何もない世界で

動物は「これから何しようか」とか
「あれを目的に頑張ろう」とか

そういうものはない
植物もそう
虫もそう

ただ生きている
ただそこにいる

求める幸せはなく
だから得られぬ不幸もない

存在していること、
そのものが至福なのだ

ネコのようにじっとできるかね

あなたは「後であれをやろう」とか
そういうことを前提にじっとする

そうではなく

何もない世界で
じっとできるかね

なんの為に生きているのだろうだとか
自分の意味だとか

そういうものがない世界で
じっとできるかね

思考の夢から目覚めて
そこに存在することができるかね

じっとしてたら
いろんな問題事が解決できないだって?
それは動物や植物も同じだよ

ただあなたように
遠い未来の問題と戦ったりなんて
間抜けなことはしない

喉が渇いたら
水が”起こる”だけだよ
それでゼロだ

あなたも明日のことにあたふたせず
その時がきてから
ただ動いたらどうかね

それでゼロだ

 

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  1. 五月雨祭 より:

    明日は明日の風が吹く訳で。
    未来や過去の出来事を背負う荷物を降ろせば誰もが「世界」に戻りますが未練を持ったままだと重しを付けているみたいなものですからそりゃあ重いでしょう何より世界が求めた事ですから。
    あちこちにピンポンダッシュ(※疑問や願望の追っ掛け)しないで寛げば終わりです。
    浦和の選手で「他人の為に」という足鎖を付けていた方が今シーズンは自分がプレイする事に徹したら軽やかになっていたという雑誌記事を見て書き込み。

    • 自分 -涅槃- より:

      五月雨祭さん

      無が本性なのだ
      有とは苦のことである

      いかに有を無に帰するか
      それであなたは本性に還る

      その都度、有は起こる
      それが生

      人のために生きてもいい
      だがそれも有だ

      じゃあ打算的に無を目指そう
      それも有だ

      何をどう仕組もうが
      すべて有となる
      なぜならば
      それが生だからね

      幸福とは
      有が消え去った状態のことをいう

      ならば有があるときも
      常に幸福が起こっているということ

      浦和の選手の話
      詳しいところはわからないが
      いずれ「他人の為に」やっていたときも
      「ああ、幸せだったな」と思うときがくる
      つまり人はいつも幸せなのだよ

      過ぎてしまえば、すべて笑い話
      まあそんなものだ

  2. 爽やかハンサム より:

    今まで起こった「それらしい体験」は全て違ったものだった。
    どれ一つとして同じものが無かった。

    でも、全てが「いつもの状態」では無かった。
    あきらかに違う状態だった。

    このところ、「ずっとそのような状態にいれるように」と考えていた。

    「一度そうなったら、もう戻れない。」と何かの本で聞いたからだ。

    私は戻ってしまっている。

    だから毎日毎日、四六時中考えていた。
    もう頭が、ヘロヘロになってしまっていた。
    それでも考えていた。
    勝手にそうなっていた。

    で、気が付いた。

    この「ヘロヘロになるまで考えていた」があるから、「考えてない状態」に気が付く。

    そうだ、「考えていた事」は架空のもの。 
    「そこに無いもの」だった。

    あるのは目の前だけだ。

    「目の前にあるもの」が私なのだ。

    ただそれだけなのだった。

    昨日、見たのは「目の前の世界」の穏やかさだった。
    何の負荷もかかっていなかった。

    私自身、それ以上何も付け加えるものを感じなかった。

    私は「目の前の世界」を観るために、存在しているだけだった。

    幻想世界の中に入って「自ら」を観ている。

    幻想世界に溶けている。

    これが「花のように生きる」。

    悟りの一つだ。

    • 自分 -涅槃- より:

      爽やかハンサムさん

      あなたが日頃自分だと思っているもの
      まずそれを見つけることだ

      肉体や感覚
      思考や感情

      そしてそれらを浮かべてるものがある

      それが「在る」という境地だ
      「在る」は実在するものではない
      実在すら概念だからだ

      概念を浮かべているものが
      「在る」となる

      だが「在る」をあるように
      見てはならない

      確実にここにあるが
      表現不可能なもの

      すべての表現を可能にしているが
      それ自体を表現するのはできないもの

      指が何かに触れているなら
      指や何か、それがマインドだ
      それは印象であり
      「見えているもの」だ

      見えているものを見ているものがある
      それは見られているものが見ているということ

      花のように生きる、ならば
      そのトータルの姿こそが在るだ

      まあ難しい話は置いておいて
      椅子に話しかけてみなさい

      すると椅子は椅子ではなくなる

      そういうことだよ

    • 爽やかハンサム より:

      私のボディを存在させているもの。

      椅子の形を存在させているもの。

      椅子に向かって「こんにちは」と言った「私の声」を存在させたもの

      見えないけど、それがなかったら何も存在できない大元。

      椅子は椅子ではなかった。
      「それ」だった。

      私が椅子を見ている。
      椅子が私を観ている。

      始めてこの意味が分かりました。

      これがガッツリ分かったら、凄いエネルギーが爆発しそうだ。

    • 自分 -涅槃- より:

      爽やかハンサムさん

      よろしい
      あなたと椅子の間にあるもの

      それが「あなた」だ

      人生を充満させているものを
      そうして見ていきなさい

      あなたはあなたに包まれている

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