あなたはずっと夢の中

あなたがナチュラルでいられる
それはどんな時だろう

その瞬間に起きているすべてに
意識的であり
目はただ見えて
耳はただ聞こえて
あなたは
ただそこに存在する

そういう在り方
ごく自然にすべてが素通りしていく
僅かな負荷もない

風に舞う木の葉のように
流れる川のように
絵画の中にいるような
そのワンシーン

魚は海で生まれて
泳いで暮らし
そして海の中で消えていく

魚が海そのものだと言えば
あなたは理解できる
距離があるからね

だがあなたはどうだい?
あなたが最初からいるそこ
あなたには近すぎて理解できない
海の魚と同じ

魚は生き延びようとする
多くの敵から逃げ
多くの子孫を残そうと奮闘する
群れから外れた一匹は
容易には生きていけない

広大な海の中で感じているのは
胸を躍らせる冒険心ではなく
生きるか死ぬか
得るか失うかのサバイバル

それがいまのあなたの世界

だから海を知ろう
敵などいないし
子孫を残そうなんて目標はいらない
あなたの泳いだ後に
いつも純粋に残されているのだから

すべては夢であることを知りなさい
あなたはベッドから目覚めても
昼間に会社にいても
ずっと夢の中にいる
眠っていることも
起きていることも
すべて夢の中だ

通りを歩く人々も
目の前のグラスも
すべて夢だ
そうして物事を見ていると
ああ、私自身も夢だ
そう気付きだしてくる

その夢を見ている者がいる
何かがずっと見ている

それが自覚
熟睡中も起きているいまも
ずっとそこにあり
あなたが右や左を向いても
それは方向を変えない
どれだけ遠くに進んでも
なぜか「それ」は同じ場所にあり続ける

すべてを司る根源だ
それを感じ取ることはできるかね
体の痛みも寒さも

幸も不幸も
あなたが気にするすべては実在しない

ただ自覚
それが見ている
あなたの奥の方にそれを感じられたならば
あなたはもう迷うことはない

あなたは肉体こそ死んでも
消え去ることはないし
あなたの目に映るもの
あなたの脳裏に浮かぶもの
それらはすべて
あなたのものだから
得るも失うもない

すべては過ぎ去っていくヴィジョン
風景という物的なものも
瞬間というカタチのないものも
同じように過ぎていく
だが過ぎていくのは人間的な解釈である
太陽のフレアの中にいると思えばいい

循環するエネルギーの流れを
あなたは現象として世界に見ているのだ

例えばあなたが歩いているとき
一体何が動いているのだろうか

自覚が想起させる現象の内訳は
あなたが一歩前へ進むか
風景が一歩手前へ来るか
そういった類いのもの

どちらであっても
あなたは「動き」と覚えてきた

だが固定された地蔵の前を横切るとき
あなたの視界を地蔵が横切るが
地蔵の視界ではあなたが横切る

一体何が動いているのだろう
そう、何も動いていないのだ

この「ゼロ人称」の視点を空という

自覚はあなたの視界でもなく
地蔵の視界でもない

その交差にあるものだ
主体と客体が消え
そこに残る関係性

目の前で両手を合わせて指を組んでみなさい
その感触
それがエネルギーだ

だが組まれた手に油断してはならない
それはそこにはないのだよ
特にあなたは視覚的に
カタチの次元に引き込まれる
主客を取り除いた後に残る関係性だけ
そのエネルギーがただそこにある
組まれた手はその錯覚

つまり「世界という錯覚」を見破れるかは
あなたの意識的な観察にある

いつも当たり前に感じていたことに
「何か変だな」と思ったときは
書き残しておきなさい

それが役立つときが必ず来るから

 


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