
    専門学校への進学に「お母さん、本人のやる気がないのに行かせても金の無駄ですよ」と説得され、母のやる気萎え。

    お金の負担にこちらも無理も言えなかったし諦めました。だけど難しい大学と違い絵は好きだったので、もし高校の時、美術の授業があり高評価で先生も得意と認めてれれば。絵が好きだったってことさえ知らなかっただろうから。その誤解が解けてればと思えば。他者や身内の性格より…。

    なんでも「タイミング」さえ…と。

    • komatta より:

      そして当時は絵や詩が好きで自他ともに上手と認められたので、自らの才能、得意分野が「自覚」できた。友人で私が絵が上手いということを知らない人もいたが本当に自信があったから、ひけらかす必要もない。

      中途半端な得意で好成績のほうとれたほうが(たとえば英語や数学など)
      私って少しできるのよを見せなくなる。

      インスピレーションも降りてたから他人が何と言おうと「自らの行きたい道、得意な道が見えていた」

      しかし大人になった今は、その楽しさも技術面の才能もやる気も趣味としてさえ降りなくなった。なんでも「収入」に繋がるならを考えてしまう。
      趣味として絵画をしてもいいけれど画材も高くつくし…と損得勘定や何も抜きで「描くことが楽しい」が無くなった。

      そのせいで「得意分野」「なりたいもの」「何に才能があるか」「やりたいこと」が解らなくなった。体が丈夫でないのでオフィス系しか選べない年齢いっても出来る仕事がいいな。程度の選択の幅。

      まだ得意分野やしたいことが解るなら道シルベがはっきりしてる分、目指す方向も解るのですが。。。

  9. komatta より:

    私って少しできるのよを見せなくなる。→見せたくなる。

    • komatta より:

      そんで中学までは5教科の成績も悪くなかったし本当は近くの進学校の高校に進む予定でした。そこはおバカさんでも短大目指すような高校なので。
      もしそこにいってたら短大などはいってかもしれません。また物理など理系の授業も多かったらしいので、そっちで面白さを発見できたかも。
      成績も中学までは悪くなかったし区域内だったこともありほぼ一本でいけたらしい。

      なのにこれは母の影響でなく何故、商業科いったというと…。中学での親友、悪友達なんだけど漫画に出てくるような美少女、スポーツ万能、頭良しの親友が当時いてその子が高校出たらすぐ働くのに重宝するといって商業科を選んだので、彼女と離れたくなくて進学そっちにした。
      で無事、二人受かったけど。その友達、ちょっと私より本間にヤンキーだったから一年で辞めてしまった。高1の時は悪い友達多かったので仲良かった子ら殆ど2年あがることに辞めてしまって。あと退屈で元から商業科の科目に関心はいって入ったわけでもないので…。一応、自分も友達について辞めたいのような幼いことはいったが親の説得で卒業はして。
      今になると親はやはり気持ちへの共感力や配慮は無かったが間違ったことはいってはないなと尊敬やら感謝部分は多い。

      で、だからといって友達のせいというわけでもなく「選択肢」があったのに自ら分岐しなかったのか…。それともそのそれぞれも登場人物なら、もとより商業科に荒波に揉まれる道を歩まされるように決まってたのか。
      そういう疑問はよくでます。

  10. komatta より:

    ちなみに商業科といっても公立だったので。
    母子家庭なので私学はきついと言われたので。
    当時はまだ総合選抜という仕組みがあり、何故か頭いい大学にすすむ進学校は区域内で試験じたいは受かりやすい。

    公立の共学の商業科(日本でも珍しい、商業科、電気科、機械科)がミックスされてる学校。受かるのだけは難しい。確率でいったら、こちらのほうが門は狭きで落ちて泣いた友達も沢山いた。けど入るとみんな、何故かバカになる。もちょっと前提知識あり自分の得意分野確信できてたら電気や機械の選択も楽しかったのでしょうが…。けどまだ社会でてなくて漫画家とかイラストレーターなど特殊な分野いがいはサラリーマンOL分野にどんな職種があり、そのためどんな勉強が必要か、よくわからなくて。

