愛される映画

人間は当然ながら、人間の作り出した世界を生きている。それこそが人生最大の罠であり、またそのことこそが現実変容の最大のヒントとなる。

たとえばある映画があるとしよう。その映画という枠にはシナリオがあり配役がある。

同様にあなたもいまの暮らしがあって、そこで関わる人や物事はシナリオ通りに語りかけてくる。あなたはその語りかけに答える。つまりシナリオ通りに返答する。すべては仕組まれた通りに進行する。

だから映画という枠に入りこめば、もう自由はないわけだ。

私とあなたもまた、いまこうしてあるひとつの映画のなかでそれぞれの配役を割り振られ、そして互いに台本通りのことを話している。

一切の思考も映画によって考えさせられているものだ。たとえば失恋をしたら悲しみ、出会いがあれば嬉しくなる。

1.

もしこの「映画」の存在に気づいてその外側に出たところで、やはりそこも映画のなかとなる。映画のなかに映画があるような、よくあるタイプの映画となる。

じゃあ自由というのは、どこにあるのだろう。

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