人間であるということ

どうして春になれば
芽が出て豊穣がはじまるのか

私たちは当然のように
それは春だからとか
地球の自転軸が傾いているから
季節があるんだとか

学校で教えてもらったとおりに
理解しているけども
ではなぜ地球の自転軸が傾いているのか

それははじめからそうだったとしか
言いようがないね

 

人間であるということ

はじめからそうだったとしか
言いようのないことがあるからこそ

季節の変化があり
一年の半分は生命の誕生や生育となり
一年の半分は死への終焉となる

もちろんそれが過ぎれば
また生命の誕生がはじまる

そうして毎年
死と再生の繰り返されている様子が
大地とそこに存在するあらゆるものに現れる

古代の人々はこうした宇宙の摂理に
神性をみていた

はじめからそうだったとしか
言いようがなく
そしてただその動きに従うしかできないもの

だから天空も大地も太陽も月にも
また空気や水や火や豊穣にしても
あらゆるすべてに神々をみていたわけで

たとえば各地の古代神話でよくあるように
豊作の神は半年だけ地上にいるが
残りの半年は冥界で過ごすがために
豊かな時期と不作の時期があるのだと理解していた

現代の私たちからすれば
そんなものは比喩にすぎないと思うだろうが
ところが現代人も比喩でしかなにも説明できない

いつも話しているように
私たちは月をさす指しか捉えることができず
月を直接に語ることはできないんだ

どのように語っても
それは月そのものではなく
月をさす指になってしまうからにある

仮に子どもに
宇宙はどうやってできたの?と問われれば
137億年前にビッグバンという爆発があって
そこからどんどん膨張してるのが宇宙だよと
やはり学校で習ったとおりの説明をするだろうけども

誰もビッグバンなどみたことはないし
それははじめからそうであるとしか
言いようのないものへの説明でしかない

「でも緻密な計算や理論の裏付けがある」
といったところでそれはまさに
自分の尾を飲み込んでるウロボロスであり
すなわち自己参照をしているにすぎない

つまり古代の人々が
神によって宇宙が生まれたといってるのと
なにも変わらないわけでね

ゆえにもっと未来の私たちからすれば
「古代人ってさあ、宇宙が生まれたのは
神々の力で説明がつくとか
科学理論で説明がつくとか
そんなこと言ってたんだよ」とやはりそこでの
“説明”を棚にあげて話しているのだろうけども

むしろそうして宇宙の摂理や現象を
なんらかに見立てることこそが
人間的な営みであり

いわば人間であること自体が
そもそも”宗教的”であるといえる

それは実際
食事や交流といった日々の生活や
外に出て働くことにしても

その行為以上の何かが
意識のうちに見立てられているからこそ
同じサイクルを私たちは続けていられるんだ

なんでもそうで
長く続けられる物事というのは
その物事だけじゃ収まらない何かを
そこにみているからだろう

趣味だけじゃなく
勤労も友情も良心だってそう
絶やしてはいけない何かをみているがゆえに
「これはやっちゃいけないな」とか
「このように考えるのはやめよう」とか
まるで神の力が働いているかのように
己を自制し規律させ
そして躍動させるものがあるわけだ

つまりそうした”信仰心”こそが
はじめからそうであるとしか
言いようのないもの
それにただ従うしかないようなものへの
ひとつの”説明”なのであって

ときにそれは愛や善や情熱なんて言葉で
表現されたりしながら
己を包み込むこの永遠のサイクルに重ねるものとして
私たちは常に自分なりの比喩を見出している

つまり科学を通じて
宇宙を理解しようとする行為も実に”宗教的”であり
資本主義の世の中で何かしらの理想や目標を立てて
それを目指していることもまた宗教的にある

恋をすることなどはまさにその典型だろう

そこにみえているものと関わっているようでいて
しかしそれはそこにみえないものを前提にしている

だから人間であること自体がすでにひとつの宗教なんだ

動物は宇宙を思い巡らせたり
恋をしたりなんてしないからね

もちろんここで宗教的といっているのは
人間の認識や心的な構造そのものが
何かを信じることが無自覚な土台にあるということ
むしろ”宗教的”でなければ
そこに喜びも充実も見出すことはできないだろう

ゆえに”信仰”というのは
なにも信心深い人だけのものではなく
子どもから老人まで私たちの誰であれ
それぞれの信仰を持って生きている様子にある

その対象が不可侵の神であれ俗物であれ
それこそが人間であるということだからだ

その意味で”人間的な生活”から
苦しみを取り払うには
社会を放棄したり
人間関係を破綻させることからではなく

己がしている行為を通じて
そこに大きな何かを見出してこそにあるわけだね

 

嫌な出来事を克服するには

さてこの掴みどころのない永遠のサイクルは
私たちの”認識上”では
様々に映し出されているわけだが
どれも規則正しく循環し続けている

1日というサイクルならば
朝や昼の目覚めと生気に満ちた活動期があり
夕方や夜の休息期がある

1週間のサイクルは平日や週末といった
社会的な構造がうまく重なっているだろう

肉体のレベルでみれば
細胞の代謝のサイクルや
周期的な生理のサイクルなんかがある

月日も肉体にしても
あらゆるサイクルは
あなたが部屋でじっとしていても進んでいく

それはまた世の中の流行や噂話なんかもそう

生まれて育って衰えて消えていき
また新しく生まれては消えては生まれる
そんな永遠の繰り返し

そしてここが重要だが
大きなサイクルもあれば
そのなかに関連する
さまざまな小さなサイクルがあるということだ

大は小の集まりであり
しかしすべてはひとつのサイクルのなかにある

それゆえ小をたどれば
大なるサイクルにたどり着く

地球が自転するのは
太陽の周りを公転しているなかにあるけども
その太陽系もまた銀河を中心として回転している

そしてその銀河さえも
より大きな中心を軸に回転している

あなたの人生も同様に
小さなサイクルはより大きなサイクルのなかに
その大きなサイクルはさらに大きなサイクルのなかにある

たとえば嫌な出来事があったとして
それを単体でみればその通りの嫌な出来事だが

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