この世は手段を選ばない

会社の仕事を終えて家に帰ると
幼い子どもたち
または一緒に暮らしてるペットが
あなたをみつめているとしよう

そんな光景を少し想像してほしいのだけども
ではその純真な眼差しが
意味しているものはなんだろうか

ここで2つの解釈に分かれることになる

ひとつはこの子たちを守るために
自分はもっと頑張らなくてはならないという
強迫観念であり

不透明な将来に向けて
ひたすら前に進み続けなければならないと
そんな不安な思いに支配される

当然頭のなかは他人や物事と
うまく渡り合っていくにはどうすればいいか
未来の計画がいつも張り巡らされているわけだ

 

“この世”があなたに思っていること

ところでそうして”苦しむあなた”を
子どもたちや動物たちは
どんな気持ちで眺めているだろうか

主人であるあなたのそんな姿をみて
まるで自分たちがいるおかげで
苦しめていると思うのではないかな

これはたとえで話しているのではないよ

もちろん”幼い子”や”動物”が
そのような具体的な思考をもって
気遣ってくれるということではない

そうではなく
“この世”はあなたの思いをどのように受け取るか
ということにある

当然あなたが苦しんでいる姿を
この世は放っておくことはしない

なぜなら”この世”自体が
そもそもあなたの体験のなかにあるからだ

じゃあ子どもやペットたちが
“自分たちのせい”で
あなたを苦しめていると受け取るとき
なにが起こるのだろうといえば

それはこの”あなたの世界”が
あなたの苦しみを軽減させようと
動きはじめるということだ

 

この世はあなたのためなら手段を選ばない

だからといって
「そうか、苦しむほど救われるのか」と
手放しで喜ぶことはできない

むしろその逆で不幸な顛末となる

たしかにいま抱えている苦悩は
抱えなくてよくなっていくだろう

というより
抱えるものが”なくなる”ことになる

しかしそれは
いまのあなたの世界を構成している物事が
崩壊することを意味するんだ

たとえば大切な存在が去ってしまったり
また会社や家庭など
頑張らなければならないとしていた対象が
災厄に見舞われるなどして破綻する

するとたしかに以前抱えていた苦悩は
もう存在しないが
より過酷な苦しみを背負うことになる

もちろんそうして背負う苦しみが
どんどん大きくなっていくなかで
世界に対する理解が
これまでと変わるかもしれないし
(これは後述するふたつめの理解にある)

また人は失ってからその大切さに気づいたり
何もできなくなってから
何でもできていたんだと気づくわけだが

そうしてすべてが崩れ去ってから
ようやくゼロの地点を見出すかもしれない

だからここで覚えておくことは
なにがきっかけであれ
自分を苦へと追い込むようなことはしてはならない
ということだ

人生の出来事はすべて
“あなたの心の反映”だということを
忘れないでおこう

 

やはり世界は”あなた”を守ってくれる

ではふたつめの理解とはなにか

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