悪魔と戦う決意をしなさい

覚えておきなさい
ネガティブは伝染する

人類はずっと戦い続けてきた
だがあなたがそれを”外のもの”だと
知らない限り一生に渡り憑依され、
エネルギーを吸い取られ続けることになる

伝承や芸術に残されたあらゆる悪魔は
“ネガティブ”を象徴するものだ

それは一匹の生命体と言っても過言ではない
人々から養分を吸い続け
結果、不安と恐怖に貶めてしまう

「いまに在る」とき、特に理由もないのに

他人から悪態を付かれたり
八つ当たりや嫌がらせを
されたり
そうした不可解な出来事が多くなる

街を歩いていても
過ぎゆく人々の視線を感じるようになる

それらは気のせいではなく
ネガティブがあなたを敵視しているのだ
まるで試しているかのように
あなたに負の感情を起こさせる要因を

与えてくる

例えば数年ぶりに親戚と
顔を合わせるとする
彼は最近の状況について話し出すが
どんどん自分の家族の悪口に
エスカレートしていく

「あいつらはわかってない」

それを聞いているあなたの心の中に
何かが騒ぎ出す

最初はふんふんと聞いているだろう
だがそこに同調したら最後
彼と同じ悪魔の表情になっていることに
あなたは気がつかない

鬱憤をまき散らすことで

何かを発散している気になっているが
それはネガティブが
自身の増殖を
行っているだけなのだ

思い出してみればわかるが
あなたがネガティブを誰かに吐きだした後
自分自身が非常に大きな
ダメージを受けている
しかもその傷は以後も背負い続けることになる

ネガティブに利用されているのだよ
ダメージにも気付けないなら重症だが
多くの人はすでにそこに陥っている

そのようにして負が負を広めていき
ひとつのネットワークとなる
互いに傷を舐め合うことで
「ネガティブ」は満悦の笑みを浮かべるのだ

 

「負」の標的となる

あなたが「いまに在る」とき
つまり人生の光景を

単なるシーンとして受け取り
何にも同化していないとき
ネガティブは猛攻撃を仕掛けてくる

実はあなたの中にも

最初から棲みついているのだ
それを呼び覚まそうと仕掛けてくる
だからあなたが最も反応しそうな負の

出来事を起こしてくるというわけだ

以前の手記で
意識の氷山は人の数だけあるのではなく
ひとつだけだと伝えたが
それは人類が繋がっていることを意味する

逆にいえば「個人」とは概念であり
単なる錯覚なのだ
だから負の感情は感染できる

感染というよりも浸食だ
本当は隔たれていないからね

ひとつの大きな氷山が隅の方から
どんどん黒く染まっていく
もう大部分が染まってしまっている

あなたが自身に光を放つとき
その染まりは回避できる
だがネガティブの進行はより大きな力で
それをねじ伏せようとする

“そこだけ白い”のは
秩序的ではないからだ
それが許せないのだろう

釈迦は顔に唾を吐きかけられた
イエスは磔にされ
覚者マンスールは八つ裂きにされた

釈迦はインドにいた
当時は真理への探求者で溢れていたから
覚者に対して理解は浅くなかったが
それでもネガティブが彼を見定めてくる
開眼した後に再会した父や妻でさえも
彼に疑問を投げかけてきた

イエスやマンスールに至っては
起こるべくして起きた悲劇としか
言いようがない

彼らの暮らしていた地域が
インドほど真理に対する理解が
深くなかったからだ
いまの日本に似ている
村意識、目立つ釘は排除だ

孤高に生きる人々や成功者を
称えるどころか非難の対象とする
そうした潜在的な資質が
ネガティブに侵されているレベルを
明確に示している

我々は日本にいる
だからあなたが光明を灯すとき
様々な難題がセッティングされる

 

