自分らしくある

どんな教えにも
自分らしくありなさい
そのように言われる

自分らしくある、とはなんだろう

相手の都合を考えず
自分のことばかり押し通すこと?
誰それ構わず
優しく接してすべてを背負うこと?

そうしてあなたはまた
二元性のバランスが取れなくなる

自分らしくある

このシンプルな言葉は
とても「理解」がし難い
ニュアンスが含まれる

少し逆転させてみよう

自分にとってラクな状態が
本来あるべき姿だ

苦がない様子
つまり「抵抗感」がない状態のこと

あなたが生きているとき
何らかの抵抗感がある
それがストレスであり
あらゆるネガティブの発生源だ

その抵抗する何かを捨て去ると
あなたはラクになる
常にリラックスした瞬間を
楽しむことができる

それは何かを求め得るものでもなく
何かを積み上げていくものでもない
まして、あなたが
上位の何かに
進化しなきゃならないものでもない

得るのではなく
捨てるのだよ
捨てることがあなたに
フィールグッドをもたらせてくれる

では自分らしくあるという話
それは自分を捨て去るということだ
だから「理解」できるものじゃない
理解をするのは自分自身、
つまりマインドだからね

マインドが理解をするとき
それは何かを求めて得るようなもの
そうじゃない
捨てるのだ

捨てるとは
それが「ない」ということ

一切の打算や損得、判断、執着
そういうものが「ない」という状態に
あなたが入るとき
その心に抵抗が消える
マインドが脇に置かれるようになる
あなたはありのままの世界を
生きることになる

ありのままの世界
それがありのままの自分ということ
つまり、自分らしくあるとは
世界をそのまま流している状態のこととなる

せき止めている自分を捨てなさい

あなたは
そこでそうしなければ自分は守られない、
そのように不安になっているが
そのマインドを消滅させなさい
あなたが自分を守ろうとしないとき
あなたは世界に守られる

ひとつ良いアイデアを与えよう
何か消すことのできるもの、
消しゴムでもいいし、除光液でもいい
エゴイスティックな思いが浮かんだら
消しゴムをイメージしてシュシュッと消す

また浮かんだら、消す
それを繰り返すのだよ

「そんな想像だけで‥」と思うだろうが
実際に目の前にある消しゴムは
あなたが「消すものと思っている」から
存在しているのだ

そうして世界のすべては役割を与えられる
すべてあなたのイマジネーションで作られている

だから物質界だろうが精神界だろうが
どちらも同じ
現に、消しゴムとはどんなイメージかね?
それが答えだ
あなたは消しゴムをそういうものだと思っている

それはマインドにも有効だよ

 

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コメント・質疑応答

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  1. 困ったさん より:

    自分さんの本を置くが良く分かれません
    昨日、何回か読み返していたら自分さんの「時間を越えて幸せになる」記事が先頭にきてたからなんとなく開くとオメガとアルファ記事にされてましたね。

    単なる自動循環か自分さんがおそらくこう関連付けるだろうと気をきかせて上げてくれたのか(後者なら凄いお人だと思いますが)なんにしろこういう不思議なシンクロはよく起こります。特に重要と感じてないことに対してよく起こる。
    けれど重なるだけ。そこから新しい展開が望めるといえばそうではない。

    全ての固有名詞を捨てればある程度のフィーリングは感じる。目の前のパソコン、かぶってる布団、母親、扉、蛍光灯。その全ての固有名詞を捨てればある程度境界線がぼやけます。

    私はわたしが神というよりは単なる神のセンサーな気がするのです。
    神は自らの完全性が解らない。
    ゴキブリもアシタガ軍曹も気持ち悪いが嫌いとはならない。それは対等でなく殺そうと思えば殺せる強者の立場があるからと、アシタガ軍曹は益虫だからゴキブリはその生命力に。その見た目おぞましい姿を作り出した神の精巧さ精密さに驚くときはある。部屋にでたそいつらはキャーとなる存在だけでなく芸術的になれば部屋のひとつのオブジェ。芸術家は死体さえ美しい。それが腐敗して骨となり大気や土になる様子さえ完璧で美しいと。なんとなくは解ります。芸術的な視点を持ってたら。絵画や音楽が好きな感受性の高い人は、ふと、そうとれるかもれません。その完璧な美しさを神は自ら感じ取れない、またどれだけ美に対しての比較対象として醜悪なものが作られてるか。科学で超えることのできない、神の精巧さ、巧みの技を感じ取ることも出来ない。だからその代わりのセンサーデバイス。

