自分のために生きると世界は遅れてついてくる

今回は2つのエピソードを基に
自由について紐解いてみよう

まず私の話から

若い頃、私は多くの人が許せなかった
育った環境といえば
時代にそぐわぬ極貧な出身であり
離婚した母親はいつも不在だ
職を転々と替え
その度に転校を繰り返していた
悪臭とボロ切れ姿の私は
どこへ行っても気持ち悪がられた

母が帰ってこないものだから
小学生の私は学校の給食を持ち帰り
それを妹に分け与えていた
妹が私の分までくれというので
あまりに腹が減り
見知らぬ近隣宅へ施しを受け回ったり
草を茹でて食べていたこともある

中学になると
家賃やら生活費の支払いに追われ
学校には内緒で働きに出ていた

怒りだけの日々だったが
中華屋で皿を洗うとき
凍える寒空で新聞を放り込むとき
まるで時間が止まったような
不思議な感覚を覚えたものだ

ひとりの友人も相談する身内もおらず
すべてに反発し、
野良猫のように生きていたある日
愛を分かち合う人と出会い
彼女との間に子どもを授かった
ただ嬉しかった
18歳のことだ
狭いアパートから
私たちの暮らしはスタートした

だが真っ当な未来を夢見て社会に出てみると
40になっても親のすねかじりで
自活をしたこともない
恵まれた環境を棚にあげて
ちくちくと説教をしてくる人や
どこかで受けた理不尽を
そのまま私にぶつけてくる人ばかりだ

幼子を抱え極限の生活を送っていた私は
彼らに気持ちなどわかるまいと
いつもやり過ごそうとしていた

だが眠れない夜
いつもこんな声が響いていた

「俺を変えたければ
おまえが変わることだ」

なんのことだ?
変わるのは彼らの方であり
なぜ私がこの期に及んでまで
変わらなければならんのか

一体何を変えろというのか

そんなエゴの反発に
いつも挟まれて
激痛に襲われる腹一面と
あらゆる方面への怒り
世界は悪夢だった

どんな職場にも馴染めず
どこへ行っても追い出され
結局自力で商売を始めるしかなかった
その月の家賃すらどうしようかという時
サラ金で30万借りて
妻子とともに世間から飛び降りた

枕元には何の役にも立たなかった、
聖書と般若心経だ
濡れた痕跡がまだ残っている

以後「世のため人のため」という
誤った信条を背負い
莫大な負債を抱え人間の風貌すらも失い
その苦悩を20数年続けた後、
私はやっと目が覚めた

つまり世界は
心が作り出した幻想だと気が付いた
すべてはゲームだ

 

女性の話

先日友人たちと囲んだ食事の席で
とある女性からこんな話を頂いた

———

ずっと嫌な上司がいて
それなりに自分の意見は言ってきたのです
でも頭から否定されて
私からすれば
「何でこの人は自分のことばかり」
そのように映っていました

でも私は生活もあるし
仕事を辞めるわけにはいかない
だから意見を言いつつも
それなりに相手を配慮して
やってきました
だから余計に言いたいことが伝わらず
「で、何が言いたいの?」なんて返されて
余計にストレスが溜まっていました

「あんたのことを気遣ってるからだよ」
そう言いたいのですが
配慮している以上それも言えず
そもそも配慮なんて
自分の立場が脅かされては困るからであり
その堂々巡りの中で
理不尽ばかりが浮かんでいました
夜も眠れません

ところがある日
どうしても許せないことがあり
「もういいや」
「クビになっても全然構わない」と
そんな自分が現れて
殻が割れたように
相手を配慮せず自分自身を伝えました

なんだか世界が透明になって
いつも言葉を考えてから話していたのに
スルスルと流れるように
言葉が出て行きました

すると上司は一瞬目がキョトンとなって
「まあ私もあんたならそう言うわね」と
意外な返答が帰ってきました

———

 