「いまに在る」ことで不幸に立ち向かう

あなたにとって最悪のものを

“中”から引き出してくるわけだから

それは非常に腹立たしいものだ


だがそこに意識を引っ張られることが
ネガティブの策略となる

どんなときも「いま」に在りなさい
他者が何かをぶっ放しているとき
わざわざ相槌など打たなくてもいい
ただ眺めていなさい

あなたがいまに在るとき、
その人も解放されることがある

「なんだかあなたに話したら楽になった」
そう言われることも多くなる

だがそれを期待してはいけない
それは希だ

どちらにしても
あなたが
「いまに在る」を失うとき
また不幸の沼に引き摺り込まれる

自分自身を救い
そして、そのままで在ることで
人々を導きなさい

何もしてはならない
ただいまに在るだけでいい
それが戦いの決意だ
つまり己との戦いを意味する

今回の手記の要点は
心に沸き起こる負の感情は
“あなた”ではないということだ

それは浸食の如く
そこにやってこようとしたもの
それに染まるか、それとも
自分とは別の何かとして見据えるか
ということだ

以前この瞑想法でも記したように
「いまに在る」とき
ネガティブですら意識のパワーとして
あなたは吸収することができる

意識を内側に灯し、
あなたの”一角”から
氷山に輝きを戻すのだ

世界はあなたの覚醒を待っている

 


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  1. 名前のない男 より:

    今にいれてない(眺める視点に立てていない)からネガティブな出来事を経験しているのかと思っていました。

    今に在ってもネガティブな経験はせざるを得ないのなら、私は今にいれていたのかも知れません。

    それを眺めていないとますますネガティブ色に染まる。今に在っても、なくてもキツいですね。

    今に在り続けて最悪の出来事を経験して覚醒するのでしょうか?時間は幻だとしても人によっては何年も何十年も掛かるのでしょうね。

    長い道程ですね。拝

    • -自分- 涅槃 より:

      名前のない男さん

      今回の手記は内側に意識を灯すに至っても
      すぐに外に引っ張られてしまう人に向けて
      書いている

      いつもそうだが何かしらの表現にして
      伝える必要があるが
      今回は悪魔とした

      本当は水の中だからだ
      本来そこには何もない
      己がすべてを作り出しているだけだ
      その作用を伝えるには
      一度カタチにする必要があるのでね

      なぜ光が奪われるのか

      その原因とはシンプルなものだ
      つまりあなたの内側が闇となるからだ

      いまに在る状態のとき
      外界のすべてに意味は与えられない

      ゆえに「いま」から引き摺り降ろされる
      ことはない

      だがなぜ「いま」を持続できないのか
      それは迷いがあるからだ
      その隙をネガティブは突いてくる
      つまりあなたの心の中の隙間が
      大きく開いてしまう

      それも「いまに在る」という様子に至るほど
      自身の隙間に気がついてしまうようになる

      「いま」に対する迷いとは
      現実に囚われているからに他ならない
      つまり”意識を内側に向けているという外側への向き”
      そう完結してしまっている

      今回はその注意喚起となる

      なによりもネガティブ、つまりマインドとは
      外部に影響され、そして支配されているもので
      あることを知識的に学んでおくことだ

      それは悟りへの足掛かりとなる

      手記でも書いたとおり
      心の悪魔は誰の中にもある
      人々とは個別のものではないからだ

      あなたが社会生活の中で
      ネガティブに染まるとき
      その浸食の様子を眺めることだ
      徐々に黒く染まっていく

      それを観ているとき
      あなたは内側にいる

      そのとき外界のネガティブは
      あなたのエネルギーとなり吸収される
      つまり善悪の解釈が”悪魔”だったのだよ
      すべてはあなたのためにあったと、
      気付くだろう

    • 名前のない男 より:

      今に在り、これから一番経験したくないことを経験しなくてはいけないのかと思いコメントさせて頂きました。

      ネガティブに影響されない瞑想をしても動揺が収まらなかったのもあります。

      内側に意識が向いていれば自身の欠点を克服する様なことはしなくても良いということでしょうか?
      私は欠点を克服したくて何年も様々なメソッドをしたりセラピーを受けています。

      そういう行為を行うことが逆に自己否定や「今」から逃げることになっているのでしょうか?ネガティブ性を増長させている?

