“自分”がマインドであることを知る

「個人」と「全体」という二元性がある

いまこの瞬間
受容
それ
真我
涅槃

いろいろな表現があるが
それは言葉で全体への帰還を
誘おうとするものだ
だから言葉自体には意味はない

しかも「いまここ」と連呼する度に
その効能は薄れていく
あなたが初めて手に取ったとき
それは輝いていた
だが光は失せていく
もう同じ輝きはない

だから無数の言葉が生まれていく
本書での最新トレンドは
「ここにあるものだけで充分」だ

これもいずれ力を失う
なぜならば「個人」という世界
つまりマインドが理解を始めるからだ

この支配的メカニズム
まるで古いSF映画のような
情報統制された完全管理下の世界

スチームが立ち込む薄暗い近未来世界で
あなたは光を求めてさまよっている
希望と絶望が織り成す虚しいドラマ
それが「個人」という世界だ

何千年の歴史の中で光を得た人々がいる
釈迦やイエスなら名前を知っているだろう
古い文献を辿れば
実に多くの名前が出てくる
姿形として残されている人物は希だ
だがそこからはその思いが見えてくる

思い─

例えばボーディダルマ(菩提達磨)の像を
ウィキペディアで見ることができる
杖を手に持ち、赤いローブに身をくるみ
憂いのある表情で何かを見上げている

無論、像は誰かが作ったものだ
制作者の思いがデザインされている

だがね、
その像の表情から受けとることのできる
ボーディダルマの思い
それは明らかに人間的であり
つまりマインドの住人であり
儚い何かを放っている

イエスの描かれた絵画も各種仏像もそう
すべてが憂い、とても儚い

彼らが残した言葉も伝記も
それはとても人間的である
“人間”として生きてたことが読み取れる

さて、あなたの「覚者」とはなんだろう?
無感情で無思考な生命体?
スーパーヒーロー?
それともマジシャンかね?

ボーディダルマは王子として生まれた
だが人生の空虚、そして死という恐怖
つまりマインドの世界で追われ続けていた
そんな日々の中
とある女性に導かれて教えを受け開眼する
彼は伝導者として旅立つことを決意する
隣の国、中国へとね
3年かけて数々の山を越える過酷な旅は続いた

どこまでが実話かわからないが
そんなことはどうでもいい
あなたが聞いたこと、それが本当でも嘘でも
すべてあなたの経験した真実なのだ

何かを見上げている彼の姿
それは旅の途中なのだろうかね
いくら巨漢だったとはいえ
地球という巨大なフィールドの中で
その小さな人間の姿は何を思っていたのだろう

思い─

覚者は思いに包まれている
マインドの人であるということ

だが大切なのは
マインドの人であるということを
知っているということだ
多くの人はそれを知らない

自分がマインドであるなんて
気が付きもしない
「自分とは自分である」
誰もがそのように”考えている”のだ

だが覚者はそうではない
自分はマインドであることを見ている
意識が「個人」と「全体」を
往来してはじめて
「個人」を悟ることができる

個人←→全体のように振り子が揺れる
それが覚者といわれる”様子”のこと
釈迦もイエスもマハーヴィーラもそうだ

振り子が揺れることで
ここは『心の世界』だ、と知るに至る

つまり統制下のSF世界で暮らす
「私」を眺めている
だけども世界は同じ
それを知っているから覚者はみな
憐れみの目で人々を見る

苦しみも悲しみも束の間だが
喜びも束の間である
すべては過ぎていく

誰もが思いを沈めようとする

魂よ静まれ
荒波よ治まれ、とね

あなたが個人と全体の振り子を揺らし
それを続けることで
梵我一如という境地に到達する

だが間違えてはならないのは
揺らし続けなければならないということだ
釈迦ですら「全体」の側に
留まることはしなかった
それはありえないのだ
全体に留まることはできない
それは個人の消失を意味する
彼は弟子に教えを説いていた
それができなくなる
彼は食べて眠り、そして歩いた
それができなくなる
だから「個人」の側にも振り子が揺れていた
つまり憂い、儚さ、
彼はその世界に生きていた

