他者という幻想を見破る

いま言葉でこれを書いている
つまり「世界」にいる私がこれを書いている
書いている私を「私」は眺めている
世界にいる私とは何かといえば
漂う思考のことである

漠然とした「それ」があり
そこに漂う思考、
それが分離した私(思考)である
その私は思考ゆえに思考で物事を司る
思考は印象を生み
自らの印象世界を私たちは生きている

猫は可愛い生き物だ
猫は怖い生き物だ
それぞれの印象世界は異なる

あなたの世界で唯一
「思考」を持つのはあなただけだ
他者に思考を及ばせることはできない
彼らは各々の世界で思考し
その結果が「私の世界」で
風景として投影される
いわば遺跡の壁画のようなもの
影を見ている

あなたの世界にいる他者とは
「そこでそのようにそれをする」
それしかできない

あなたがどれだけ他者を変えたくても
それは不可能なのだ
今日は家族なり同僚なりと会話をしたかな
その通りの出来事があっただろう
彼らは置かれたコップの如く
そのままでしかない
他者とは風景そのもの
あなただけが思考なのだよ

私の記述もあなたの世界では遺跡の壁画である
あなたがどう主義主張を通そうが
私はあるがままにそこにあるだろう

あなたは「あるがまま」にそれを見るのか、
それとも思考でそれを見るのか

つまりは幻想の世界から抜け出すのか
どこまでも幻想の檻に囚われるのか
ということだ

 

 

 

 

 


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