人々を幸せにする方法

釈迦ですら欲があった
教えを広めること
それが彼の欲だ

無論、覚者であるから
あえてその煩悩を残したのだろう
そうでなければ縁が起こらない

つまり仏教という縁
2500年という連鎖

伝承では彼が悟りを開いたとき
そのまま涅槃に溶けようとした
入滅のことだよ

だが自分ひとりのものとせず
多くの人々へ伝えることになる

さて欲望とはなんだろう

スピリチュアルでは欲望を捨てよと言う
エゴの象徴とされるからだ

だが欲望こそ生であり
それがなければ
「生きていること」が成り立たない
もし欲望を執着とせずに
純粋に捉えることができれば
欲望が「単なる欲求」に変わる

虫が食料を捕獲する
植物が雨水を蓄える
動物が獲物を探す
食べる、眠る

それらが純粋な欲求だ

肉体が滅んでしまえば
食べるも眠るもなくなる
つまり肉体がある限り
食べるも眠るもあるということだ

「腹が減れば食べる」
それほどシンプルなことはない

つまり純粋に生きているということは
非常にシンプルであるのだ

ただ我があり
ただ生を歩む
そのように在りなさい

欲求を満たし続けるのだ
だけども欲望にしてはならない
対象に囚われるな、ということだ
それは「生」ではない

あなたは「生」を生きるのだよ
欲求を満たす
シンプルに生きなさい
あなたが生きるために
生きなさい

あなたが純粋に欲求を満たして生きるとき
そこに縁が生まれる
そうして多くの人々に繋がっていく
あなたが個人的に執着をしても
それはどこにも広がらない
それが欲望
言い換えば地獄のこと

「腹が減れば食べる」
これが純粋な生の姿だ

だがあなたは腹が減っていないのに
無意識に食べている
食べることで満足を得ようとする
食べる必要がないのに食べている
これが欲望
あなたはその対象に囚われる
他人や物、そういった対象に生かされてしまう
小さな桶の中で飼われる魚となる

そうではなく
あなたが生きなさい
大海を自由に泳ぐ魚となりなさい
それだけで多く生命が生かされるのだ
あなたが多くの命を生かしていく
つまり多くの人が幸せになるのだよ

 

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  1. ONPOINT より:

    「欲」というのも厄介なものですね。
    自分を喜ばせるつもりが、いつの間にかエゴを満たすだけになっていて、
    最近ようやく見極められるようになってきました。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>ONPOINTさん

      食物連鎖をご存じだろう
      それがあるから地球は成り立っている

      では「食べる」とは何か
      つまり生存のことだ

      ある生物が生存するために食べる
      食べるとは欲求のこと

      だがその生物が生き残るお陰で
      それを捕獲する生物が生き残る
      このようにして
      大きなひとつのネットワークが形成される
      それが地球というものだ

      最終的にはすべては地球の栄養素となっている
      だが地球すらさらに大きな概念の養分だ

      その最果て
      つまり一連のカジノの大元は誰なのだろう?

      ここで物理的法則を超える必要がある

      カジノの大元は
      プランクトンであり
      メダカであり
      大きな魚であり
      鳥であり
      人間であり
      地球なのだ

      大元が司るそれらの「流れ」に
      私たちは翻弄される

      だが大元こそが
      己の真の姿であることをひとたび知れば
      欲も無欲も
      まったくどうでも良い話だったこととなる

  2. 匿名 より:

    欲の次元が余りにも違うと思います。

    「四弘請願」
    衆生は無辺であるが救う事を誓う
    煩悩は無尽であるが絶つ事を誓う
    法門は無量であるが学ぶ事を誓う
    仏道は無常であるが成す事を誓う

    私でさえ釈迦が悟って、「あーコレどう説明しても絶対分かってもらえんわー」って、そのまま入滅しようとした気持ちがちょっぴり分かる気がする。

    おせっかいな梵天に誓願されて何とか法を説いてくれはしたが・・・それからたった2500年で日本は葬式仏教になってしまった。
    私も欲まみれです。

    • 匿名 より:

      訂正  Ⅹ)仏道は無常
      ○)仏道は無上
      エェエェエェエェエェエェエェエェエ(゚Д゚ノ)ノエェエェエェエェエェエライコッチャ 失礼しました。

    • 自分 -涅槃- より:

      訂正とは矛盾を捨てることにある

      いいかね
      「訂正」を捨てなさい

      人生に於ける訂正をすべて捨てるのだ

      あなたはそれで道が開く

    • 自分 -涅槃- より:

      >>匿名さん

      それはあなたの解釈だ
      あなたがそうならば
      そうなのだろう

      だが私の「解釈」は違う

      これは私が本書を綴っているから
      知っていることだ

      いいかい
      自分の体験したことを
      人に伝えるということ
      それもスピリチュアルという枠組でだ

      その時点で矛盾があるね

      なぜならば「ワンネス」を言う者が
      なぜ「他者」に伝えるのか?ということだ

      だがこれは分離をしている者の見解
      私からすれば遊んでいるだけなのだよ

      あなたも私の中の人
      私が私に伝えている
      つまり「伝えること」だけが
      想起している

      これはあなたに対して失礼かもしれない
      だがこれも「失礼かもしれない」だけが
      やはり想起している

      そういう視点なのだよ
      じゃあ「遊ぶ」とは何か

      それが欲求だ

      別に遊ばなくともよいだろう
      だが遊ぼうとする

      釈迦はわざわざ口を開いて
      言葉を発した
      なぜか?

      それが楽しかったからだ

      楽しみたかった

      すべてが己であると知った上で
      楽しんでいたのだよ

      ひとつ言っておこう

      現代のインターネットの時代
      本書のようにブログなりで発信する人々がいる
      スピリチュアルもそうだが
      それ以外のジャンルでもね

      彼らは一体誰に向けて書いているのかといえば
      自分に向けて書いているのだよ

      つまり生とは楽しむものなのだよ
      あなたは色々と問題をかかえているが
      それすらも楽しみなさい

      楽しめるように
      意識を変えてみなさい

      以前嫌いだったあれが
      いまは好きかもしれない

      そういうものだ
      すべては「あなた次第」なのだよ_

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