無限が形を生み出すとき
たとえば「いま勤めている会社をやめることができたら、やりたいことがやれるのに」と誰もが考える。やりたいことができないのは、拘束や生活のしがらみのせいであるというわけだ。
ところが実際に会社をやめてみたり、より時間的な制約が少ない職業へ移って、じゃあやりたかったことができてるかといえばそうでもない。
確かに最初のうちは環境の変化の勢いに乗って、その準備に取り掛かろうとしたけども、目の前に開いたそのあまりに広大な自由の空間は、いったいどこから手をつけて良いのかわからず、ただ途方にくれるばかりとなるわけだ。
ここで理解することがある。
まずその広大な自由の空間、それが死であるということだ。
1.
それは地面に水を撒いているようなものであり、水は勢いなく、力なく、ただ方々にひろがっていく。この水があなたの魂であるとするならば、何の形を創り出すこともできない。
会社をやめていざ広大な大地に立ったところで、何をしていいのかわからないのは、それはあなたが形になれていないからだ。そうなるとただ焦りに急かされるようになる。
インターネットの溢れる情報に飲み込まれる人たち、また欲望や快楽に自制を失う人々も同じ。彼らは己を「実りある個体」にすることができず、「これじゃだめだ」と焦りにあるけども、そこからどうしていいのかわからない。
その焦りとは、死という「満たされた大海」に抵抗して、海面の波がジャンプしようとするようなものだ。
ブログをやっているがどのように書いていけばいいのかわからない、という相談がよく来る。書きたいことはたくさんあるのに、いざ真っ白な画面に向き合ったとき、その「膨大な書くべきこと」に溺れてしまうわけである。
すると「何かを書かなければならない」といういプレッシャーに追い詰められるようになる。ますます書けなくなる。これは会社をやめて自由な時間を手にした話と同じものだ。
だから何かを形にするには、まず己の魂を「生きさせなければ」ならない。
2.
では「生きる」とはなんだろう。
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