言葉を捨てて幻想を消し去る
誰が言葉を作り出したのか
人類史上、最も罪に塗れた発明である
これほどまでに人々を苦しめるものは
他にはない
あなたが苦しいのは「言葉」があるからだ
思考は言葉であり
すなわち「制限」である
あなたに制限を与えているのは
言葉に他ならない
言葉とは分離の根源である
例えば地球上の一部分を指して
「木」や「海」「空気」「魚」など
あたかもそれらが
独立しているかのような表現をする
だが人々が呼ぶ「木」や「火」が
そもそも一体何なのか誰も答えられない
顕微鏡で細かく見て分離させていくしか
表現ができないのだ
それら成分のまた成分、
その成分すらも言葉を与えているだけで
それが一体何なのかわからないままだ
ニュートンが引力の法則を提唱した
その作用を発見したのは素晴らしいことだが
そもそも引力が何なのか
未だに誰もわかっていない
身近にあると思われている空気も水も
それらが何なのか誰も知らないんだ
言葉で指し示すからカタチが起こるだけ
言葉のない世界を想像してみよう
概念のない世界のことだよ
数あるスピリチュアルの教えも
言葉により伝えられるゆえに
真実を伝えられない
言葉を捨てよ
そうすれば、ただ感じることしかできなくなる
感じることは「いま」しかできない
つまり言葉を捨てるとは
未来や過去を捨て去るということ
時間を捨て去るということは
「幻」を生みだす根源がなくなる
ということである
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たまにふと昔にお書きになった手記もなんとなく読んでみるとインスピレーションが沸いて来たり……。
言葉はコミュニケーションの手段としても表現する手段としても非常に便利なものですが同時にかつてない制限であり幻の根源でもあるわけですね。
仕事中にネガティブな思考や想像が発生するときは大体、脳みその中で自分でも制御できないくらい様々な言葉が混沌の如く錯綜しているので、気をつけよう気をつけようと思うのですが、そう思うことで余計に目の前のことに集中できなくなっていくという始末;
最近は言葉を捨て去ることに重点を置くと、自然と意識が内側に向いていわゆるルーチン作業などはほぼフロー状態で行うことが出来ていますが、それでも長年の習性は拭いきれず思考(言葉)との追いかけっこが続きます。まあ追いかけっこしてること自体が既に思考の罠にはまっている証拠なのでしょうね。。。
さばみりんさん
先日近所のスーパーで出来合いの「さばみりん」を買ってきてね、妻と美味しく戴いたよ。で、その夜、久々にあなたからのコメントが来ていた。
まあそんな感じなのだよ。あなたを求めたわけでもなく、そこにあった「さばみりん」を買っただけだ。
思考は必要かね?
おお~。
さばみりんおいしいですよね、自分も何となく好きなのでこの名前にしています。
それだけです。
ある病を発生し、これまでずっと貪欲に智を欲し、誰も知らない孤高の世界を創造し続けていましたが、此処にいらっしゃる他の方もどうやら自分と同じ境遇の方も多いようで…。
確かに…。そろそろマインドからおさらばするときが来たのかもしれません。
さばみりんさん
あなたの見ている世界は、一見自分とは関係なさそうに見えることも、実のところすべてあなたに関するものなのだよ。
「関係なさそうという関係」にあるのだ。つまりあなたが認識できる以上、すべてがあなたなのだということだ。これを物理的な理屈で説明しようとするとパラドックスに陥るから、仏教なりスピリチュアルなりは「方便」が必要となる。
だからこのように捉えると良いだろう。
「すべて私が体験していることなのだ」
すべてがこのわたしに関係していることなんですよね――。
最近はひょんなことからこのサイトに出会い、瞑想を習慣づける生活を送っているので、言葉の表現を超えてなんとなくこの関係性の世界を体感しているような気にはなっています。
思えば私も少々変わり者でして。
一時期自分はこの世にいるものではないナニカだとか本気で思っていたころに比べると大分進歩したなぁとは……思います。
ただやはりまだ後遺症は大きいです。唯一無二の己、何とも交わらない大いなる我が迷宮・グラズヘイムから抜け出せずにいることがどれだけ辛いか分かり始めているにも関わらず、やはりそちらに居心地の良さを感じてしまう。
とにかく完全に言葉を捨て、“委ね”に興じてみようと思います。
さばみりんさん
実によろしい。「言葉を捨てる」とは、世界のあらゆる境界を取っ払うということだ。テーブルの上にコップがあるとき、「テーブル」「コップ」という分断は取り払われて「ひとつの何か」となる。無論「テーブル」もないわけだから「部屋」と「テーブル」も「ひとつの何か」だ。
さらに「部屋」もなく、すべてはあなたの知覚する「ひとつの何か」となる。
そしてもう一段階起こる。それは「あなた」も消え去るということだ。ワンネスに触れる最もシンプルな方法、それが「言葉を捨てる」となる。
