不死に気付く瞑想

己の不死性を見るのは簡単だ
メソッドとしては簡単
お馴染みの日々の光景に対し、

「これは記憶だ」と喝破すること

すると目の前のすべての体験は
単なる人生の回想となる

だが深い納得が起こるためには
“自分は生まれてきた”という考えを捨て
“死に向かっている”と捉えることだ

恐れてはならない
あなたが死を連れて生きるとき
生は本物となる

死は友人だ
彼はどこへでも連れて行ってくれる
彼はいろんな物を見せてくれる

だから彼と離れないことだ

そうでないとあなたは死の恐怖、
つまりあらゆるネガティブの
根源となるものに侵される

お金を失うこと
職を失うこと
病気やケガをすること
恋人ができないこと
人と離別すること

あらゆる焦りと不安を追求してみれば
すべては死の恐怖から起きていることがわかる

もしいつ死んでもいいなんて思うなら
何を失おうが一生孤独だろうが
なんとも思わないだろう

確かにそういう人々もたくさんいる
だがその多くは恨み辛み、理不尽、惨めさ
そうした絶望からの無力感によるものだ
自殺を選ぶ時点でやはり死への恐怖に侵されている

だがもしそこにネガティブ性がなければ
死を連れて生きているということであり
死を選ぶ発想すら起こらない
“死そのもの”だからだ

すべては、
始まりからはじまるのではなく
終わりからはじまるのだ
終わり(ゼロ)が先にあり
我々はそれに向かう

だからいまそこで人生の光景を
見ているということは
あなたは必ず死ぬということを意味している

死がなければ
生の回想はない
ワンセットなのだよ

すべてが回想シーンだ
あなたの人生は
リアルタイムでもなく
ダイレクトでもない

回想をただ眺めているだけ

何かに触れても
何かを味わっても
すべて回想シーンだ
すべて記憶なのだ

そうして死を連れて歩くとき
あなたの世界は一変する

何も怖いものはなくなる
あなたに影響を与えるものは消える
目の前で誰が何を言ってこようが
それもまた回想シーン

死を連れているあなたは言う
「お前は記憶だ」とね

この瞑想が深まるとき
あなたは死を超える
なぜなら死すらも回想であることに
気がつくからだ

つまり眺めているあなたは
生まれてもいないし
死ぬこともない

そして己の不死性を悟るとき
あなたの中に完全無償の愛が起こる
ずっと思い出の中にいたことに気付く

あなたが何者であり
人生の光景とはなんであるのか
その全貌が明らかとなる

 

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コメント・質疑応答

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  1. 名前のない男 より:

    こんにちは

    生に固執し死に怯えるからネガティブ性が際立つのかと思いました。だから武士は禅を修行に取り入れ「死」と向き合い友としたのでしょう。

    世界は完璧に動いているのですね。意識が全てを見せてくれています。

    理(仮に神や意識と言います。)に皆が役や本分を与えられていて、それを完璧にこなしているのですね。

    役と同一化し過ぎるのでなく眺める視点になることで理そのものになるのではと思いました。

    世界に戦争や貧困等様々な問題があっても、それは理から観れば完璧に調和が取れていることなのだと思います。
    (勿論それを解決しようとしている方々には頭の下がる思いです。)

    それらを眺める時に眺める者が確認出来ました。

    やはり問題は問題ではありませんね。

    私を馬鹿にする人も敵もいませんでした。全て思い込みでした。

    言葉や出来事の意味に囚われない様にします。

    調和の取れた世界が広がっています。拝

    • -自分- 涅槃 より:

      名前のない男さん

      こんにちは
      >言葉や出来事の意味に囚われない様にします

      よろしい
      いつも言っていることだがね
      経験すること自体が自分なのだ
      それは善くも悪くも”受け取れる”

      つまり発信の段階ではなく
      受け取りの段階ですべては決まる

      これは何を意味するかといえば
      すべての出来事に力はないということだよ

  2. komatta より:

    彗星のガルガンディア全部、見終わりました…。
    まあネタはどこのアニメやゲームにもありがちなAIやナノマシンをアイテムとして出てくる話だけど…。
    基本、ラブストーリーで明るく健全、おっとこまえ!といいたいシーンも沢山あって、最後救いもある。久々のロボット戦闘(アドベンチャー?)もので万人に勧められる系。SF興味ない女子や爺ちゃん婆ちゃんも安心してみれると。しかし…。AIと友達になるネタやら進化の話に古の遺跡やらアンモナイトでてくるやら。最終回近くなるほど鍵の話やら過去の神話の話やら。作った人もさることながら、この幾らオタク系詳しいとはいえこのタイミング解ってて皆は薦めてくれたのかなあ。よくこれおすすめチョイスしたよな…とか。

    それはともかく、おまえは過去だ!と何回かいったけど、忘れたくないいい思い出もあることながら…。殆どもう痛みもなく風呂も入れて、後、抜糸だけだけど、ふと手をみると、はっきりと糸で傷口塞がってるから。いや、これは急にできたものでないし…。と又、あほらし、ありえへん、ありえへん!に戻る。スピリチュアルと現実的な論理と一線を引くならば問題を解決やら楽にでなく単なる読み物として観てたほうがいいし…。
    自分さんの光と闇は理屈に弱い自分には比較的安心して読めました。IC、シリコンやゲルマニウム、ケイ素がもともと「石」ってのも不思議なつながりだよなあぁ…と思ってたから。

    光と闇の記事です。
    http://nehan.xyz/post-220/
    スケールがミクロもマクロもでかすぎる。
    まあ、スケールなんて人間が測るためにとりあえず決めただけなんですけど。だけどこれ動揺鎮めるまで相当時間がかかるし、新たな疑問が湧きすぎます。

    • komatta より:

      やっぱりここに辿り着くけど死から自らの記憶を振り返っている。だけど痛みは今回は俯瞰できるけど、押えないと感じられないくらい傷は回復したけど、感じますし不快とまではいかないが、それを快とも感じない。今でこそゆったり眺められるけど渦中は麻酔針刺す時間がとにかく早く過ぎてくれと願ったし、そう私個人は簡単に、記憶見てるからOK!となれない…。

      もちろん夢の私の記憶を見てるから猫や親兄弟だけでなく目の前のPCやゴミ箱、ティッシュにも有難いな、いつも気に留めなかったけど無かったら不便。ティッシュなんて本当に下らない扱いしかしてなかったのに、消毒薬あてる時、これなかったら困ったよなと。水にも空気にも大切さ有難さまでは解った。というか感じた。しかし死から見る。それなら予定調和ではないですが、もう全て決まってる事であり、私が不安を感じていても私が縫う怪我をすることは決まってて避けられなかったってことですか?分岐点は無い。変えられないんでないかなと。嫌味や不快を快に変えるには、それ別の趣味の方の話だし、そっちの道にはいきたくないし無理に感性捻じ曲げたらおかしくなる。嫌なものは避けたい。これも素直な感性。「今」は少なくとも死も痛みの恐怖も無いけれど、これ微妙に痛みあったら、この感覚を保てるかどうかも自信はないし、何でもできるという自信も生まれません。少なくとも今、この安全な場所、立場だから恐怖感じないんだなあ。ありがたいよ、この状態は程度。

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