    ただ仲のいいいつも一緒にいて楽しかった友達と離れたくない。だけの気持ちで選んだので…。

    そういや56億7000万って5+6=11 11+7=18 1+8=9
    また9やら11だなって、マニアックなコジツケ計算はインスピ的に降りやすくなるけど、出会いは億千万の胸さわぎ~~♪にワクワクというよりは…。不安のむなさわぎ…という感覚も強く。
    こじつけか洗脳かもし本当に集中力高めインスピ降ろす気なら、そのまえの心構えから大事だし疲れて5分持たない。そんな常時なんて。
    エゴが殆どで、その間、外の神様にたよって…というような疑問と、ごめん、無理。その役は勘弁とか現世利益のラッキー無しのまま迷いと混乱と悩みと体の疲れとに、やや嫌気が…。の状況です。

    • komatta より:

      そして今日、ぼけっとネットサーフィンしてて地母神から色々、インスピで降りてきましたが…。

      ユングの元型
      ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%9E%8B

      地母神(グレートマザー)を求めて
      ttp://mandalaya.com/geratm.html

      聖書関係とか行くの怖かったしあえて無視したりしたこともあったけど
      アニメやドラマや映画でもそれはでてくるから、結局、遠回りするだけでなもかもしれませんが…。

      今日初めてこういう知識面を知ったけれど。「先に」これを教えたらいけない法則などあるのですか?

      マグダラのマリアも今日、あとで知って、あの時、どうしてインスピ降りて、あれをマグダラのマリアを調べる気になったのだろうと。

      逆にこういう前提知識が先に得られると不都合とか?
      頭の理解でなく経験と体験を通して真の理解におよぶためとか?

      だけどエゴは空海のような方を目指してなかったから。
      普通は頼る人、凄い人、凄い人に守ってもらえるから、凄い人だな~と
      尊敬やらするわけで。本人なりたいかと言われたら殆どの人、いえいえ恐れ多くて。本音、いやそれまでの苦難が耐えられるかどうかとか。
      ちょい小金持ちくらいで余暇時間が持てる普通でいいだろ。で困った時に頼る人で凄い人みたいな。モーツアルトも音楽の才能はすごいけどあのひとの人生自体はホラー映画にも出来そうなサスペンス系だし。エジソンも努力の人は凄いけど割と後半、研究者より経営者方面にいきテスラと葛藤したという話だから…。インスピは遠回りしても無視しても。どんな形でもくる時はくるから仕方ないし…。で手詰まり。

  11. komatta より:

    >>このような「元型の像」は、人物の像に限らない。「老賢者」の元型のイメージは、先の尖った峻厳とした高峰や、空を羽搏き飛ぶ大鷲のイメージで出てくることがあり、他方、「太母(グレートマザー)」の元型のイメージは、地面に開いた、底知れぬ割れ目や谷、あるいは奥深く巨大な洞窟のイメージなどであることがある。

    私個人のイメージは老賢者は空を羽ばたく大鷲のイメージなら。
    王たるワシのアメリカで

    大母グレートマザーのイメージは地面に開いた底知れぬ割れ目や谷なら
    地震のイメージが強い。

  12. happa より:

    気になったので質問をさせてください。
    「すぐ近くにいる人・身近な人」とは「家族」ということで書かれていますが、会社の人を対象にしてもいいでしょうか?
    それとも、家族ということに意味があるのでしょうか?

    今、会社の人で意見が合わないというか、重要だと思っているポイントが違う人のことで、どうしたものかと思っていたところでした。
    試してみたいと思っていますが、この方法が家族というところにポイントがあるのかと気になりました。もっと言いますと見ず知らずの他人まで対象を広げてもいいのでしょうか?
    どうぞよろしくお願い致します。

    • 涅槃の書-自分 より:

      happaさん

      この手記は少し視点を変えて言えば、もし自分がこの世に存在していなかったら世界はどうであるのか、というところにある。つまり「自分という抵抗」がないとき、世界はどれだけスムーズに回っているのかということだ。

      あなたがその会社に在籍していなくとも、会社はもちろん運営しているだろう。あなたがその友人関係に加わっていなくとも、その人たちの交流はいまも続いているだろう。

      じゃああなたがその会社やその人間関係で悩むというのはどういうことなのか。その苦悩は「そこにあるもの」が流れようとすることに必要なことなのだろうか。

      これについてよく考えてみることだ。それがこの手記が伝えようとしているポイントとなる。

      もちろん他人の言いなりになれという単直な話ではない。流れに抵抗している自分がいないかを「見つける」ということだ。

      もしあなたが「邪魔している自分」を見つけることができて、そしてその妨害を自分で静止させることができるならば、あなたは全体とともに、より良いサイクルを生み出していくだろう。ともにどんどん向上していくようになる。

コメント・質疑応答

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