      自分だと思っている自分がいないのなら、あらゆるメソッドは無意味ですよね。治す人がいないということですから。

      最悪の経験をしたから眺める視点にならざるを得なくなり覚醒するというのもあるかもしれませんが、もうこれ以上の最悪の経験はしたくありませんが本音です。

      眺める視点が現実逃避にならぬ様に気を付けます。

      ご意見賜りありがとうございます。拝

    • -自分- 涅槃 より:

      名前のない男さん

      自身の欠点の克服とはなんだろう?
      あなたがそこに意識を向けている限り
      その「克服」とやらは起こる
      あなたが述べている通りだ

      だが克服をしたいならば
      それそのものになることだよ

      いつも人前で緊張する人がいた
      とある撮影中の映画監督が
      「誰か緊張のうまい人を呼んできてくれ」
      そこでまさに打って付けの
      「緊張する人」が呼ばれた
      さあリアルな映像が撮れるぞ、と監督は意気込む

      だが緊張する人が
      どれだけ「緊張しよう」と頑張っても
      それができない

      あなたが緊張から逃げ続ける限り
      緊張は起こる
      なぜならば、それを認めていないからだ

      克服とは
      それそのものになるということだよ

      逃げるな、とは少し言い方が重いが
      要は、その通りにすればいいのだ
      それがあるがまま、だ
      そこに苦悩は消滅する

    • 名前のない男 より:

      少し分かった?気がします。

      自分がその欠点が分かれば半分以上克服できたも同じですか?

      私のコメントを読んで頂ければ分かる通り、依存気質です。「人に無視される。馬鹿にされる。カッコ悪いと思われる。」のが一番の苦痛です。

      それを克服したくて色々やってます。

      「今」の自分を否定しているのでしょうね。

      何度外側に引寄せられても内側に戻します。

      覚醒まで何年も掛かることでしょうね。観念で不生不滅と解っても、現実世界の年齢を考えるともう人生半分過ぎてます。キツいですね、笑

      私の人生は正に「それ」だけの為にあったのだなと死際に思うのでしょうか…

      あまり良い人生ではない気もします。

      また情けなくなりすみません。拝

    • -自分- 涅槃 より:

      名前のない男さん

      あなたの着眼点はいつも正しい
      だがそれをなぜ改変しようとするのかね?

      すでに悟っているのだよ

      昨日別の方に書いたコメントだが
      ボーディダルマも
      部活に励む少女も
      自分の世界を
      自分の足で歩いた人たちだ

      彼らにもコンプレックスはある
      誰にでもある

      みんなそれを治療するために
      人生を費やしていると思ってるのかね?
      そのために生まれてきたのかね?

      そうではない

      ボーディダルマも少女も
      己の道をただ貫いているだけだ

      自分が在る

      あなたも知っているはずだ

    • 名前のない男 より:

      自分さん お世話になってます。

      今回の手記とコメント衝撃的でした。

      悪魔の正体が解りました。どうやって本来は素晴らしい筈の生が色褪せていくのかが解りました。

      常に意識を内側へですね。

      仏教徒なので「既に悟っている。」と言われれば嬉しいです。m(__)m

      私が悟っているのでなく世界が悟っているのですね。

      自分さんのお陰で釈尊の教えが解ってきました。

      天上天下唯我独尊は「宇宙には私しかいない。」自灯明の教えは「常に内側を照らしなさい。」法華経は「無意識に生きたらこの世は地獄。早くそこから抜け出しなさい。」と説いている気がします。

      釈尊ご自身が凄まじい苦行の果て、もはや眺めるしかない境地(悟り)に至ったのか?と解釈しました。

      「空の思想」や「唯識」は正に自分さんが常に述べられていることだと思います。

      「禅の思想」が一番自分さんのアプローチに近いと勝手に思いました。

      野弧禅!と怒られるのでこの辺にします。大変失礼しました。

      釈尊も自分さんも「たゆまず精進しなさい。」と叱咤激励して下さっている気がします。

      自分さんも釈尊も覚者と言われる方々は私の中で皆、スーパースターです。合掌

    • -自分- 涅槃 より:

      名前のない男さん

      あなたが死を友人として迎えなければ
      人生は絶対的な否定のものでしかない

      「生きているから」
      「生きているのに」

      こうした捉え方は
      常に現状からの脱却や渇望を生み出す

      「私はここにいる」

      それは死の容認ともいえる
      悟りとは幻想を落とすということ

      あらゆる快楽、苦悩は
      卓上のカードであり
      それを見ている自分自身が
      ここにいると気付くことだ

      意味を与えるがゆえに
      現実は起きているということがわかれば
      あなたは”自分自身”を知るだろう

      拈華微笑となる

  2. ONEPOINT より:

    今までネガティブに乗っ取られていたせいか
    何もしてなくても疲れやすかったです。
    最近その正体らしいものを突き止めたのですが
    それは結石のように凝り固まっており
    意識を向けても固くて突き崩すことができません。
    そしてそれに触れると身を切られるような痛みが走ったり
    訳もなく涙が出てきます。
    古い感情が固まったのかもしれません。

