何事にも動じない余裕

誰もが心に余裕を持ちたいという
それは素晴らしいことだ
幸せは穏やかな日々の生活の中にこそ
あるものだからね

そういうわけでガラクタで山積みになった
心の建物を「より大きくしたい」と
誰もが願っている

たくさんスペースができたら
息がつまりそうな状態から解放される
だからもっと心を広くしたい

そのためには忍耐力や動じない精神や
他人や物事を理解する力が必要であって
つまり現状よりもたくさんの努力を
しなければならないと考えている

だから余裕のある人に会ったとき
「自分よりもできた人だ」と思うわけだ

自分では感情的になったり焦ったり
尻込んでしまうようなことも
彼らはその偉大なる力によって
抑え込むことができるのだからね

あのような余裕のある人になりたい
彼らのような落ち着いた魅力を備えたい

そうして自分も幸せになりたい

人生から不安や焦りを払いのけたい
世間の目に支配されず
やりたいことをやって生きてみたい

本当はもっと素敵な容姿で
生まれたかったし
お金持ちの家に生まれたかった

知的な好奇心を湧きたててくれる親や
素晴らしい友人たちに
巡り会える環境で育ちたかった
ならば簡単に心の余裕を掴めたはずなのに
最初から幸せだったはずなのに

だから自分には努力が必要なのだ

だって余裕のある人たちだって
さほど容姿が素敵でない人もいる
お金持ちでない人もいる

きっと彼らは我慢しているのだ
そういう素ぶりを見せる努力を
しているに違いない

つまり「その努力」を
自分も見習わなければならない

だから心の敷地面積を拡大すること
いまよりも大きな心の建物に
作り直さなければならない

いったいどれだけの成功をおさめて
どれだけの心の更新を
繰り返さなければならないのか
そう考えだせば途方のなさに足が震える

でも泣き言は言ってられない

そうしなければ
自分は人生を楽しむことなど
許されないのだから

 

1.

さあそうやって苦悶のマイウェイを
ドン・キホーテの如く行進していくわけだが
ここで気づかなければならないのは

心の建物を大きくしようとすればするほど
ガラクタはどんどん溜まっていく
ということにある

つまり心の余裕を持とうとする努力ゆえに
心は常に切迫するというパラドックスにある

確かに「我慢」や「素ぶり」で
余裕があるように見せかけている人も
大勢いるだろう

それはいずれ心の病を生んでしまう

なぜなら彼らがそのように演じているとき
ガラクタで覆い尽くされた部屋のなかで
息を止め続けているだけだからだ

よく「裏の顔をみてびっくりした」
という話があるだろう

日頃は清楚な雰囲気であるのに
誰も見ていないところでは
幻滅してしまう姿をしている

その人は誰もいないところで
やっと呼吸ができたのだ
ガラクタに埋れたなかでかろうじてね

だがその鬼のような形相は
戴けたものではない

では真の余裕とはどういうことか

いったいどうして
目の前にある重大問題や
決断を迫られているときなどに
平然と向き合うことができるのだろうか

努力をして自分を立てても
最後には疲れ果ててしまうというなら
じゃあ他にどんな方法があって
そしてその余裕のままに生き続けていけるのか
どうすれば心のガラクタから解放されるのか

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  1. TOMOYA より:
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