流れるように生きる

私たちが最も勘違いしているところ、それは「自分が何かを話している」と信じているという点にある。誰かと会話をしているとき、またひとりで心のなかで考え込んでいるとき、それは本当に”自分が”話しているのかよく観察してみることだ。

言葉が発されるとき、それは必ずその直前に現れている言葉の関係として起こる。

つまり何もないところに言葉はうまれない。ひとりで考え事をしているときも、その切っ掛けとなる何かがそこにある。

それは心の問答の連続でもあれば、何かを見たり聞こえたりした体感的なことからかもしれない。どちらにしても心のキャンバス上に「現れている言葉」に対して次の言葉が繋ぎ合わされていく。

ただしここで理解しておくべきは、繋がれていく言葉は、前の言葉の「意味」に限定されず、言葉の持つ響きや雰囲気にも連なっていくということだ。

1.

韻を踏んで繋いでいく日本語のラップのようなものをイメージするとわかりやすいかもしれないね。断片的な言葉で飾られる詩などもそうだ。それらの進行は連想的であり、たとえ文法としては正しくないとしても、形式を超えた調和やリズムがある。

レールのうえを電車が走り続けていて、連想のたびにレールチェンジされていくように、言葉というレール上を電車(自己意識)が走り続けているのだ。

だから決して事物に沿う形で自分が話しているわけではなく、己の口から発せられる言葉が”気にかけている”のは、その周辺にある言葉のみであるということ、つまり日頃私たちが思っている「自分が言葉を話している」というのはであり、言葉が次々と連想連結されて、その上を「自分」が流れているということである。

よいかな、人間の「主体」は日頃の言葉にあるということだ。先導する言葉によってできた水路を己は流れているのである。

2.

言葉は生き物であり、次々と仲間をみつけていく。

このことを理解するとき、人生のある解決がみえてくる。これは発話だけではなく日常の生活全般においてもそうであるからだ。つまり充実した生の秘訣(幸せの連鎖、不幸の制止、つまり「ドミノ」の秘訣)がこの原理に隠されているというわけである。

たとえば物事が順調に運んでいるとき、

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。→ . 会員登録はお済みですか? 会員について

この記事を保存・共有できます。

Notes , , , , , , , , , , , , ,

コメント・質疑応答

必ずお読みください
・会員記事のコメントはログインしないと表示されません。
・会員の方はユーザー名が入ってしまうので別名を希望の方はこちらで申請してください。
・連続投稿する時は自分の最初のコメントに返信してください。
・記事に無関係な投稿は禁止です。良識範囲でお願いします。
・他の利用者を勧誘する行為、扇動するコメントは禁止です。その意図がなくても事務局でそのように判断された場合はその箇所を修正削除させて頂く場合があります。予めご了承ください。
・スパム広告対策にセキュリティを設定しております。投稿後に承認待ちと表示される場合がありますがしばらくすると表示されます。

  1. Minnie より:
    このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。

コメント・質疑応答

  関連記事