ギリギリまでなにもしない

誰もが幸せでありたいと願う。もちろん幸せの定義は様々だが、共通している部分がひとつだけある。それは焦りや不安がないということだ。

どんなに楽しいことを準備しても、何かに焦っているようでは楽しむことはできないし、愛しい人と一緒にいてもそうだね。まさに「心あらず」となる。

だから会社で嫌なことがあったからといって散財しても幸せを満喫できないのは、「そもそも幸せでないから」なのだ。

言いかえれば、そもそも幸せであれば何をやっても満たされることになる。

だから「自分は〇〇をやっていることが幸せだ」というのは、実はその〇〇が幸せの力を持っているのではなく、己が解放された心でそれに取り組むから幸せなのである。

ペットに癒されるというのもそうだね。

だがペットに癒されるという人たちの話をきいて「そうか、不幸な自分はペットが癒してくれるんだ」とすればそれは大きな間違いとなる。

つまり充足感というのは「焦りとは正反対の側にある」ということだ。優雅さや穏やかさ、優しさ、喜び、そうした一連のポジティブな発現は焦りによって真っ黒に塗りつぶされる。優雅になろうと借金地獄になって高級品を買い揃えたところでそれは何の価値もない。

だから焦りがある限り己は物事を楽しむこともできないし、焦りの対象がその物事であるなら(仕事など)なおさらである。

1.

焦りというのは居心地の悪いものだ。顔から血の気が引いて息は苦しくなり、まるで泥の中を歩んでいるような気分になる。いつもあるような何の変哲も無い物事が行く手を阻む障害物と化し、さらには自分を攻撃しているようにみえてくる。

しかしどうして焦ってしまうのだろう? 焦っていないときの物事と何が違うというのだろうか。それほどまでに「焦る物事」は巨大で圧倒的な猛威で迫り来るのだろうか。

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    • 涅槃の書-自分 より:
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