    でもセンサーに無限の力があるわけでないので。私は神の仕事を、あくまで量ることしか出来ない。本来の私が神だというけれど本当に本来のわたしは神なのか。単なるセンサーデバイスでしかないのでないか。その証拠にどれだけフィーリングが広がっても、手の甲をつねれば痛いし意識は自分に向く。お腹は勝手にすいて何か食べたいと思う。いかん、金が無い。働かねばと思う。マインドはすぐに個の生活に振り返らせる。

    大きな地震が起きて「おお、素晴らしい、これぞ芸術、全てが神の意思。破壊と創造の起点」なんて中2病哲学者のような事をいえるとも感じるとも思えない。

    本来の私が世界なら世界を自分の望ましいように変化できると思うけど自分の望ましい世界をと望むのはマインドだからそれは無理。
    ただ起こる事を見るだけが本を置くという意味ですか。
    仮に私の世界が黙示録ベースなら黙示録は変えられないけどそれが素晴らしいと
    感じられるようになるということですか。自分の個々の生活に夢中になってて黙示録を意識することさえ忘れれば私の世界から黙示録が消えるってことですか。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん

      >なんにしろこういう不思議なシンクロはよく起こります。
      >特に重要と感じてないことに対してよく起こる。
      >けれど重なるだけ。そこから新しい展開が望めるといえばそうではない。

      あなたが意識を外していることは
      世界にとっての秩序がスムーズに流れゆく
      それはすでに体験しているようだね

      エゴの利己主義な都合は
      世界の循環を司ることはできない
      それどころか
      循環を止めてしまう結果となる

      だからあなたが何かを望む限り
      常にあなたの思い通りにならないような世界となる
      それを人は不幸という

      本を置く、とは
      あなたが特に重要と感じていないことに対して
      いつもしていることだよ

      あと、あなたのアルファとオメガの定義は
      どのようなものかわからないが
      私は「すべてが円環のものとして在る」ということ
      その表現として使っている

      始まりも終わりも
      あるわけでもないわけでも
      どちらでもない
      すべて繋がっているのだよ
      リングのようにね

      だから始まりは終わりであり
      終わりは始まりなのだ

      時間の進行があるわけでもなく
      静止しながらアルファはオメガであり
      オメガはアルファなのだ

      いつ海は干上がる?
      海面は上昇し雲になり雨が降り川となり
      海へ還る

      ではどこか始まりで
      どこが終わりなのかね?

      すべてはそれと同じだ
      あなたは生まれてもいないし
      死ぬこともない

  2. より:

    スピリチュアルや自己啓発に、好きなことをやりなさいみたいな事が書いてますが、それはエゴなのか或いはマインドによる流れの阻害を解除した状態(自然な状態)なのか、判断が出来ません。
    楽になる方がマインドの荷を降ろした自然な常態なのでしょうが、それは結果論でもある。
    スピリチュアルや自己啓発は、目標を持てとも言うし持つなとも言いますね。
    対機説法なのじゃと言う説明がされますが

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん

      例えば5分後に死ぬとしよう
      ここでは死は訪れるものとする
      対機説法だ

      さてすでに4分50秒が経過した
      あと10秒
      9秒

      カウントダウン

      あと3秒、2秒

      1秒‥

      いいかね?
      ゲームオーバーだ

      さてあなたの生とは何だったのだろう?
      見たり聞いたり
      悩んだり

      生きている間はそれらの解決を求めていた
      もっともっとと
      いつも求めていた
      そして手に入れることはできないものも
      多くあった
      あなたは悔やむ
      どうして手に入れられないのだろうかと

      だが死のカウントダウンで
      あなたは気がつく

      悩んでいたことは
      経過ではなく
      それがゴールだったのだ

      つまり常にゴールにいたということ

      いまもそうだ
      あなたはその不完全であると考えているその状態
      それこそがパーフェクトなのだよ

  3. より:

    何をするのが良いのかわからず、答えが出ず、煩悶している状態で完全と言うことでしょうか。
    1+1= と言う状態ですね。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん

      答えを求めないとき
      そこに残るのは、式だけだ

      つまりあなたが自分自身を求めないとき
      残るものは、世界となる

  4. より:

    エゴイスティックでいいと思うんですけどね。

    問題が起こったとき、私の場合は自分が気に入る方法で解決できない場合は、面倒なのでそこから離れる選択をするけど、
    情熱を持って(自分にストレスを感じることなく)相手や周りに変化を求める行動をするのはかまわないと思います。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>幻さん

      変化を求める行動が起きているのは
      世界だ
      その世界を止めるなく流すことが、循環である

      あなたの誤解は
      それがエゴイスティックであるという理解だ
      それは間違っている

      例えば、ナポレオンでもいい
      最近のIT関連の青年実業家でもいい
      彼らのある側面だけを見ている人は
      とても批判的だ

      あんな自分中心なやつは見たことがない
      自分がよければそれでいいのかと
      彼らからすれば、とてもエゴイスティックなものに見えるのだろう

      だが当の本人達はエゴの欠片もない
      ただ身体が赴くまま、道を進んでいるだけだ

      蚊はただ生きているだけだ
      何もあなたを邪魔しているわけじゃない
      だがあなたはとても邪魔に感じる
      なんでいまから瞑想するときに
      わざわざ蚊がくるんだ、とする
      なんでいまから録音するときに
      ちり紙交換のスピーカーが響くんだ、とする

      彼らはエゴなのだろうか
      あなたがエゴにしているのだ

      彼らは、そして世界のすべては
      あるがままに在るのだよ

      エゴとはあなたの中にだけある
      そのエゴを解放するとき
      あなたは世界の救世主にも「なっている」し
      凶悪犯にも「なっている」のだ

      ただ起こるがままに委ねなさい
      そこにエゴはない

  5. より:

    エゴから解放されたら凶悪犯になっているのはいかがなものか
    ならば世界と言うのが信用出来なくなるのもむべなるかな

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤
      凶悪犯という言葉に判断をしている、
      いまそこにいるものがマインドだ

      だからあなたはまた要点を逃している
      なろうとしてなるのではない

      気がついたらそうなっているのだよ

      「気がつく」がマインドの機能だ
      だからすべては結果の世界となる
      つまり言い換えれば
      あなたはすでに完成された状態にあるということだ

      己の中にある一切の判断や基準を捨てなさい
      あなたのコメントには思考だけが漂っている

  6. 困ったさん より:

    ですが自分さん、判断するなといっても
    エゴなくして凶悪犯なるのはそりゃ嫌です。エゴがあって凶悪犯になるのにブレーキかけれるほうがマシな気がする。
    それが解ってるなら自らリセットかけたい人のほうが多いと思うのですが…。

    世界の救世主なんてのも責任重そうだし御免こうむりたい役柄ですが殺人鬼はOBゾーンです。

    アメリカの連続殺人鬼の話など見ると
    哀しいかな生まれてしまうようです。
    もともとは優しい性格の持ち主だったのに片親で母親が売春婦、そして折角、人生のチャンスがあったのに潜在的に組み込まれてしまったのか妙なシンクロから
    救われず苦悩したまま連続凶悪犯になる話を一時、見てました。皆、なろうと思ったわけではない。

    フセインも元は優しい子だったけど家族、身内にとことん恵まれなくて、唯一の親友の馬が亡くなった事で全てが変ってしまったとか。

    漫画でありがちな話だけど、以前、蟻の生態の話で人間と被るところがありました。人間でいうニート役は蟻にもあるらしいです。一定の働き蟻がいると一定の働かない蟻がでる。働かない蟻が働くようになると一定の働き蟻が又、役柄を交代するように働かない蟻になる。

    この世界は色んな表現で色彩豊かなドラマが生まれるから、殺人鬼という役柄も大きな視点で見たら必要かもしれません。それを負う警察の話も殺人鬼がいないと生まれない。
    だけどそれを大きな視点で見てしまえるのは自分がそこまで関わりが無さそうな日常と違いすぎる遠い世界だから。

    両親が天才的頭脳を家族にも境遇にも恵まれて愛情をもって育てても役割を指定されてしまえばそうなってしまう人もいる。

    米国の有名殺人鬼は本人も余りにものタイミングの悪さに悲観して苦しんで苦しんで最後、牢獄で亡くなったとか。
    本人も気づいてたらしい、罪を犯してる間、半分な冷静な自分がその行為をみつめててなぜか冷静で、誰かにさせられてる感覚があったそうな。つかまった後は聖書にはまり、ずっと苦しんで最後に夢に天使がでて救われたそうな。役割だったと気づいたらしい。

