ギターの音が変わるとき

何か追求したことのある
趣味やスポーツはあるかね
楽器演奏でもいい料理でもいい
学生の頃の部活ならば
弓道でも走り高跳びでもいい
学問でもいいだろう

あなたがその何かに漬かり込んでいるとき
あなたは決して光明は得られない
なぜならば
「それ」と「追求するあなた」に
別け隔たられているからだ

まあこういうことだよ
あなたが学生の頃ギターに熱中していたとしよう
日夜ギターのことばかり
無論、尊敬するミュージシャンやその歴史
細かなサウンドやニュアンスの違いなど
誰ともそれを語り合い、出かける先、来週の予定
日常のすべてがその一色だった
だがあなたは決してギターを超えられない
あなたの尊敬するミュージシャンも
あなたの腕前も
あなたがその世界を目の前にしている限り
どこにも到達はしない
追えば追うほどに理想は逃げて行き
無限のループが続いていく
そこには何がある?

そう、苦悩だ

あなたが自らのアイデンティティとすることは
必ず苦悩そのものとなる

さてあなたが社会人になり
経済的にも時間的にも余裕がなくなり
次第にギターから意識が離れていく
そしてかつて燃え盛るほどにギラついていた情熱
朝まで語りあった持論、主義主張、こだわり
そのすべてを忘れてしまう
どうでもいいことになった

それから数年の後、会社の帰り道だ
偶然に楽器店の前を通る
特に計画していたわけでもなく
本当に偶然だった
店のドアを開き
目に付いたギターを手に取る
弾いてみる

その時、そこで奏でられた音は
この世のものではない

「それという世界」もなく
それを目の前にしている「あなた」もなく
ただその場に溶けてひとつになった「それ」が
漠然と在る

あなたは誰よりもうまく弾こうなんて思わない
誰かに聴いてもらうことや
自分がこう弾きたいというこだわりもない
出てきた音が何であるか?なんて
微塵とも意識していない
どうでもいいのだ

ただ「ギターを弾いていること」
それがそこにある

その瞬間を見過ごすと
あなたはたちまち若い頃のループに陥るだろう
つまりアイデンティティを思い出してしまう

そうじゃない
常に忘れるのだよ
常に忘れている限り
あなたはいつでも「それ」となる
こだわりを持たないことだ
つまりエゴを出現させない

スピリチュアルも教えも
その人生も
あなたすらも
すべて忘れ去ったときに姿を現すのだ

決して追い求めてはならない
恋愛も商売も料理も何もかもそう
あなたが追い求める限り
それは逃げていく
逃げていくから必死で追いかける

だがあなたが特に意識をしなくなったとき
それはそのあるがままに循環していく
本来、消え行くものだったのなら
早々にそうなる
ただあなたがしがみ付いて
消えないようにしていただけだ

掴んでいるその枝先をパッと離してみなさい
もう落ちるしかない
それが明け渡しである

忘れながらに
ただ起こるがままに行為する
それが老子の道で伝えられた「無為」だ

以前記したような
片手で大木を持ち上げる老人や
聖域に入った熟練職人
誰も勝つことができない大物成功者
そういった各話はすべて「道」である

自分の主義主張を持たないという生き方だけでも
それなりの軽さが出てくる
まずはそこから始めてみなさい

会社の言いなりになればいいだろう
奥さんの尻に敷かれたらいいだろう
そのあるがままを
あるがままに起こらせていく
主張のないあなたは何も関与しない
ただ世界が変化しているのを眺めるだけである

 


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