あなたの子どもたち

この話の肝は最後の上司の言葉
「私もあんたならそう言うわね」だ

私と女性の話に共通するのは
「自由でなかった」ということだ
自分で鉄壁の世界を作り上げ
そこに生きていた

ある出来事が起こり
それを「自分の状況」とすることで
私たちのような人生となる

ここで書いた過去の話は
いま思い起こされる記憶でしかなく
それが事実だったかどうかの確証もない
確かに貧しかった当時の写真がある
だがそれすらも
いまここに出現したものだ

あなたも自身が置かれている状況を
疑ってみなさい
ほんの1秒前のことですら
それはあなたを惑わせる虚構なのだよ

わかってしまえば何のことはなく
世界は心の投影であり
あらゆる人々は実在しない
それ以外にどんな説明もない
ごく単純なシステムだった

さらにいえば
あらゆる人々や物事、そして自分も含め
すべては自分の一面であり
空気が肌に触れているように、
いつもそれはそこにあったように
ひとつの充満性だけがここにあるのだ

つまりあなたに対して辛く当たる人は
あなたがそうだから
そうなるのだよ

言い換えれば
あなたに教えているとも言える
正体は「あなた」なのだから

生活などの理由を付けて保身すると
その保身を脅かす人が現れる
あなたが諦めると
彼はあなたを解放する

だからと言って表面的に取り繕っても
何も変わらない
すべてはあなたの本心の投影なのだから

手を放したときに「それ」が姿を現すのだ
あらゆる伝承や娯楽作品などでも
表現されてきたことだが
それが何を意味するかといえば
すべて「あなた」だということなのだよ

「誰かのため」なんて言葉で
誤魔化しちゃいけない
自分のために生きなさい
それが自由というものだ

あなたの在り方が変わるとき
世界はそれに追従する
あなたに遅れてはなるまいと
ちゃんとついてくる

世界とは可愛いものなのだよ
あなたの子なのだから

 


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コメント・質疑応答

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  1. サボ より:

    自分さん いつも素敵な記事をありがとうございます。
    ところでいつも通りですが全然わかりません。

    >つまり世界は
    心が作り出した幻想だと気が付いた
    すべてはゲームだ

    心が作り出すとは、客観的な状況すらも(物理的事象)心がクリエートしているという意味なのでしょうか?
    それとも常識的な意味で、客観的な状況からストーリーを紡ぎだして、その人固有の状況を妄想するということなのでしょうか?

    >ある出来事が起こり
    それを「自分の状況」とすることで
    私たちのような人生となる

    ここだけを読むと後者のように思えます。

    >わかってしまえば何のことはなく
    世界は心の投影であり
    あらゆる人々は実在しない
    それ以外にどんな説明もない
    ごく単純なシステムだった

    しかし上記の部分を読むと前者のようにも思えます。

    それともう一つ

    >つまりあなたに対して辛く当たる人は
    あなたがそうだから
    そうなるのだよ

    あなたがそうだからとは、自分が自分に対してつらく当たっているからという意味ですか?

    • -自分- 涅槃 より:

      サボさん

      それらの質問だが答えは同じ
      すべて私の見ている世界だということだ

      私が世界を見るのをやめれば
      世界は私を見ることをやめる

      私が世界を白と見れば
      世界は私を白と見る

      対の関係とは
      一なるものを意味する

      あなたが社会生活上に不幸を感じるなら
      社会はあなたに不幸を与えてくる

      別のものとして捉えるから
      人は足掻いてしまう
      そして世界はよりダークに染まる

      幸福になりたいのならば
      世界にそれを探すのではなく
      あなたが幸福になることだ
      すると世界はあなたを幸福にしてくれる

  2. マリー より:

    自分さん、こんにちは。
    自分さん自身の過去のお話を初めて目にして
    自分さんが少しだけ人間的に近くに感じる事が出来て、
    内容にますます納得する事が出来ました!
    これからもたくさんのメッセージ待ってます。

    • -自分- 涅槃 より:

      マリーさん

      こんにちは
      私はあなたの中の人だよ
      つまり私の歩んできた人生とは
      あなたがいまここで
      それを聞くために起こったのだ