    またこの手記では「いまに在る」ときに
    悪態を付かれるとありますが
    幸いにも私はそのようなことはありません。
    むしろ知らない人から挨拶されたりします。
    ネガティブに染まっているときのほうが
    相手の機嫌が悪くなったり野良猫にすら睨まれたりする。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん
      >正体らしいものを突き止めた

      その種子を突き止めている時点で
      あなたの意識は内側に向いている
      痛みや涙はその棘に
      向き合っているから起きるのだよ

      そのまま向き合うことを続けていれば
      「置き忘れていた荷物」として
      意識を吸収することができる

      本来それはその場で
      ゼロとされるべきものだったからね

      だが向き合いながら
      その痛みから連想される思考に
      意識を持って行かれないように
      しなければならない
      意識の向きが内側に向いているとき
      あらゆるネガティブは力を失う

      たぶんあなたは
      途中でやめてしまっているのだろう
      精神がリラックスしている状態で
      向き合わないと
      辛さだけが浮き上がるからだ

      だから向き合うときは

      ・休日など時間のあるとき
      ・リラックスできる場所
      ・体調が良いとき&快適なとき

      上記が必須となる
      場所は静かでなくてもいい
      賑わうカフェなどでもいいかもしれない
      あと、体調というよりも
      快適な状態、これが大事だ

      つまり週末にシャワーを浴びてから
      本を一冊持ってカフェに向かう

      そこで周囲の音に瞑想しながら
      自分の中での「忘れ物」と向き合いなさい

      うまくいけば
      あなたは笑う

    • ONEPOINT より:

      ありがとうございます。
      やはり環境は大事なのですね。
      仕事の合間にやっていたのですが
      しょっちゅう中断が入るし
      早く感情を手放したい思いから
      やり方が強引になってしまった。

      落ち着いた場所でリラックスしながらやろうと思います。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん

      リラックスできない状況というのは
      言うなればマインドが活発に
      動いている状態といえる

      だから先の3つのカードを揃えなさい
      瞑想をすることが楽しくなる

      そう、楽しむことが大切だ

    • ONEPOINT より:

      今日はリラックスした環境で痛みと向き合ったのですが
      古傷に触れているせいか耐え難い痛みが襲い掛かってきました。
      その痛みも観るようにしましたが、正直言って疲労困憊の状態になってしまいました。
      これでは生活がままならなくなってしまう。
      しかしやらなければネガティブなエネルギーが残ったまま。
      やってもやらなくても地獄という状況になってしまいました。

      時間を決めるなどしていっぺんにやり過ぎないほうがいいんでしょうか。

    • ONEPOINT より:

      何とかコツが掴めてきました。
      痛みをモロに受けずにじっくり受け入れるようにするといいですね。

      しかし核心に近づいているせいか
      気力体力の消耗が激しいです。
      これで最後になるといいなあ。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん

      意識が外側に向けば
      痛みが起こる

      単純な原理だよ
      振り子だと思えばいい

      あちらかこちらか

      瞑想で深い「いま」に在るとき
      痛みが溶けていくのがわかる

      だが溶かそうとしてはならない

      ただその場で意識的であり
      あなたを存在させることだ

      >しかし核心に近づいているせいか
      「核心」として捉えないことだ

      遠い昔の「忘れ物」だよ

      駅長室で置き忘れた私物を
      待っている感じ

      ただ待っていなさい

  3. より:

    自分さん

    こんばんは。
    昨日、久しぶりにネガティブに襲われました。仰るように、まるで試すように。
    夕べから朝にかけてエネルギーを吸いとられ、痩せた?などと言われる始末(笑)
    ネガティブエネルギーも凄いパワーです。
    午後にこの手記に出会い、ハッとさせられ
    パワーを取り戻しました。
    不思議ですが、ネガティブに襲われる以前よりパワフルでニュートラルです。
    ネガティブに少しづつ浸食されていたのかもしれません。

  4. せいじ より:

    エックハルトトールのニューアース思い出しました。
    彼はペインボディと表現してますね。『忘れ物』。

    少しずつ溶けてきています。

  5. M子 より:

    自分さん、負の標的となって、ネガティブの猛攻撃を受けるのに、今に在るへの気づきが必要なんでしょうか。
    十字架にはかかりたくないのですが…
    もちろん、今に在る時はそんな発想すらないのでしょうが、今にないので怖いです。アドバイスお願いします。

  6. たかたかし より:

    支配者に気づく事で思考のコントロールやミラーニューロンに送られてくる痛みをシャットダウンできる
    誰が支配者かという事が重要だ・・ むろん自分の場合は親が支配者だったがそれだけではなかった・・
    善意で世話をしてくれる おじさん まさか彼が悪魔だったとは・・
    7年間にわたる腹痛を起こしていたのは彼だったのだ・・ のちのち家族に聞いてみるとその人に会った後は苦痛の表情にまみれていたらしい
    おごってくれる、世話をしてくれる、善意のお節介とみせかけて悪魔の鎖だったというわけか・・
    もう2度と誘ってこないでと言って支配者が彼だと見抜いた時数年間おさまらなかった腹痛は回復に向かっていた・・

  7. -自分- 涅槃 より:

    秀さん
    せいじさん
    M子さん
    たかたかしさん

    みんな、こんばんは

    上の方へのコメントでも記したように
    いまに在るとき、
    ネガティブは+のエネルギーとして
    吸収される

    問題はその作用を促すには
    それなりの努力を要するということだ

    ネガティブを感じているということは
    意識が外に掴まれている
    その状態で「外側に向いている」と
    気付くのは難しい

    たとえ気付いたとしても
    またすぐにネガティブの妄想に
    思考が同調してしまう

    だから最初のうちは鍛錬が必要となる

    身体を突き刺すような痛みの中で
    「すべて単なる映像だ」と
    喝破することでネガティブは転化する

    だが思考のイメージだけで
    それを唱えたところで歯が立たない

    そのためには瞑想的であること、
    つまり自身が自在に存在できる術を
    日頃から習得しておく必要がある

    意識的になれる癖を備えるのだよ
    そうして向き合いなさい

    それをどうにかしようと
    するわけでもなく
    ただ眺めているだけで
    腹の中で成長していた「それ」は
    どんどん喜びに変わっていく

    初めてそれを体験するとき
    「え?」と呆気に取られるだろう
    同時に笑いがこみあげてくる

    なんだそうだったのか、と
    深い納得を得るだろう

    古くから抱えているネガティブは
    とても強力だから
    注意して取り組みなさい

  8. maychan より:

    自分さん、こんばんは。
    教えてください。

    7〜8年前、私は、夫の実家での20年以上にわたる同居生活に疲れ果てていました。

    何とか楽になりたいと思って、ネガティブな気持ちが出てきたら、

    大きく深呼吸をして『大丈夫、大丈夫、人生はなるようになる。私は自分の家を手に入れる』と淡々と自分に言い聞かせていたら、ほんとに家を手に入れ、別居することができホッとしました。

    これから人生上手く行くかなと思ってたら、
    手記の通りに、ネガティブな事が次々起こりました。

    夫は社長と対立して窓際族に、娘は友人に裏切られ、私は、気を遣いながら付き合ってきた兄嫁から、一方的に喧嘩を売られて母が実家から追い出され、仲良かった実姉とは、急に会話がかみ合わなくなり、ギクシャクしたりと、次々と嫌なことが起こりました。

    また、手記に書いてあるように、親友や職場の友人から『◯◯ちゃん(私)の顔みるとホッとするわ』とよく言われます。
    そう言われたいと思ってるわけではありませんが、前の職場では、そう言ってくれる人たちが、私に自分の姑や夫の悪口をいっぱい聞かせるんです、ほんとにいっぱい!

    みんな楽しい人たちでしたが、それに疲れて今春転職しました。

    実姉とは、きっかけがあったわけでもなく、何となくまた元通り仲良くなりました。

    私は、もうネガティブを引き受けたのでしょうか?それとも大なり小なりまたそんな事が起こるのでしょうか?