なるべく日々触れるものに言葉や意味を与えず、感じたままを最初に持ってくるように接してみます。
本当にこちらに書かれている瞑想法は、他の来訪者様が仰っていた内容も含めて、役に立つものばかりです。
己が築き上げてきた強固な妄想の世界から抜け出て本来の居場所に戻れるまでしばらくは必要そうですが、瞑想を身に着けていきます。言葉に支配されていた今までとは決別して…。
さばみりんさん
瞑想があなたに示すものとは「本当のこと」となる。思考という幻想に囚われて本来の在り方を見失っているとき、瞑想はあなたを救い上げてくれるだろう。
常に「今に在る」こと、それは時間を超えた次元、「永遠」というすべてが繋がったエリアに降り立つということだ。
思考を起こせば途端にそこから追いやられる。エデンを追放される。だから思考をいつも見張っていれば「永遠」に留まることは容易となる。
ありがとうございます。思考を見張る、ですね。「本当のこと」が言葉という名の雑音によって隠れ切ってしまっているという感覚は何となくどこかで分かっていましたが無意識のうちに無視していたのような感じでしたので、なるべくなら自分を誤魔化さないよう瞑想を続けていきたい所存。。
さばみりんさん
あなたの活動が「本当のこと」だよ。それは外部への反応ではない。あなたの内から流れ出るものだ。
世界を遊びなさい。小さなことでもいいから、これまでやったことのない体験を片っ端からやっていくといいだろう。そういう「楽しめる勇気」を持つことだ。
ありがとうございます。もう少し素直に楽しんでみます。最近一人でいても無意識に何かをやってる分にはいいのですが、マインドタイムが入ると辛いので、なるべく楽しいことは楽しいと認めてやるようにします。
さばみりんさん
自分に正直になることだよ。本当はどうなのか、それを問いただしてみなさい。
思考の表れるスピードに追い付く、
常にスピード感を感じているということですか?
私の中に現れたものが、思考、過去のわたしから来るパターンなのか、本当のものなのか。。。
いつも迷いわからなくなります。
わからないということを認め、流していけばよいのでしょうか。
lunaさん
あなたは思考ではない。また過去でもない。つまり「これかな?」「いやこっちかな?」と選べるものは、どれも「本当のあなた」ではない。
精神でもなければ、肉体でもない。「あの頃の私」でもなければ、家族と会話をしている「この私」でもない。
あなたはそれらを観ている者だよ。つまり「流す」とは、”どれにも同化しない”ということだ。アマゾンの熱帯雨林が原始のままにあるように、そこにいる「自分を含めた世界」も同じなのだ。すべてはただ起こるがままに起きているのだよ。
あなたがこの神なる循環をただ眺めるとき、とても深い安心感に包まれるだろう。何もかも、そのままでいいのだよ。
ここ数日、出会いと別れがあり、悲惨と平和が交互に現れては消えていきましたが、これが流すと言うことなのですね。
本質的な意味ではなく、現象的な意味で私は孤独なんですが、それでいいような気がしてきました。
Aslanさん
人との関わり、何かに触れること、食べたり歩いたりすること、あなたが生きているという「証拠」となるすべてのこと、それら「体験」はなぜあるのか?それを突き止めなさい。
すべてが一体何なのかを突き止めるとき、あなたのあらゆる疑問は葬られるだろう。
それしかない。。。。
そうなるしかなかったのでしたね。。。
それでもまだなんとかしたがる私がいたのですね。
エゴを見つけてしまいました。
なにもできないというのに。。
すべてが起こっているというのに。。
lunaさん
すべては「そこにあるだけ」だ。あなたには何の関係もない。視界として、聴覚として、それを受け取っているだけだ。
創世記にあるアダムとイブ(エバ)の下り”リンゴ”は思考のことだったんですね。
itukiさん
思考ともいえるが、その思考にしがみつく「執着心」のほうがより根源的だといえるね。心を囚われるということだ。
つまりそのたったひとつ果実のおかげで人は争い、嘆き、苦悩の道を歩むことになる。大きなところでいえば戦争なんかがそうだけども、日常的なところでいえば、仕事が捗るか否かというところでも「執着」によって狭められている。
心にある(頭のなかにある)その何かを「前提にして考えている」ということ、その鎖を解き放つとき自由に泳げるようになる。
このように聖書は様々な「読み」ができる。様々なことにアナロジーできるということだ。つまりそれは「自分の人生」を様々な見方で捉えることが可能であることを示唆しているのだよ。
まったくだ誰が作ったんだ!(笑)
もう誰というレベルではないのだろうか?
不思議やね。
でも、色々あるけど何かを伝えたり
交流は出来るし使い方しだいと言う事か。
いや、言葉に乗っかった何かの方が重要ともいえるか。
言葉の貯蔵庫もしくは
他所のお宅の世界というものを
一度でよかけん見てみたか~!
どうなってるんやろ?
面白そうやけどね♪