      それはあなたとて同じ
      その見性に到達しなさい
      世界から境界は消える

  3. ONEPOINT より:

    手記の内容とは少し異なりますが自分さんの回顧録を読んで
    私の人生と照らし合わせてみると苦難の只中にあっても
    目覚めの萌芽は出ていたことがわかります。

    それは一瞬で消え去ってしまったかもしれないけれど
    目覚めはいつが始まりと言えないものなのかなあと思いました。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん

      そう、常に目覚めの種は
      寸分先にあるが
      誰もが見て見ぬふりをする

      なぜなら
      それはリスキーだからだ

      あらゆる意味での危険性を含んでいる
      だがそこへ向かいなさい
      何も金銭の賭けに出ろとか
      そういう話じゃないよ

      日常生活の中ですら
      選択の繰り返しだが
      人はいつも安全な方、
      つまり過去の生をもう一度生きる
      だから何も変わらないのだよ

      見性を備えるには
      覚悟が必要だ

      それはいまを生きるということだ
      すなわち覚悟を決めたとき
      すでに悟っているのだよ

  4. スーパーリッチ より:

    涅槃さんありがとう。いつも読んでいるよ。
    過去の記憶。あなたと同じ。でも手が離れなかった。
    エゴが許さなかった。苦しんだよ世界が敵と泥棒だもの。
    今も過去から手が離れていない。もうエゴが許せばいいのに。
    この世界は俺の本心だ。
    優しく暖かく生きたかった。自分の為に。
    ありがとう。真実を教えてくれて。

    • -自分- 涅槃 より:

      スーパーリッチさん

      こちらこそありがとう
      あなたとの出会いに感謝している

      エゴは許しはしない
      なぜならば
      罰することがエゴの本質だからだ

      エゴは世界を裁き
      そしてあなたを収監する

      >優しく暖かく生きたかった。自分の為に。

      あなたが主体的に生きるとき
      優しさは後でついてくる

      先に求めてはならないよ

      いまからはじめればいい
      人生はあなたのためにあるのだ

  5. みっちゃん より:

    中学生の時に親が離婚、原因は父親の母親に対する暴力です。怒りが沸いた僕は父親を待ち伏せして鉄パイプで襲いました。それが引き金で離婚に至りました。
    高校生になり夜中まで働く母親を見るのが嫌で中退して働きました。
    結婚したのは二十歳の時です。妻が脳の病になり二回の手術、貯金もなくなりかけました。このままでは食べさせられないと判断し手に職をつける為に特殊木工業に転職しました。家族に金銭面での苦労はかけてません。
    子供が中学生を卒業するまでは普通の幸せな家族でした。
    突然の二人のせがれの強烈な反抗期や突然の妻の家庭放棄でガラガラと幸せな家庭は崩壊しました。
    裁判所に離婚調停を起こしました。子供の生活を守る為に、まだ妻のことは愛してました。
    離婚後に一人の女性と知り合いました。末期癌でした。二人で青春時代のような恋愛をしました。
    彼女の死の一週間前に初めて人妻とわかりました。彼女には、俺を騙してたのでなく 、言えなかったのだろ?と答えました。
    死後三年過ぎた今も愛しています。彼女の家族の心情に配慮し墓参りには行ってませんし、お墓の場所も知りません。
    自分の部屋に花を飾り毎日、お線香をあげてます。
    最近自分で思っていることがあります。
    今度は自分を愛してみよう…。
    長文失礼しました。

    • -自分- 涅槃 より:

      みっちゃんさん

      >最近自分で思っていることがあります。
      >今度は自分を愛してみよう…。

      よろしい

      私たちの一面を
      あなたはその生で見ている
      もし悲しみと決別したいならば
      外側に愛を求めず
      あなたの決意通り、自分自身を愛することだ

      だがそれは利己的あれということではない
      それは必ず理不尽、惨めさを生み出す
      間違えないようにしなさい
      それは何度も繰り返してきたはずだ

      もう沢山だろう?