    また起こるのは辛いなぁと思ってしまいます。循環に身を任せられないのは、そんな不安もあるからかなぁと思っています。

    • -自分- 涅槃 より:

      maychanさん

      あなたの体験は多くの人の
      力になるだろう
      ありがとう

      ひとつ大事なことに気がつかなくてはならない
      すべてはあなたが
      見たり聞いたりした中でのお話だということだ

      あなたは旦那さんでもないし
      娘さんでもない

      だがあなたは
      「もし私が旦那なら、きっとこうだから
      こうなったのかな」
      と彼を自分のように置き換えている

      そうじゃない

      あなた以外の人々は
      それがたとえ家族であろうと
      実在していない

      彼らはあなたの見たまま、
      そこでその通りにそうなっているだけだ

      雨が降り、葉が濡れている

      そこに選択肢はなく
      ただあるがままにその光景がそこにある

      すべての出来事は
      宇宙という循環の出力でしかない
      つまり結果の世界をあなたは生きている

      そしてその世界を作り出したのは
      あなたの心だ

      あなたはポジティブであろうとした
      だから世界はその結果を返してきた
      だが「私は正しかった」と喜ぶあまり
      「じゃあ私以外の人たちは?」と
      分離を心に作り出す
      そしてあなたの世界にまた出力される

      それが家族であろうとも
      「あなたの世界」だ

      あなたなのだよ

      あなたが誰かと喧嘩をして
      その人を攻撃したら
      誰がダメージを受けている?
      その人じゃないはずだ
      あなた自身だ

      その人は実在しない
      すべてあなたなのだよ

      心を正しく持ち
      そしてそれを当たり前としておく
      すると「正しさ」に対する疑念は起こらない

      あなたは家庭的な立場から
      日頃から「すべてを司る」というエリアに
      立っている

      だから心の様子が世界に現れやすいのだ
      それは良いことだよ

      宇宙のメカニズムを知り
      ただ「見ている」という位置にいるとき
      あなたはすべての出来事が
      何なのかを悟るだろう

      最後には愛することだけが残る
      どんな物事も
      どんな人々へも
      愛だけが残される

  9. maychan より:

    お返事ありがとうございます。
    昨夜コメントを送って直ぐに、こんな打ち明け話のようなコメントで見っともない気がして、送った事を後悔していました。誰かの力になれれば嬉しいです。

    確かに、別居後に起きたネガティブな事は、同居生活を全うできなかった私の、後ろめたい気持ちが引き起こしたものでした。

    怖がることはありませんね。『世界は私が創作したもの』ってこと忘れないようにします。

    • -自分- 涅槃 より:

      maychanさん

      あなたの昨夜のコメントは
      とても有用なものだった
      貴重なお話に感謝しているよ

      コインは表と裏があることを
      覚えておくことだよ

      幸せなとき
      嬉しいとき

      心の深層では
      その真逆への恐れが潜んでいる

      だからハッピーなときは
      「なぜこんなにハッピーなんだろう」と
      一歩下がることがコツだ

      最初は他人事のように感じるかもしれない
      誰かがせっかく祝ってくれているのに
      申し訳ない気持ちになるかもしれない

      だが「ああ幸せだ!」と
      二元性のシーソーを大きく踏み込むよりは
      あなたにとっても
      周囲の人々にとっても
      良い結果となるだろう

      あなたが下がることで
      みんなで幸せを共有できるようになる

      つまり幸せはあなたの手を離れ
      「そこにあるもの」となるわけだ

      コインを手放しているということだよ
      後ろめたさは消滅する

  10. より:

    この記事、特に好きです。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      暮らしの中で心に共鳴するものがあるとき
      それがあなたのジャンプ台となる

      なぜ響くのかを熟考してみなさい
      あなたの中の何かが
      あなたに伝えているのだよ

  11. より:

    紙とインクの羅列なのに、強く印象に残るのは、心が反応してるのでしょうね。
    しかし、同じインクの羅列なのに、心が反応したり、しなかったりと言うことは、インクの羅列にも、表現としての形があると言うことではないでしょうか
    例えば、太陽と言う言葉と月と言う言葉、或は人間と犬猫と言う言葉でも、与える印象は違うはず。
    無論、心が無ければ、区別もないし、インクの染みもないはずですが、
    インクの染み自体にも、意味が無ければ、感動したり、理論を理解したり出来ないですよね。

  12. より:

    少し話がずれてしまいました。
    たまに「本当に全ては実在しないのか?」と思うことがあります。
    インクの染みの喩えもそうだし、万象においても、実在論と非実在論を行ったり来たりです。
    「自分さんはそう言うが、自分さんの方にも何か伝えたいメッセージがあるならば、それは、自分さんが実在するからじゃないのか?」とかです。
    私がどう解釈するかとは別に、涅槃の書に伝えたいメッセージがあるとしたら、涅槃の書や自分さんは、少なくとも私の解釈世界とは別次元に存在している、、と言うのも解釈ですが。

    解釈世界(思い込みの世界・マインドの世界・過去の世界・観念世界)から出ないと、目の前のテキストの意味すら正確には捉えられないですよね。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      >インクの羅列にも、表現としての形があると
      言うことではないでしょうか

      >それは、自分さんが実在するからじゃないのか?」
      とかです。

      良い洞察だ
      なぜ良いのかといえば
      その洞察の末に、どこに辿り着くのだろう?
      そこに境地があるからだよ

      私も本も、すべてあなたの認識上に浮かんでいる
      無論、私から見たあなたの文字はある
      だがそれはあなたの世界ではない
      あなたの言うとおり
      多次元的な解釈としてもいいが
      その解釈すらも独自世界に
      織り込み済みのものだ

      つまり私のメッセージとは
      あなたが自身に送っているものとなる

      ポルノと見ればそうだし
      コメディとすればそうだ

      好きな食べ物や
      興奮する映画
      なんでもいい

      それらがなぜそうなのか

      あなたとその対象との間にある「何か」
      いつもそれが漂っていることに気付く

      それがあなたとなる

      つまり現象界としては
      あなたの世界観が
      その世界のすべてなのだよ
      登場人物も物も事件も
      すべてあなたの世界だけのもの
      つまり実在の姿はない

      「何か」があるだけだ

      深く意識を掘り下げてみなさい
      軽々と時間は超えられる
      超えるというよりも
      最初から一定の場所に溜まった
      水たまりのようなものが
      見えてくる
      未来と過去がいまここにあるようになる

      ふと過ぎったことが
      現実として起こり出す

      感情が揺れ動いたとき
      その翌日に残忍なニュースが流れる
      読みかけの本のページ数が
      殺害日時と一致する
      同じ数列の番号から電話が鳴る
      妻が「テレビ見た?かわいそう」と言う

      すべて己が作り出しているのだよ

      >目の前のテキストの意味すら正確には捉えられないですよね。
      いや、そうじゃない

      そこにテキストがある時点で
      それは起きている

      世界は出力された結果だ
      結果が先にあり、
      あなたが想起することで原因が作られる
      その原因が今度は結果となり
      さらに原因という名の結果を作り出していく

      だからあなたは物事の捉え方を逆転する必要がある

  13. komatta より:

    今はこれ、凄く共感する記事だけど、エゴも悪魔も可哀そうというか。

    龍など嫌われてたりするけど龍頭観音などの絵みると龍を成敗ではなく仲良さそうに、龍を支配って感じしませんでした。今日の私は痛み紛らわしにに頭おかしいこといってる自覚あるので気にしないでください。おやすみなさい。

    • -自分- 涅槃 より:

      komattaさん

      エゴを可哀想と言っているのはエゴだ。それはそもそもそこに存在しないものだよ。存在しないものが、そのようにあなたの心の中で叫んでいる。その幻影を超えることだ。

    • komatta より:

      変わった感性の持ち主ですが、ずっと幼い頃からライオンや蛇、また暴れまくって成敗される架空の龍や獅子や狼も動物好きなせいか、どうも。成敗とかより、なぜて、ゴロゴロというイメージが強くて。

      うちのペットも猫可愛がりいなくなるなんて考えられない、エゴでしかないと自覚はしますけど、病気になっからって捨てようなんて思わないし老衰になっても捨てようと思いません。家族仲を取り持つ潤滑油、こちらが飼ってやってるというよりペットに守ってもらってる感覚になって我が家の神だと私は勝手に思ってます。猫ですから勝手にふるまいますが、そのあたりは好きにさせてますし、まず抱かれる時、力が抜けてる。完全にリラックスしてくれる状態になるので、うれしくて。両方が完全にリラックス状態です。ペットを撫ぜる時は内と外が完全に一致してると思えることが多い。こういうのも幻想であるのだから必要以上に情をわかすのはエゴだと頭では解るけど…。
      このあたりは難しいバランスだと思います。

