正義という影

幸せになりたいと人は言う
だがそれが何であるのかを
わかっていない

「幸せである」とは
「不幸ではない」ということだ

つまり幸せそのものは存在しない

たとえば善悪もそうだ

誰もが「善という心」があるから
悪が存在すると思っている

だがその善とやらは
いったいなんだろう?

人を助けることが善ならば
じゃあ困っている人の悪事に加担するのか
自分を犠牲にすることならば
じゃあ全財産をすべて渡せるのか

善を問えばこうして必ず
壁にぶつかってしまう

だから善も幸せも
ポジティブな側が先に立つのではない

ネガティブな側が先に生まれるのだ

不幸にならなければ
あなたは幸福になる必要はないし
誰かを悪だと思わなければ
あなたは善になる必要もない

つまり対極を生みだすから
そこから逃れ続けなければならないのだ

だが人々はこの錯覚に気づかず
自我というものを育ててしまう

 

1.ルサンチマン

たとえばわがままばかりを言う人や
何もしていないのに睨んでくる人
徒党を組んで誰かをバカにしている人
エレベーターの密室でわざわざこちらを
正面から観察してくるような人に
あなたは「なってないやつだ」と感じる

もちろんそう感じるのは
「自分は正しい人間だ」という
思いがあるからだ

だがあなたは本当に正しい人間なのだろうか

どうやってそれを証明するのだろう?
なぜあなたは自分が正しいと思うのだろう?

それは自分とは真逆の
横柄で自分勝手な人々を
「正しくない者」とみているからでしかない

彼らを「そう見る」のは
自分が世間と協調することを美徳とし
他者を尊重して
自分のストレートな意見を言わず
見ず知らずの人を正面から
まじまじと見つめることもしない

あなたがそういうタイプの人間だからだ

ゆえに真逆のタイプを愚かなやつらだと
糾弾するわけだが
それは自分が堂々と生きられないことへの
ジレンマが根底にある

我慢して生きているのに報われない
誰にも感謝されない
誰も守ってくれない

自分はただ理不尽で惨めであり
自由な言動に生きている人が
偉そうに見えるだけでしかない

そうして肌に合わない人々を
「正しくない者」とする

そうではなければあなたは
「自分が正しい人間である」
と言うことができない

この原理をよく理解することだ

つまり自分が正しい者であるためには
誰かを「正しくない者」にしなければならない

ニーチェはこれをルサンチマンと呼んだ

 

2.誰もがいじめっ子?

このルサンチマン心理は
集団いじめと同じものだ

自分が標的にされたくないから
弱いものを作り上げて
みんなで攻撃する

「自分はあんな弱虫とは違う」
なんて思いながらね

あれ?と思うだろう

日頃自分が「正しくない者」たちに
脅かされた被害者だと思っていることは
いじめる側と同じ心理なのだよ

つまり状況によって立ち位置が違うだけで
誰もが同じパターンを繰り返しているだけなのだ

それが無意識な人間の本性であり
こうした人間界の愚かさから抜け出るには
自分がなぜ「正しい者」であるのかについて
問わなければならない

人がこのような傾向を見せるのは
いまに始まったことじゃない

17世紀にデカルトが
「判断できることこそが人間の証だ」と
理性主義(合理主義)を打ち出した

つまり理性的であることが
正常な人間であるということだ

だが自分が正常な判断をしているのどうか
不安になった民衆は
自分が「正常であるため」に
物乞いや売春で生計を立てている人々、
また精神の病を持つ人々たちを
「やつらは異常だ」と言って
町から隔離するようになった

それまでそうした人々は
みんなと仲良く暮らしていたのだ
精神の差異は
個性の違い程度でしかなかった

まして当時は精神弱者たちは
逆に神聖な者としてさえも崇められていた

だが理性主義の流行に人々は
「己の正常さ」を証明するために
彼らをその踏み台にしてしまう

そうして「正常」を獲得したのだ
つまり正常とは正常にあらず
対極を作り出すことでその地位を得る

ナチスのユダヤ人迫害が始まって
それまで親しい間柄だった友人に
突然手のひらを返したように
裏切られたというユダヤの人々の話もそうであるし

私たちの身近で言えば
都会を歩いていて自信喪失になったときに
自分よりも時代遅れの服装の人を
見つけて安心をするだとか

先に書いた
通りすがりに睨むとか笑うとか
エレベーターで見てくる人とか
結局はみんな自分を正当化したいのだ

だから「あいつは愚かだ」と言う”やる側”も
「あいつらは愚かだ」と言う”やられる側”も
実は同じ心理にある

こうした心理が起こるのは、人は常に
「自分は正義である」
「自分はノーマルである」と
思い込んでいるからだ

それが揺らぎ始めると
パニックになる

だが正義であるためには悪を必要とする
正常であるためには異常を必要とする

ゆえに悪は常に存在し続けなければならず
つまり自分がノーマルであるためには
「いつも不安でなければならない」のだ
これが不幸の原因だ

そして不幸であるから幸福を目指すけども
幸福など「存在していない」から
永遠に幸福に包まれることはない

このスパイラルから抜け出すには
「自分も含めて誰もが異常」であることを
受け入れなければならない

この見解を第一段階としたときに
次の第二段階が見えてくる

すわなち「異常も正常もない」ということだ

 

3.惨めさは幻想

あなたが惨めな気持ちでいるとき
それはつまり自分が正義であり
自分を惨めに貶めた相手が悪だという
構造がそこにある

だが聖なる光は万物に
平等に照らされている

つまり誰かを「悪という建物」にするから
自分に「正義という」ができるのだ

ゆえにその誰かが悪いのではない
己の正義心とは負け犬の遠吠えに過ぎない
惨めさや不幸は自分で作り出しているのだ

もちろん誰かの言動により
被害を被ることはあるだろう

人間だけじゃなく
動物も植物の世界も
そんなことは日常茶飯事だが
人間だけが「恨み」を持つ

恨みの正体とは
外側に向けられた正義のことだ

もちろん相手の過失を
見過ごせというわけじゃない

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