    エゴエゴでも節制で止めれるなら、
    そんな役ごめんこうむりたいですよ。
    なりたくてなったわけじゃないなら余りにも救い無しだ。願いが叶わないだけでなく「なりたくない者になる」これだけはどこかでブレーキかけたいのですがエゴから開放されて凶悪犯になるならエゴの判断でブレーキかけたほうがマシです。

    救世主はエゴを解放すればなれそうですが凶悪犯はエゴに従わないとなれそうにないイメージなんだけれど、そうでなくその役割を多々ある表現の為、ほかの色を極めさせる為生まれるにしたとしてもエゴエゴで凶悪犯になることに運命にあがなえるならエゴ様さまな気もするのですが・・・。

    凶悪犯が悪い、不正解でなく幸福そうなイメージが一切、浮かばない。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん
      そうではないよ
      凶悪犯になるのはあなたではない
      そしていまそれを考えているのも
      あなたではない
      あなたは「自分がそうなったらたまらない」と思考している

      そしてその以降の思考を
      あなたはツラツラと書いている

      いいかい
      バケツをひっくり返して頭から被っている
      それがいまのあなただ

      そしてこう言っている
      「前が見えません、助けてください」

      私は言う
      「バケツをとりなさい」

      だがあなたはそれが理解できない
      「何のことを言っているのかまるでわからない」

      それはそうだ
      あなたはいままでずっと
      バケツを頭に被って生きてきた
      その薄暗く狭い空間で
      様々なサバイバルをしてきた

      どうすれば解放されるのだろう
      そう願って
      いろいろな手を打ってきた

      だがそれはバケツの中だ
      あなたの見ているものやら思考することまで
      すべてバケツの内側に書いてあるものを読んでいるに過ぎない

      バケツを取るということが
      バケツそのものが思考だから理解ができないのだよ

      だがそれはできる
      思考は己ではないということを気付けばいい

      その思考はあらゆる連鎖の末に
      そこに発生したオブジェクトであること

      何一つ「考えていること」などなく
      ただ思考という形あるものが
      そこに置いてあるだけなのだよ

  7. より:

    凶悪犯になるのが自分ではないと言い切れるのは凄い。
    この肉体が殺人を犯したのであり、私が犯したのではないと。
    この肉体が縛り首になるのであり、私が縛り首になるわけではないと。
    そこまで達観出来るんだろうか。
    麻原しょうこうとかはそんな風に思ってそう。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん
      それは達観ではない
      そして凶悪犯になることを望むものでもない

      ひとつ聞こう
      いまのあなただ
      時計を見なさい

      何時何分何秒かね?

      その時点のあなただ
      それは望んだ結果かな
      もしかするとこう言うかもしれない

      「そうですよ、この職を目指して現にこうなりました」

      よろしい
      だがその職とやらは
      それを目指す何らかのきっかけがあったのではないかね?

      そのように自分の現在地を確認しなさい
      どこにもあなたの自由意思などないのだよ
      すべては流れるがままに流れ着いている
      その到着点が「いま」だ

      だから凶悪犯
      彼らは望んでそのようになったのではない

      だがひとつ覚えておきなさい

      あなたはいま凶悪犯かね
      そうじゃないだろう

      つまり凶悪犯というのは
      実在しないのだよ
      あなたという世界の背景に過ぎない

      その背景に対して
      あなたは「凶悪犯になった彼はきっとこうだった」と
      まるで自分ならこうだったと置き換えて考える

      誰に対してもそうだ
      今日会話を交わした人

      今頃何してるのかな
      そのように考える

      いいかい
      あなた以外は実在しない
      あくまであなたが関わるときだけ
      そのシーンの要素として出現しているだけだ

      だからあなたが生のままに進み、あるとき
      あなたが人を殺めていたシーンがあるかもしれない
      それは流れのままに在るのだ

      だがね、あなたがそこまで凶悪犯を「否定」するならば
      それはあなたには起こらない
      あなたにとってありえない話だからだ
      それは現実として起こらない

      時速100kmで走るようなものだ
      それをありえないとすれば起こらない
      だがその可能性があるとすれば

      そうなる

  8. 困ったさん より:

    自分さんが仰ることもよく解るのですが・・・。
    >>「自分がそうなったらたまらない」と思考している

    この辺りは流石というか抱えてる不安を的中された気がしました。

    「なりたくない者になってしまう」は
    あり得るんです。幼少の頃の夢や憧れの世界は大人になるにつれ砕かれて次第に現実的になる。けれど大人になれないことはそう悪いことではないけれど、理想が高すぎる振り子の反動かなってしまうんですよ。自分の幼少のイメージに中高で、ちょっと遊んでる友達なんて想像もつかなかった。もちろん父の病死もです。別に家庭環境の所為にはしようと思ってません。けど小学生からの親友が中学で急に悪くなった影響にも流されて
    元々、気弱で悪さといっても親が忘れたテーブルに置いてある50円、100円を盗む程度の姑息な子供で親が怖くて逆らう事も余りできなかった自分が煙草も吸い夜遊びもした。当時は周囲も同じようなグループだったから、それが当たり前だったと思ってたけど後になって考えれば、何故、どうして絶対になりえもしない子になってしまったのだろうと。
    煙草なんて大嫌いで身内が吸ってると今の嫌煙者以上に露骨な嫌い方してたのに。また今の自分のような生き方だけには成りたくなかった。現実ばかりに縛られて頭でっかちで全てが中途半端。
    幼少の頃あこがれて夢中だった漫画のヒーロー、ヒロインとは悪玉こそいってないが対極に近い存在になってしまった。私を中心としてて私は見るレンズでしかなく周囲がクルクル、回る盆提灯に描かれた絵柄だとしても。中の動いてない電球も電力が弱いのか点灯する。
    レンズの曇りと呼ぶ人もいるのかも
    けど「なりたくないものになる」って本当にあり得るんです。

    本当に泣けてくるほど(自分だけかもしれないけれど)洗脳にも誘惑にも弱いんです。快楽殺人犯にはなりにくいかもしれないですが老後、年をとってお金の事が理由で身内同士で骨肉の争いからの障害事件などもよく起こってます。

    食欲さえうまくコントロールできない自分がいよいよ、自らの境遇から余裕が持てなくなって犯罪を犯す可能性はいくらでもある。映画のような凶悪犯を想像してしまうからピンとこないのであって。

    「衣食住足りて礼節を知る」という諺があるように、犯罪者にも誰だって本当に成り得ちゃうんです。お釈迦様のように
    清貧でも素晴らしく感じられるほどの達観してる人ならともかく、それはやっぱり悩みます。

    自分さんの仰ることにまだ頭で理解はできても体感として感じきれてないから、反論めいた意見になってしまってすみません。
    けど一つだけ、エゴとモラルって同じなのでしょうか。スピリチュアルではよく同じように解釈されるけれど・・・。
    自分さんも凶悪犯になってない。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>困ったさん

      あなたのその起こっている現実
      それを見てるのは誰なのだろう?

      あなたにとっての全てだということだよ

      私が何を説こうが
      どこかで何を聞こうが
      すべてあなたの世界のオブジェクトに過ぎない
      そこに気が付きなさい

      あなたが日々抱える思考も出来事も
      何もかもが
      あなたの中で起きている

      あなたの中で起きているのだ
      すべてあなたの中だ

  9. より:

    そのあなたは、全体性のことですよね。
    あなたとか私と言う言葉は個別性を意味するので、誤解を生むような気がします。
    書を読む限りどうしても、理解しようとしてしまいます。
    マインドの出番です。
    でも、それは常に誤解が付きまとう。どんどん理解は複雑になり実践が遠退いていく。
    日常生活を送るに当たって何か簡単な心構えみたいなものはないでしょうか。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん
      スピリチュアルの世界に踏み入れると
      最初は「私」「自分」「あなた」という言葉が
      「分離」であると知る

      だから隔てることが苦であると知る
      それが自我を捨て去るファーストステップ

      本書も読者の程度に合わせて
      そのように表現する

      分離
      分離
      分離

      と暗示のように語りかける

      だがそれはね
      単なる知識に過ぎないのだよ

      いずれ
      「分離」であると知る、が
      「分離であると知る」まで
      カギ括弧が拡大する

      それが到達である
      そこに起きているものが「それ」なのだ

      だからあなたが「誤解を生んでいる気がする」ならば
      そこにあるのは「誤解」ではなく
      まして、その「理由」でもなく
      「誤解を生んでいる気がする」がただ在るのだよ

      ところで
      マインドを認識できるようになってきているようだね
      心構えとするならば
      マインドを見ることを習慣にすることだ

      いずれあなたは「自分」が自分ではないことに気がつく

コメント・質疑応答

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