熟睡という”全体”から
起床という”個人”へ

毎日、悪夢のような世界を歩き疲れて
そして睡眠へと帰還する
だが睡眠だけを続けるのかね?
そこには文字通り「何もない」
何もないから無限で永遠なのだ

逆に個人の世界は「いつも何かがある」
「何か」という囚われの世界
つまり制限、苦しみ、そういうところ
だからどちらに留まってもだめなのだよ

古代ヒンドゥー教では
個人をアートマン、
全体をブラフマンという
それらの融合が梵我一如だ

だからジャンプを繰り返すのだよ
ボーディダルマが9年も壁に
向かって座り続けたように
ソクラテスが毒を飲んでまで確信したように
あなたは「あなたではないこと」を
知らなければならない

ただひたすらジャンプを続けなさい
ひたすら振り子を揺らせ続けなさい
そうして自分はマインドである
ということに気が付きなさい
それはあなたではない
あなたとは
その”マインドを含めたすべて”のことだ
アートマンとブラフマンが溶け合うとき
それは空が晴れた日

つまり振り子があなたなのだよ

 

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コメント・質疑応答

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  1. ONEPOINT より:

    どんなにピッタリ合う言葉を見つけても
    新たに言葉を探し始める理由がわかりました。

    振り子はまだ重くて「全体」のほうになかなか振れてくれないけど揺らし続けようと思います。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>ONEPOINTさん

      そう「言葉」には賞味期限がある
      つまりマインドの支配によるものだ

      あなたがどれだけ素晴らしい芸術と出会っても
      最初の衝動は続かない
      以降は「解釈」の世界となる

      本書が更新を続けているのはその為だよ

  2. 柔らかい感覚 より:

    では、言葉でないもの、
    言葉という概念になる前の感覚を感じて
    それすら私と切り離されたものだと感じた時、
    もしくは全ての他者のエゴや笑顔さえ、自分だけの世界に映る「私」だと感じられ、
    説明や解釈や拒絶を必要としなくなったときが
    「全てのものが私」のスタートなんでしょうか?
    そして、その揺れの中にあるのは
    「生きているからこそ」ということ。
    だから、過去や未来という過ぎたことやまだ起こっていないことに囚われ
    それらを行動の根拠にしないで、思考に意識を晒されないで
    今感じられることだけに行動を預けておけば、
    私ではないものが「流れのプロセス」に繋がるように
    体の動きとして感じられるということかな。

    言葉という消費され時間と共に劣化するものに
    支配されていない世界。
    それがマインドではなく、言葉を持たない獣の目で見るということなんでしょうか?
    ブルースリーの「考えるな・感じろ」みたいな感覚かな。
    思考ではなく感覚に身をゆだねている状態ですか?

    • 自分 -涅槃- より:

      >>柔らかい感覚さん
      まず根本的な原理を知っておきなさい
      何かといえば
      あなたは死ぬということだ
      いずれ死ぬ

      人生というスパンは
      死という締めで終わる

      だが1日というスパンは
      睡眠という締めで終わる

      どちらも同じもの
      つまりあなたは毎日死んでいるのだ

      だが翌朝目覚める
      つまり人生が終わっても
      また”翌人生”が起こる

      あなたは熟睡しているとき
      自分は失われたとしない
      ただ「寝ていた」だ

      あなたが死を超越するとき
      あなたの疑問はすべて失われる
      その必要がなくなるからだ

      いま現在
      多くの理不尽を抱えていても
      それを抱える必要性がなくなる
      ただそこにあるものとして捉えることになる
      実際そうなのだ

      あなたの人生とは
      あなたの中にあるのだよ

      ブルースリーの話は確かにそうだが
      ブルースリーすらあなたの中の人だよ

  3. あの時の覚醒者 より:

    今日も素晴らしい記事ありがとうございます!
    今まで僕は覚醒とエゴの振り子の中にいる自分を未熟と断定し限定し、駄目な奴と蔑んできました
    いや、間違いでしたね!(笑)

    今日またゴミ処理場に行く車中で感情を解放したら別れた彼女への未練が叫びになって出てきました
    僕がずっと我慢してた想いです

    用事を終え、また車中で叫び、それに飽きた時神に「もう何でもいいよ、何でも従うから俺を最高の、場所に導け」と呟きました

    それから何となく前の車を尾行(笑)し何となく止め、また違う車を尾行しを繰り返し何となく目的地ができました
    でも眠かったのでUターンし、眠くて思考が完全にストップした数分後突然インスピレーションがわいたのです
    この数年間、いやもっと長い期間散りばめられてきた喜びや悲しみ、理不尽や失敗といった点の全てが繋がるアイディアでした

