願望は何もしないから実現する(2)

現実を自由に生きている人達がいる
彼らはどのようにして
そこに到達したのだろう

現実は信念の投影だが
現実が「作られる」というのは語弊があり
正しくは「そう見えている」である
つまりそこに見えているものが現実となる

当然そうだね

つまり願望をいくら掲げようとも
「願望がある」という現実だけが見えて
願望の内容自体は見えてこない

この世界とは
瞬間瞬間が結果の姿だ

「そこからどう繋がっていく?」
というわけでもないし
「どうやってここに行き着いたのか」
があるわけでもない

そうした「ストーリー」は
あなたが勝手に妄想しているだけで
確固たる「いま」だけが
信念が見せている光景となる

 

信念とは根拠のないもの

大きな気付きのひとつとなるが
信念には根拠がない

以下は先日コメントで伝えたものだが
わかりやすいので引用しておく

信念というのは
根拠のないものだ

呼吸ひとつでもそう
わざわざ血液に酸素を送るために‥
なんてことは考えてやらない

では呼吸とはなんだろう?
ただ当たり前のこととして
やっているのだ
よく考えてごらん
いったいそれは何の理由があって
やっているのだろう?

呼吸の根拠を求めるとき
それは思考的な作用となる
つまり信念が願望と化する

あなたが何の根拠もなく
ただそれを受け入れるとき
それが現象化となる

手放しや引き寄せなど
いろいろとメソッドがあるようだが
要は「当たり前」だとすればいいのだよ

信念とは何の理由もなく
漠然とそこに起きている様子のこと
これは「あなた」も同じ質を持っている

あなたは何の理由もなくそこにいる
生きていることに目的などないし
特別な意味もない
何の根拠もなく
なぜかそこにいるのだ

自分の顔や姿はどうだとか
名前や家族、住所など
そういったものは
後から付けられたものであり
最初にあったのは
意味も根拠もない、まさに「無」だ
それはあるといえばあることになるが
意味付けがないから認識はできない

つまり「無」に意味を与えることが
「現象化」となる

以下も引用しておこう

周りを見渡してごらん

壁やら机やら
色々なものが目に入る
だがそれらは
本当にそこにあるのかね?

あなたが壁と思えば
それは壁となる
触れば固いし
すり抜けられるものでもない

床もある
自分の体がその上に乗っている

そのように確かめていくと
「確認できること」ばかりで
埋め尽くされていることがわかる

あなたを取り巻く状況もそうだ
すべてに「理由」がある

これらは結果が起きた後に
意味付けをしているということ

「願望」とは確認出来ることや理由を
最初に持ってきて
その頂点に導こうとするものだ

だがそんなことは不可能だ

なぜなら
すべてのものは意味も理由もなく
ただ存在しているだけだからだよ

 

信念の中身

あなたがどれだけ願いを捧げようとも
まったく現実に起こらなかったのは
理由から作り出そうとしていたからだ

そうではなく「願う」という姿が
そこに実際に起きていたことに
目を向けなさい
それ自体にはあなたは何の拘りもなく
ただ当たり前に行っていた

そして重要なのは、あなたがいま
「世界を変えたい」と考えていることも
循環の流れが及ぼしたものということだ

その思考、その動作の「種」は
あなたが発しているのではない
すべて漂ってきた
インスピレーションなのだよ

種に対してポジティブやら
ネガティブやら騒ぐのは
エゴの後付け解釈であるが
その前提にある信念が殻を破ると
中にはインスピレーションが詰まっている

以前、唯識の話をしたときに
思いが阿頼耶識に送られ
それが現象化すると伝えたが
今回の話は単に表現が違うだけであり
システムは同じものだ

いいかい
あなたが根拠なく受け入れていることが
そこに起きている
すでに起きているのだ

いつも不平不満を口にするなら
あなたが変わらない限り
起こる出来事に不満を意味付けるだろう
なぜなら不平不満を口にしているからだ

だからストーリーは最後でいい
ストーリーがあったことに
後で気がつくから人は感動するのだよ

インスピレーションという船に乗ることが
循環の波に漂うということであり
自由を求めるまでもなく
そこにいることが”自由”なのだ

 