      これまでと違う自分を生きることに
      人は抵抗を持つが
      一体何を失うというのだ?
      自由でありなさい

      あなたが幸福であるとき
      周囲に花が咲き乱れるのだよ

    • みっちゃん より:

      まず自分を愛してみて、そこで得た体験を皆と分かち合いと思います…。

      自分は幸せな人生を体験していると思ってます…☆

      涅槃さん、ありがとう…。

  6. ワモノ より:

    そういえば自分さんってどんな人なんだろう?

    と今日の朝ふと思ったところでした
    そのタイミングと手記の内容に少し驚いています

    いつも同じ視点から手を変え品を変え丁寧に真実を教えて頂いているおかげで少しずつ真実に近づけている気がします
    ありがとうございます

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      私はあなたの人生の登場人物だ
      ゆえに私の経験は
      あなたが聞くためにある

      つまり
      私が手記を書いているとき
      あなたは私について考えている

      目に見えた形で現れなくとも
      すべてはリンクしているのだよ

      あなたが悟れば
      その世界は悟る

      私の悟った世界に
      あなたがいるようにね

      まあ人生については
      少々クレイジーであることだ
      その方が楽しいだろう

  7. スチックゼノール より:

    いつも読ませていただいてます。
    今回の手記を拝見して思うのは、絶望しなければ、針が振り切らねば、そこに至ることができないのではないか、ということです。
    そんな経験のない凡庸な私にもそれが分かるだろうことを期待します。
    しかし、すべてを絶望したとき、私は、自分が絶望しきっていることを知らないでしょう。
    絶望するとは、水の中で水を汲んでいることに気づくことですね。
    私はすぐにそれを忘れてしまいます。。

    • -自分- 涅槃 より:

      スチックゼノールさん

      はじめまして
      >絶望しなければ、針が振り切らねば、
      >そこに至ることができないのではないか、

      多くの場合はそうだ

      なぜならば、最初から現実に生きており
      そしていまも現実の中だからだよ

      つまり希望通りに行かない=絶望だから
      釈迦も達磨もイエスも
      過酷な旅に出た

      だが誰もが気付いてしまう
      希望ゆえに絶望があるということだ
      すなわちすべては己の中、
      仏性が開眼するとき
      絶望などなかったことがわかるのだよ

      誰もが悟りという天秤そのものだが
      自ら振り子になっているから
      己の仏性に気が付いていないだけ

      その思い込みを脱するには
      主客の関係に鍵がある

      先日書いた話だが
      再掲しておくよ

      主体と客体の関係に鍵がある
      客体だけに意識が行くと現実が”現実”となる
      主体に意識が向けば現実は夢となる
      主体と客体の間柄に意識が留まれば
      全ては消えて行為に入ることになり
      主体と客体のどちらにも意識が行き渡れば
      ワンネスとなる

  8. 五月雨祭 より:

    >世界はそれに追従する
    確かに。
    鬼を追いかけなければ鬼ごっこは終わりますね。

    • -自分- 涅槃 より:

      五月雨祭さん

      そう、概念が現実を作り出している
      幸も不幸も
      すべての責任は己にあるのだよ

  9. OK より:

    自分ー涅槃ーさん

    初めてコメントを差し上げます。OKといいます。ブログを以前より拝読させて頂いています。いつも、ありがとうございます。

    私には、時としてなかなか難しい内容にも思われるのですが、何とかその伝えようとされておられるところを理解したいと思っています。

    本来は、一読者の立場を守ろうと思っていたのですが、今回の記事で、自分ー涅槃ーさんが、壮絶な過去を経験してこられたこと、「世界は自分の子供」ということが、心にずしん、ときて、コメントを差し上げた次第です。

    私事にかかるのですが、私は病身(うつやアトピーなど)のため、40代になっても自らの生活を成り立たせていくことができないでいます。

    若い時分に研究者・作家になりたいと志を立てて、目標を実現するために努力してきたのですが、現実はといえば、全く想像もしていなかったような八方塞がりに近い状態で、心身の健康や経済面等々、「苦」の真っ只中にいます。

