人生とは文を読んでいるようなもの

食べるにしても
重いものを持つにしても
歩くにしても
それらはそこに生じた感覚を
観ているだけにすぎない

名もなき刺激が
脳内で意味付けをされて
つまり言葉として
それを「体験」する

だから言葉に変換される以前にある
その刺激、起こり、現象だけを
感じてみることだ

するとあなたは
空間を超越するだろう
あらゆるすべてが
体に貼り付いているようになる

移動などしていなかったし
時間など存在していないことを知る

すべては言葉が過ぎていっただけ
なにも失っていないし
なにも増えてもいない

つまり私たちは言葉というドラマを
人生として観ているにすぎない

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。→ . 会員登録はお済みですか? 会員について

この記事を保存・共有できます。

Notes , , , , , , , , , , , , ,

コメント・質疑応答

会員記事のコメントは記事上ではログインしないと表示されません。
会員の方はユーザー名が入ってしまうので別名を希望の方はこちらで申請してください。
連続投稿する場合は「自分の最初のコメントに返信」してください。
記事に無関係なコメントは禁止です。良識の範囲内でご利用ください。
業者からのスパム広告を防止するシステムを採用しています。短期間内に連続投稿をするとシステムにスパム登録されてしまい一切の投稿ができなくなりますのでご注意ください。

  1. gigi より:
    このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。
    • 涅槃の書-自分 より:
      このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。
  2. aslan より:
    このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。

コメント・質疑応答

  関連記事

人生の違和感を超える
この世という幻影
不死とエゴ、そして新しい人生(4)
死後の世界に到達する
思考は脳ではなくその空間に刻まれている
性格をなおすということ
世界には私しかおらず、そして私は実在しない
何にも困らなくなるシンプルな方法