失敗の神と成功の神

「失敗をバネにする」みたいな
前向きな言葉があるけども

たしかにこれまで私も紆余曲折しながら
少しずつ道が開けてきた

人生の方向を決める大きなことから
日常の小さなことまで
(たとえばはじめて使う調理道具での
料理は大体は失敗する)

車の整備も楽器の演奏にしてもなんでもそうだが
前回の問題点を精査したり
己の無意識なバイアスに気づいてみたり
そうして試行錯誤を経て
その新しい秩序をものにできるようになる

もちろん私たち誰もが直面する
多種多様な人間関係にどう向き合えばよいのか
また本当はどのように生きたいのかといった
人生の根本的な指針についてもそう

つまり
「向こうに行きたいのに
どうして引き戻されるのだろう?」

そのように問うことから
いずれ活路を見出すのだけども

しかしそれは言いかえてみれば
古い自分を捨てるということに他ならない

“向こう”に行けないのは
固定観念やなんらかの思い込みが
邪魔してるからであって

たとえば学校で教わる授業なんかも
本当はすべてのことを最初から知っていて
だが盲目になってしまっている己の目を
いかに開いてくかといったスタンスで挑むほうが
最良の運びとなる

実際どのような高度な学問であれ
“私たち”が生み出したものであるのだからね

あなたという個が出現している
この広大な次元そのものに意識を解放することは
詰め込み的に記憶させていくだけでは
成し得なかった偉大な何かに気づくことができるんだ

 

弱ったバネ

というわけで
失敗の経験は大切なんだけども
ところが注意しておきたい点がある

それは失敗を正当化しすぎるのは
そのせっかくの経験を台無しにしてしまう
ということだ

たとえば「失敗をバネにしよう」だけども
この言葉にはどこか排他的な印象がある

つまり前回失敗した方向を避ければ
その避けた方向が成功の道だ、みたいなね

たしかに失敗したことで
違う方向の道を選択するだろう

だがその道を超えて”向こう”に達するには
つまり失敗を「バネ」にするには
まさにそこに
あの失敗したときの苦い思いがなければならない

それがないとバネが弱くなってしまい
高く跳ぶことができないんだ

たとえそれが正解の道だったとしても
“向こう”に至るには勢いが足りず
戻されてしまうわけだね

 

失敗の神と成功の神

だからこういうことだ

大事なのは
失敗や挫折といったものを美化したり
反面教師的な期待を向けたりするのではなく
失敗の経験に畏怖の念を持つことにある

神社で祀られてるなにかのように
近づきがたいものとして畏れ敬うこと

いいかい
あなたが未熟で計画や詰めも甘くて
それゆえ失敗や挫折をしたわけだが

その到来はいわば
あなたの初々しい船出を
容赦なくひと飲みにした大波のようなものだった

失敗をバネにするというのは
己の夢や期待を一瞬で玉砕する巨大なエネルギーに
次は背中を押してもらうことであり

だからその力を恐れて逃げてはならないし
またあなたの勝手な操作で
その力を卑小なものに置き替えてはならないんだ

なぜなら
「失敗は成功のもと」といわれるのは
あなたの船を破壊する力と
あなたの船をはるか遠くへ押し出してくれる力は
実はまったく同一の源泉だからにある

2度と味わいたくない苦い経験があるだろう

だがその経験の数だけ
あなたは成功の波を掴めるだけの
素地ができてるんだ

告白して振られたときの動揺や
不採用通知が届いたときのショック
人前で大恥をかいたり
分不相応な役回りで大失態したこと

そうした経験を
「よし次も頑張るぞ」といった程度では
同じ失敗を繰り返すに留まるだけ

むしろそうして
失敗や挫折を正当化する心には

・あの恐ろしい出来事を避けたい
・もう2度とあんな思いは嫌だ

そんな逃げの気持ちが込められてる

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