    もはや、何を改善し、何をすればいいのかさえよくわからない状態ですが、それでも一筋の光明を求めてさまよっています。

    世界が自らの心の投影であるならば、一体この状況は何なのだろう、と呆然とする思いです。

    もしよろしければ、自分ー涅槃ーさんの視点からのアドバイス等が頂けましたなら幸いです。

    「涅槃の書」のブログは、人生相談を行う場ではないだろうと分かってはいるのですが、なけなしの勇気を振り絞ってコメントを差し上げました。(もし、この場に相応しくない内容とのご判断でしたら、ご削除をお願いいたします)

    どうぞよろしくお願い致します。これからも、「涅槃の書」が、多くの方に希望を灯す道しるべになるよう祈念致しております。

    拙文をお許し下さい。

    OK拝

    • -自分- 涅槃 より:

      OKさん

      はじめまして

      あなたは「理由」を持っているから
      そこから話を勧めていこう

      まず病気を治すには治療をすることだ
      完治しなくとも
      それに向き合っていくことだよ
      経済に対してもそう
      都合や不都合を考慮せず
      できることを探し
      ただ向き合っていればいい

      大事なのは
      自他の比較による理不尽や不幸ではなく
      病院や医師、治療法、
      そしてあなたの前例となる患者たち
      それらが「あなたの世界」にいることに
      気が付くことだ

      誰もが自分の世界に於ける在り方を
      取り違えている

      まだきつく聞こえるかもしれないが
      あなたが病気になれたのも
      その世界があるからなのだよ

      それを認めない限りゼロとはならず
      その苦は続くだろう

      あなたが世界に応答するとき
      そのとき病状や経済状況はどうであれ
      あなたから苦は消滅する

      >私は病身(うつやアトピーなど)のため、
      >40代になっても自らの生活を
      >成り立たせていくことができないでいます。

      >現実はといえば、全く想像もしていなかったような
      >八方塞がりに近い状態で、心身の健康や経済面等々、
      >「苦」の真っ只中にいます。

      すべては現象(結果)がそこにあり
      理由は後付けとなる
      ゆえに、単にその状況がそこにあるだけなのだ

      一度「自分」を外してみると良いだろう
      ノートなどに書いてみなさい
      あなたは物事をまとめるという特質があるから
      容易なはずだ

      自分を外して世を眺めたとき
      道が一本延びていることがわかる

      それが見えたら
      そこを歩きなさい
      ゆっくりでいい

      あとは世界が勝手にやってくれる
      これまで40年以上、そうであったようにね

  10. いがっく より:

    自分さん
    はじめまして。
    いつだったか、このブログに出会いました。
    不安に押しつぶされていたような過去でした。
    このコメントを書きながら私はその過去を認識しましたが、
    静寂に映る幻想です。

    いつも、ありがとうございます。
    素敵なブログです。

    • -自分- 涅槃 より:

      いがっくさん

      はじめまして

      >不安に押しつぶされていたような過去でした。

      過去はあなたではない
      「過去らしき記憶」がいまそこにあるだけだよ

      >静寂に映る幻想です。
      その通り

      つまりあなたは
      いまここで生まれたばかりだ
      常にそうであり
      そこに気が付くことだ

      現時点で抱えている物事も
      それらを含めて「あなたの誕生」なのだよ

      だからそこから自由になろうとすると
      あなたの中で分裂が起こる
      それが苦悩だ

      そうではなく
      その中に自由を見つけなさい
      すべてを纏うのだ
      苦手な人も問題事も何もかも
      服を着るように
      あらゆるすべてを「自分自身」にしなさい

      背負い込むのではなく
      それを着るのだよ

      やがて境界は消え
      苦悩は消滅するだろう

      ありがとう

  11. はなこ より:

    自分さん。こんにちは。

    私は暴力とモラハラの家庭で育ちました。
    気付けば不安と恐怖と緊張の毎日でした。
    幾つも病気を経験したし
    生きることに何度も絶望もして来ました。
    幸せそうに見える他人を羨むばかりでした。

    でも違ったのですね。
    私が私のために生きていなかったのですね。

    昨日瞑想していたら1つ思い出しました。
    藻掻いて苦しんで死んでもいいと思った数年前、
    仕事から帰宅して呆然とただテーブルを見ていたら、
    部屋の中が絵画のように見えました。
    その時、あぁ何だ…全部あるじゃん。あるしかないじゃん。
    ないが無いからあるだけの世界だったんだ。
    そんな風に思って安心して眠りについたのです。

