マリア

家にいて
何かしたくてうずうずしてるのに
何をしていいのかわからない

とりあえず何かをやってみるけど
なんだか違う気がする

もっとエネルギーを燃焼させたい
そうだ、それができるのは
きっといま持ってないものだ

そんな感じで
いらぬ浪費をしたり
何かを手にいれただけの満足で終わったり
同じ繰り返しをしてるんじゃないかな

何かがしたくて落ち着かないというのは
よくわかる

誰もが経験していることだからね

もちろんジョギングをしたり
お風呂に入ってリフレッシュしたり
それなりの”解消法”を持っていたりもするだろう

それはとてもいいことだ
そうした肉体的な発散は特に効果が高い

だがときには腰を落ち着けて
精神面での充足や発散をしたいなら
あるコツがあってね

それは「心酔してみる」ということだ

 

陶酔と心酔

言葉の微妙な用法の違いは
あまり気にしなくていいが
似た言葉に「陶酔」というのがある

自己陶酔といえば
自分にうっとり酔ってるような意味だったり
美的なものに浸るというニュアンスにある

酒に酔うというのも陶酔感としてよく表現される

だから陶酔は受動的な満足であるのに対して
心酔はそれとは逆に
能動的に満たされていくような感じとなる

つまり何かに心酔するというのは
自分から心を向けていって
その対象が秘めている何かを見出すこと

たしかに美的なものに惹きつけられるのは
陶酔に似ているが
しかし心酔は反応的なものではない

その意味では
注がれる情熱や愛好心や
何かへ熱狂するといった言葉も
同じグループにある

アイドルやアーティストでもいいし
諸々の趣味やペットとの時間や
また生活や仕事への理想に対してもそう

それらに反応的に満たされようとするのではなく
そこに”何か”をみて
夢中になってその何かを追い求めている様子が
心酔してるということだ

その意味では陶酔は自己満足だが
心酔は”自己不満足”であるがゆえにこそ
その穴を埋めようとエネルギーが燃焼されていく

つまりこれが精神面での発散となるわけだね

 

彫刻

たとえば16世紀イタリアの芸術家だった
ミケランジェロの彫刻作品のひとつに
「サン・ピエトロのピエタ」がある

あとで検索してみてほしいのだけども
たびたび手記やコメントでも採り上げるこの作品は
当時24歳の彼がノミを握って
一枚の大理石から削り出したものだ

息絶えて十字架から下されたイエスを抱く
母マリアの姿を表現したこの作品を前にしたら
キリスト教を知らない人でも感銘を受けるだろう

もちろんミケランジェロは作品に寓意を持たせている

それゆえマリアがあまりに若々しいことや
その統合的なバランスのために
イエスがやや小ぶりに表現されていることなど
つまり現実的な事情をあえて無視して
多義的なメッセージを作品に込めた

たとえばこの作品をみて
思わず息を飲んでしまうのは

イエスの聖性というよりも
過酷に生きた我が子の亡骸に
悲しいながらも深い慈しみに浸る
ひとりの女性の姿であるはずだ

作品の解釈のひとつとして
“幼いイエス”をみつめている彼女のまなざしに
その後の歴史を知る鑑賞者の目には
将来のイエスがみえてくるというのがある

そうした可逆的な時間効果によって
鑑賞者である私たちの誰もが
自分の人生を重ねることができるのであって

キリスト教的にいえば
誰もが”神の子たち”であることを
作品の比喩のうちに感じ取ることになる

つまり実物を前にして多くの人々が涙を流すのは
そこにイエスを通じた己をみるからだ

しかしなにより偉大なのは
なんでもない石から
この美しい作品が現れたこと
であり
今回の話の要点はそちらにある

 

天使があなたを救い出してくれる

もしあなたがピエタに惹きつけられるならば
もちろんそれは
“石”に対してではないだろう

同じような石は他にもあるのに
じゃあどうしてこの石だけなのかとなるからね

それは言うまでもなく
ミケランジェロが与えた美しさが
この石に宿ったからだ

つまりピエタの美しさというのは
石が持っていたのではなく
“彼のまなざしのなか”に見えていたもの
すなわち、彼自身が持っていたものにある

たしかに彼は以下のように話している

──

どんな石の塊も内部に彫像を秘めている
それを発見するのが彫刻家の仕事だ

──

だがどうして彼だけがそれを発見できたのか

つまり彼は”自分の仕事”をしていたわけで
心酔というのはこのことそのものにある

それは彼がなんでもない石のなかに
“己の清らかさ”を見出したように

──

私は大理石の中に天使を見た
そして天使を自由にするために彫った

──

あなたにとって
なんでもないこの世界に
“天使”を見出せるならば
あなたはとても癒されるということだ

恋愛なんてまさにその典型だね

どうして恋したその相手だけが
あなたを惹きつけるのか

それはあなたのなかにある奥深さ
つまり美しさや喜びや
そんな汚れなく尊いあなただけの光が
なんでもなかったその”石”を照らしたとき
素敵なものがみえたからだ

そうして「掘り起こすプロセス」そのものが
溜まりきった澱みを浄化してくれるわけで
それこそが精神の燃焼となる

実際彼もこう言っていた

──

美しいものを創作しようとする努力ほど
人間の魂を清めてくれるものはない

手にノミを握っている時だけは気分がいいんだよ

──

もちろん彼は超一流の芸術家だったが
精神を癒すには決してそのような
才能や技量が必要なのではなくて

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