自信に染まるとき世界はあなたを導いてくれる

自信という言葉がある
これに後ろ向きになる人は
「自分」を固持している

世界とあなた
100万対1

そりゃ恐れしか浮かばない
勝ち目はない

以前も伝えたが
自分を信じるということではなく
自然を信じるということだ
つまり100万の側に己があるということ

自然を信じるとは何だといえば
循環の流れに委ねるということだ
そこに「自分」はない

あなたが現実を生きるとき
すべてが自然の法則に縛られる
重力があり
温度があり
成長や衰退がある

二元性の振り子を
行ったり来たり
朝が来て夜が来て
しあわせやら不しあわせ

カコンカコンと
振り子は揺れている

揺れに抵抗するのではなく
それそのものになるのだ
すると現実を超越し
自由に到達する

 

主体として在る

ではどうすれば自分を捨てられるのか
逆説に聞こえるだろうが
あなたが主体的になれば自分は消える

自分からものを見て
自分から言葉を話して
自分から大地を歩く

そうして自分から発することで
自分は消える

あなたはいつも見せられている
いつもしゃべらされている
そこに気が付きなさい

操り人形として生きているときに
あなたの中で「自分」が生まれるのだ
「本当はこうでありたいのに」と
人形はいつも理不尽を思っている

それは世界への抵抗
すなわち振り子への抵抗だ

これがあなたの「自分を信じる」の内訳
だから続かない
すぐにやられてしまう

自然の流れとは続けたりするものではなく
ただそこにあるものだ
それが自信だよ

 

自信=瞑想

自信はとても大事だ
それがなければ
あなたは”生”を生きているとは言えない

文字を書くにも
自信がないと見れたものじゃない
物乞いですら
自信がなかったら何ももらえない

自信とはあなたの主体性から起こり
そして世界からあなたを導いてくれるもの

あなたの思い通りの人生となる

だがそれはいまのあなたが妄想する
「思い通り」とは質が違う
エゴのプランは必ず破綻する

そうではなくあなたの内側が輝いているとき
向こうがあなたを見つけてくれるのだ
だから自分自身であることは
生きていく上で一番大切なこと

なぜなら、
やっと人生が自分のものになるからだよ

文字を書くとき
無意識にペンを走らせるのではなく
主体的に書いてみなさい

人と話すとき
自分の声を聞きながら話してみなさい

あなたが外側に操られず
“自ら”それをやろうとすれば
すべてが瞑想になるのだよ

 

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コメント・質疑応答

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  1. 愉快 より:

    そういえばさっき、相手の目を見て頷いているうちにいつの間にか会話が終わったことを思い出しました。自分が何を話したのかは覚えていないのになんの問題もなく。

    以前、ひとの目を見て話そうと意識的に頑張っていたときもあったけれど、さっきはそんなことを思わなかった。夢を見ているように動き、歩き、世界を感じている気がします。見ている主体がある。何なのかはわからないけど。

    • -自分- 涅槃 より:

      愉快さん

      それでいい
      やがてすべての「体験」は
      記憶を見ていたことに気が付くだろう

      いつも”少し遅れて”見ているのだよ

  2. ワモノ より:

    自分さんお返事ありがとうございました

    トラウマがぶり返し、朝から寝る寸前まで1日中苦しんだんですが、次の朝起きるとエゴがいつも以上に静かになっていました
    丹田に意識が集まっている感じで、午前中は自分が静けさそのものになったかのように過ごしました
    膿が出たのかもしれません
    そう思うくらい今も身体が軽いです
    同時に、主体的に生きるという感覚も掴めてきました
    主体的に生きているときって、一番安心している状態?言葉にすると上手くいえないんですが、すべての問題事、願望、しがらみから解放されているような、赤ちゃんのように何も掴んでない状態

    まさにこの手記にある自然を信じている状態だと思いました

    >あなたの思い通りの人生となる

    だがそれはいまのあなたが妄想する
    「思い通り」とは質が違う

    これも何となく分かります
    エゴには主体的に生きたときの「思い通り」を知る由もないですしね

    今までは抱えている問題に焦り、どうにかして「今」に在ろう、主体的に生きようとしていたんですが、昨日から焦りは消え、頑張らなくても主体的に生きることができています
    主体的に生きようという執着がなくなった途端、主体的に生きられる
    本当にパラドックスの世界なんですね

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      さきほど別の方にしたコメントだが

      客体だけに意識が行けば
      現実が現実となり
      主体に意識が行けば
      現実は夢となる

      >焦りは消え、頑張らなくても主体的に生きることができています
      >主体的に生きようという執着がなくなった途端、主体的に生きられる
      >本当にパラドックスの世界なんですね

      その通り
      求める限りそれは客体の檻ということだ
      主体であるということは
      意識が内側に向いているということ

      言うなれば
      目は開いているのに
      何も見えていない状態となる

      何も見えていないと感じるのは
      マインドが光景に意味付けをしないだけであり
      実際そこには
      すべてが繋がった(一)が映っている

  3. 普通さん より:

    抵抗しないなら「疲れた」「虚しい」が
    全体からのオファーですか。

コメント・質疑応答

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