    詳しくは言えませんが、思考でそれをシミュレーションした時感じた渇望や無力感とは全く逆のナチュラルな元気が体中にみなぎり自然と笑い全てに感謝しました
    同時に一ヶ月ぶりに空腹を感じました(笑)

    そして驚いたのは僕は我慢せず嘆いたり悲しんだりしながらその準備を知らずに具体的に着々としてたのです

    素晴らしい気分です
    遠い未来に怖れながら期待するのではなく、もう既にそうある気分です
    ちなみに帰宅して時計を見たら14時44分でした
    4ならびは西洋で天使が見守ってる数字でなんか縁起良いと思いました(笑)
    その直後さらに7777を見ました
    エンジェルナンバーで貴方の霊的な試みが全て祝福されてます、って感じの数字です

    全ての不安が消えました
    また振り子が作動するときもあるでしょうが、エゴだろうが神だろうが遠慮なく好きにこの世を遊んで大丈夫なんだなと確信しました
    今朝方この記事を読んだ事がトリガーだった気がします

    今まで散々ずっと不安だったけど僕大丈夫でした!(笑)
    自分さんや、皆さんや、全ての僕のお陰で大丈夫でした
    真にありがとうございます!
    全ての全てに幸あれ!

    なんか気分良いから瞑想して昼寝します!

    • 自分 -涅槃- より:

      >>あの時の覚醒者さん

      あなたは以前の私を見ているようだ
      ならば以前の私自身に対して答えよう

      いいかい
      すべて「あなた」が用意していることだ
      あなたはあなたが用意された中で生きている
      それは確実なこと

      だから何が起こっても
      それはそれでいいのだよ
      マインドは損得勘定をする
      比較をする
      だが出来事はそのままでいい
      マインドに耳を貸してはならない

      コトは起こる
      そのまま起こさせればいい
      人生を変えたいならば
      常に「コト」を起こせばいいのだよ
      いくらでも新しい状況に変わっていくのだから

  4. より:

    >人生を変えたくば、常に事を起こす

    八方塞がりの私にとって、この言葉は希望です。
    マインドは追い詰められ孤立している幻影を産み出し、しかも足下は崖、目の前には虎が、掴んだロープには蛇が…
    マインドが暴走する限り何処に言っても悪夢ばかり見せられるのではないかと。
    念ぴ観音力、南無阿弥陀仏、エロイムエッサイム等あらゆる呪文を唱えるが、苦しみはつのるばかり。
    これは夢だ。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん

      あなたは楽しい人だ
      それでいい

      いいかい、
      別に死んでもいいのだよ
      生きていても死んでいても
      本質は変わらない

      死んだ後の世界は私は知らないが
      いま生きながらに私は死んでいる
      どちらも同じものだよ

      ただ「生」はカタチの次元となる
      ならば話は簡単だ
      コトを起こせば良い

      ただそれだけで
      いくらでも世界は変わる

      別に躊躇する必要もない
      すべて「あなたの中」で起こっていることなのだ

      あなたの知る政治家もアイドルも
      私は知らない

      確かに名前や顔は同じだ
      だが「あなたの世界の彼ら」は
      私の世界にはいない
      こんなことを書いている私ですら
      あなたの世界の単なる住人なのだよ

      すべてはあなたという空間で起こっている現象
      念仏もスピリチュアルも
      あなたが発生させた。「興味ある物事」なのだよ

  5. より:

    ほんとに夢なのか?
    職場の門を出た次の瞬間青空が目に入り、ああ私は宇宙に包まれていると、健やかな気持ちになる。空は無垢だ。人のマインドに、汚されてない。
    一方、職場はマインドが作り上げた人工物だ。目に見えないあらゆる規則や掟に、それは満ちており、掟を破れば制裁が待っている。しかし、この場を一歩出れば幸せに包まれるのも事実。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>鯤さん

      仕事は何をしているのかね?

      職場の門を出た青空は
      あなたの門の内側があるから起こるのだよ
      一歩出れば幸せであるならば
      一歩出ない内側があるからそうなのだよ

      それが振り子になる、ということだ

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