    でも結局翌日には元の世界に戻ってしまったので、
    そんなことがあったことさえすっかり忘れていました。

    それはもう何年も前の話ですが、
    数ヶ月前にこちらに辿り着いた時に、
    訳も分らないまま夢中で読み続けて、
    この前自分さんに返信いただいた時、
    何故か何処かで分っていたように思えたのは、
    私は過去に一度思考が無い世界を体験していたからなのですね。

    最近も悪状況の中でも、不安と恐怖でぐるぐるしても、
    気付いた時に意識を内側に向けることを心掛けています。

    続けているうちに何となく思いました。
    常に足に痛みが走ることと、
    私の幸せは全く関係ないのではないかと。
    痛み≠苦悩。本当に繋がっていないのかも。

    このまま瞑想を継続してみます。
    長文になってすみません。
    どうもありがとうございます。

    • -自分- 涅槃 より:

      はなこさん

      こんにちは
      あなたが自分のために生きると
      その周囲に花が咲き始める

      あなた以外の人々は
      あなたから見て結果の世界に生きている
      描かれた一枚の絵だ

      昔あなたが諦めたとき
      それが垣間見えたようにね
      それはいまも同じ

      つまり世界から変えることはできない
      変わるのはあなたの方だ
      あなたが変われば世界は変わる

      有名な伝承があってね、
      どこかの王が家来にこう命じた
      「全土を裸足で歩けるように革を敷き詰めろ」

      そんなことは無理だと家来たちは言ったが
      王は「じゃあワシの足を痛めろというのか」と
      夜も眠れない日々を送っていたそうだ

      「大地は何と痛いのじゃ」と
      世界を呪い
      絶望に暮れる日々
      どれだけの革が必要で
      どれだけの時間が掛かるのか
      それを自分の余生と天秤にかけては
      溜息ばかりだ

      この話は何だといえば、
      すべての問題が解決され
      世界を自分の色に染めてはじめて
      幸せになれると勘違いしている人々への
      メタファーである

      そしてある日
      有能な家来がこう言ったそうだ
      「王よ、あなたの足裏に革を敷けばOKでは?」

      クールだ
      世界は瞬時に革張りとなった

  12. サボ より:

    自分さん 最近はたくさんのコメントが付き忙しいにもかかわらず、いつもありがとう 何か心の中が明るくなった感じです。

    • -自分- 涅槃 より:

      >サボさん

      >何か心の中が明るくなった感じです。

      あなたが自分の質問や私の返答の内容に
      囚われないようになる、つまり
      「あらゆるものはその通りだった」
      ということに気が付くとき
      世界は明るくなる

      自分自身を生きることだ
      そこに戦いがあれば戦えばよい
      「人生を遊ぶ」のだよ

      ありがとう

  13. OK より:

    自分ー涅槃ーさん

    初めてのコメントにも関わらず、ご丁寧なご返事をありがとうございました。

    病や経済面に関して、自分なりに向き合い、治し、改善していこうと思います。

    >大事なのは
     自他の比較による理不尽や不幸ではなく
     病院や医師、治療法、
     そしてあなたの前例となる患者たち
     それらが「あなたの世界」にいることに
     気が付くことだ
     誰もが自分の世界に於ける在り方を
     取り違えている
     まだきつく聞こえるかもしれないが
     あなたが病気になれたのも
     その世界があるからなのだよ
     それを認めない限りゼロとはならず
     その苦は続くだろう

    ……そうですね。この世界を現象させている、自らの中にある、その根本となるものに気づいて、それを手放せるようになりたいです。

    >すべては現象(結果)がそこにあり
     理由は後付けとなる
     ゆえに、単にその状況がそこにあるだけなのだ
     一度「自分」を外してみると良いだろう
     ノートなどに書いてみなさい