  14. Aslan より:

    この記事を読んで、大日如来を彫ってみようかと思いました。
    闇のなかにあり、常に光りを灯し続ける決意の象徴としてね。

    • -自分- 涅槃 より:

      Aslanさん

      もしあなたが内側に光を灯し続けることができるならば、やがてその光が悪魔を焼き尽くすだろう。如来像の後光は、それを現している。

      シンボルを決意表明にするのは自由だが、それを拠り所にしないことだよ。やがて「足りなく」なる。

  15. cube より:

    お久しぶりです。

    有料会員にはなれず、申し訳ありません。
    なのにコメントしても良いのかわかりませんが…

    不適切であれば削除お願いします。

    この記事好きです。
    何故だかわかりませんが。

    最近、自分はどこかおかしいのではと思う事が結構ありまして。
    で、しばらく悩んでいました。
    自分の目線から見たら明らかにおかしい、でも相手は否定する。
    そんな事が続きました。
    そうこうしている内に私がいっぱいいっぱいになってしまって。
    やっぱり私はおかしいのだと心の底から思いました。
    そうすると、不思議な事に凄く晴れ晴れとした気分になりました。
    以前にも、私は心が狭いと思う出来事が続いて、それを本当に実感するとさっぱりしました。
    不思議なものです。
    でも、あれだけ続かないと実感出来ないのかと思うと少々げんなりします(笑)
    さっぱりしたものの、胸が痛いです。

    「私の目線」って当てにならない物なのかもしれませんね。
    こう書くと、また「私」が疑わしいだの裏切られてるんだだのわめきますけど。

    • -自分- 涅槃 より:

      cubeさん

      元気にしていたかね? もし他者のいない世界、つまり地球にあなたしかいないなら、あなたはどのように生きているだろう? 生まれたときからひとりだけだったとしたらね。

      最初からひとりだから、退屈だとか、寂しいだとか、もっと○○になりたいだとか、そういう思考は浮かばない。

      地球はあなたのためだけにあり、あなたが歩いたり食べたり飲んだり、寝転がったり、そういうための場所となる。

      いまは他者がいるね? そこら中にいるはずだ。「ひとり」の場合と何かが違う。何が「違う」のだろう? 彼らはあなたに攻撃を仕掛けてきているわけでもなく、ただあなたが勝手に戦っているだけなのだ。だから「違う」のだよ。

      生まれながらに備えている自主性は、あなたが「戦い」をやめたときに思い出される。あなたは自分のために笑い、自分のために歩くようになる。それは「生きる」という喜びに満ちあふれており、毎日がわくわくしてたまらなくなる。

      そこにある書類を掴むとき、自分から掴んでみなさい。そうやって扉を開くと良いだろう。

      他者のいない、この惑星に戻っておいで。

  16. 色即みっちゃん より:

    明日は今年最後の生ゴミ収集の日…。

    休みだから朝寝坊したいな…。

    そうだ!

    「夜中に生ゴミを出しちまいな…。」

    悪魔が囁く…。笑

    駄目だ!駄目駄目…。

    「構わないから夜中に生ゴミ出しちまいな…。どうせ誰も見ていないだろ?」

    なるほど…。一理あるかも…。

    駄目よ~。駄目駄目…。

    仕方ない…。

    明日はゴミ出しの為に目覚まし時計しよう…。

    [左手で襟元を掴み、右人差し指で大地を指す…。]

    降摩の印…。

    自我の悪魔に勝った…。笑

    • -自分- 涅槃 より:

      色即みっちゃんさん

      例えば気持ちの良い空の下、陽の光と風を感じて公園を歩く。あなたは最高の気分だ。だが何匹もの小さな虫たちがあなたに圧死されている。

      意識をどこに向けているかだけなのだよ。夜中のゴミなら、それがなぜ「ダメ」だとするのかね。ルールについてではなく、なぜ意識がそこに囚われたのか、ということだ。

      あなたは己の美徳に反する部分を悪魔としたが、悪魔はそこじゃない。そのコメントすべてが悪魔の弁だ。だから打ち勝ってはいないし、勝てるものでもない。

      野球ゲームの中でどうやって野球を倒せるか、というようなもの。どれだけ打率を上げても「野球の手のひら」だよ。

      理屈を超えるとき、ごく自然にゴミは”出されている”だろう。

      良いコメントをありがとう。

コメント・質疑応答

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