    さっそく、ノートに書き出してみました。「自分」というものが、過去の記憶とストーリー、未来への願望といったものによって構成されていることが分かったように思えます。この「自分」を外せれば、一回転した、「私そのもの」にたどり着けるような、ノートの白紙部分に戻れるような、そんな気がしています。

    >自分を外して世を眺めたとき
     道が一本延びていることがわかる
     それが見えたら
     そこを歩きなさい
     ゆっくりでいい
     あとは世界が勝手にやってくれる
     これまで40年以上、そうであったようにね

    はい。ありがとうございます。様々なことがあったけれども、長い年月、世界が「私」をここまで運んできてくれました。自分を外して見える、一本の道、そこが長年、「私」が探し求め続けていた、「自由」へと至る道なのかもしれません。

    お忙しい中、自分ー涅槃ーさんには、貴重なご助言を頂き、大変感謝しております。

    この度は、本当にありがとうございました。

    OK拝

    • -自分- 涅槃 より:

      OKさん

      「主体」と「客体」に意味はなく
      その関係性が重要なのだ
      だからあなたが興味のある分野は
      「なぜそうなのか」を深く感じてみることだ
      そこにあなたのカラーがある

      意識とは光のことであり
      光は無限の色彩の集まりである

      私たちが生きている毎瞬とは
      カラフルな中で色を
      選択し続けている状態となる

      いまコバルトブルーならば
      世界もあなたもそうなのだ
      本書も同じ
      そしてあなたの特質もそこに現れる

      もちろん、コバルトブルーという”名称”が
      あなたというわけではないよ

      名もない、意味もない、理由もない、
      意識の中のひとつの”色味”が
      あなたの生きている現実だということだ
      その色味自体には
      ポジティブもネガティブもない
      ただそういう色がそこにあるのだ

      だから自由自在に生きていたいならば
      物事や感情という「内容」に囚われず
      色味を知ることだ

      あなたがブルーならば
      それはイエローではない
      ならばブルーを全うすればよろしい
      色が変化したなら
      それに流れるがよい
      色の変化はノートに書き出すことでわかる

      つまりあなたが自由になろうと
      するのではない

      自由はそこにあるもので
      そこに流れることが自由なのだよ

      こちらこそありがとう

  14. はなこ より:

    自分さん。お返事ありがとうございます。

    伝承を教えてくださってありがとうございます。
    私も王と同じだ…と思いました。

    難しく考えすぎていたのかもしれません。
    瞑想をしていると幸せを感じられる。
    条件・状況・環境全く関係なく、今幸せ。
    その時間を増やしていく。
    私が変われば世界も変わる。
    困難はもうお腹いっぱいなので、
    信じてやっていきます。

    いつも素晴らしいアドバイスありがとうございます。

    • -自分- 涅槃 より:

      はなこさん

      よろしい
      大事なのは自分自身であるということだ
      あなたが自分を生きるとき
      苦悩は苦悩ではなくなる

      先の伝承は
      他者は実在しないということを意味する

      あなたの世界には
      あなたしかいない

      その広大な空間で
      自在に人生を遊び続けていいのだ

      足に革を敷くだけで
      それが可能となる

  15. Minnie より:

    この女性の話と同じような展開で問題が解決しました。
    ただ、ストレスから解放されたものの、この関わりの中で、やっていこうという気持ちにはなれない。問題が起こった時に、一度は諦めることができたのにかかわらず、願ってしまったから。いつまで、来ない返事を待ち続けるのだろう。

    今、連載中の信じる力が自分を救うも面白いですね。
    でも、既存のルールを変えること、読み方を変えること、理解するのが難しいです。
    何を信じて生きていけばいいのか、わからない。
    自分が絶対、大丈夫ということ、それだけは信じられます。それだけで十分なのかな?

    • 涅槃の書-自分 より:

      Minnieさん

      >何を信じて生きていけばいいのか、わからない。自分が絶対、大丈夫ということ、それだけは信じられます。それだけで十分なのかな?

      あなたは自分自身以外のなにを必要とするのかな?

      そのように自分に問いかけてみるといい。ならば裸のままで一歩を踏み出すことができる。

      その一歩が出たならば、あとは流れていくだけだ。

コメント・質疑応答

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