まとめてみよう

  • 何の根拠もないもの
  • 常にここで起こっているもの

以上が信念となる
信念自体は三次元的な様相を
超えることはできないが
信念という卵を割ると
インスピレーションが詰まっている

つまり常に無数の何かが到来していて
あなたはその表層(殻)を
現実に浮かべているのだ

信念はインスピレーションに
限りなく近いところにあり
根拠も理由も備えていない

そしてそれこそが現実を作り出す種ゆえに
「思考する」生き方から
「感じる」という生き方に変えることで
現実はあなたの中に浮かぶキューブとなる

だから、

  • 意味付けしない

これに尽きるのだ
どんなに態度の悪い人がいようとも
どんなに理不尽な出来事に見舞われても
意味を付けた時点で
あなたは世界の中に囚われる

そこにいる限り自由はなく
ひたすら「願望」を祈り続ける
プレイヤーとなる

こうなって欲しいという現実があるなら
それが当たり前のことになるまで
身を捧げなさい
一切の思考的なストーリーを
放棄しなさい
対象に囚われるのではなく
その中空を観るのだよ

世界は一体何でできてる?
建物にお地蔵さん、
それらは一体なんだ?

ただ感じなさい
その空間を感じるだけでいい

感性主体の生き方が習慣付くように
生活を構築すると良いだろう
食べ物、香り、音楽、美容、自然

そうして感性を養っていくと
思考で覆われた空が晴れ渡っていく
インスピレーションの受け口が
開いていく

現状から自由になろうとするのではなく
その中で自由を見つけるのだよ
やがて「何もしない」に到達するとき
世界はあなたの中に起こる

 


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  1. 口笛 より:

    最近例えば朝方布団の中で夢と現実の狭間で微睡んでいるときに、アイディアが浮かんで来る事があります。その後インスピレーションを行動に移すときに、思考が邪魔をしてるときもあります。

    • -自分- 涅槃 より:

      口笛さん

      着想が起こるとき
      その具体的な内容よりも少し以前に、
      ただ感じるだけの何かがやってくる

      それがインスピレーションだ

      その「何か」を引き金として
      思考が連想を始める
      それが着想となる

      だから料理人でも写真家でも
      ビジネスマンでも

      最初にやってくる「何か」は
      同じものなのだよ

      それぞれの人生観や職業にて
      どのように変換させるかだけとなる

      >インスピレーションを行動に移すときに、
      >思考が邪魔をしてるときもあります。

      それは単に、理由を付けて
      行動をしないという抵抗なのか
      それとも最初の「何か」が
      思考により違うものに変化したことを
      言っているかはわからないが

      インスピレーションを感じていることに
      違いはないから
      あとはそれが「あなたに応じたもの」へ
      スムーズに生かせるよう、
      暮らしを整えることだ

  2. 口笛 より:

    ありがとうございます。着想を行動に移すときに、思考が邪魔して後回しになってしまうのです。

    スムーズに生かせるように暮らしを整える

    工夫してみます

    • -自分- 涅槃 より:

      口笛さん

      思考が流れを止めているなら
      環境を整えることがベストだ

      何か作業をするなら
      その流れを意識したものにすれば良いだろう

      いかに思考を介入させないか、
      そこに焦点を置きなさい

  3. ONEPOINT より:

    何かハプニング(だと思っている出来事)があると
    勝手に相手と喧嘩するような場面を思い描いてしまいます。
    先ほどもそのような出来事があり相手に話をしてみると
    きちんとした対応をしてくれました。
    以前よりマシになったとはいえまだまだマインドに掴まれてるなあと反省しました。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん

      >勝手に相手と喧嘩するような場面を思い描いてしまいます。
      それは無意識ゆえに起こるものだ
      意識的に在りなさい

      他者はその風景となる
      実際、そうなのだよ

  4. 五月雨祭 より:

    前回のエントリ見ました。
    返信ありがとうございます。
    あえて方程式的に言うなら‥イメージが湧いてきてかつそれがうっとおしいレベルに感じる段階かなと。
    願望の刺激が消え失せ面倒臭くなってくるんですよね~。
    波に任せて意味もなく潜在意識サイトで最近纏められた詭弁式を見てたらついでに理屈の方も納得しました。
    明日は明日が勝手に埋めるでしょう‥

    • -自分- 涅槃 より:

      五月雨祭さん

      昔からそうなんだがね
      沢山のメールを頂く中でも
      願望という言葉に
      アレルギーが起こる人が多いようだ

      現実というのは心の投影であるゆえ
      常に自身のすべてが起こっている
      だから願望は実現され続けているのだ

      なぜか誰もがそれを認めようとはしない
      右を向けば右があるというにも
      関わらずだ

      それはマインドの都合で
      選択できるものではないから
      人はタブーの如く、
      あえて遠ざけるようにする傾向にある

      これはマインドだと、
      それは囚われることだと、
      人は忌み嫌うようになっている

      だがその時点で囚われているのだ

      例えば嫌いな虫が
      家の中に「出るんじゃないか」と
      ずっと警戒している様子と変わらない
      で、出たら「ほら出た」と大騒ぎだ

      これは人生を通じて
      あらゆることに言える

      だがひとつひとつの物事に囚われず、
      つまり「内容」に入り込まず
      すべてが己の中に流れていると観ることだ

      今回のタイトル
      「願望は何もしないから実現する」は
      そういう背景を伝えている

      そこに壁や床があるように
      すべてが己の認識の中にあり
      そしてそれがどういうことなのか
      それを理解すべきだ

      理屈では到達できない
      理解に溶けることだよ

    • 五月雨祭 より:

      返信ありがとうございます。
      今後も没頭しつつ緩く物事を観ていきます。

    • -自分- 涅槃 より:

      五月雨祭さん

      本書では最初に「意味」が与えられる
      そして人々はその新しい意味を
      現実の中に見出していく
      だがいずれ意味を捨てるときがくる
      今度は意味を捨てるようになる

      そして最後、
      「意味を捨てる」という意味付けすら消滅する

      呼吸することや歩くこと
      日頃、当たり前だと思っている事象に
      深く関わってみなさい

      それらは意味付けの完全放棄がされている
      それをヒントにしていきなさい

  5. より:

    いつもは、仕事が終われば飯を食べて寝ますが、昨日は、何となく本屋に行き、ビジネス関係の本を読んでいました。
    この「なんとなく」や「ふと」がインスピレーションなんでしょうかね。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      そう、すべての行為は
      何らかの信号により起こる

      思考も感情も動きもそうだ

      そこから本屋やビジネス関係の本が
      あなたのヴィジョンに投影された
      それらはあなたの世界観だ

      現象ではなく、インスピレーションを
      感じるようにすることで
      あなたはヴィジョンの中で自由に到達する

  6. より:

    私は、駄目リーマンなんですが、資産だけはどんどん増えていきます。
    これからもどんどん増えていきそうです。
    多分、人生のどこかでそれを「当然の事」と受け入れたのだと思います。
    逆に、駄目リーマンと言うのも、どこかの時点で受け入れて、信念になったのでしょうね。
    ここ数年来はクリシュナや維摩居士みたいになりたいなど、図々しい事を考えてましたが、
    これも、当然と受け入れればそうなっちゃうんでしょうかね。

  7. より:

    昨日、何となく家の掃除をしたり、書類の整理をしたりしておりました。
    何かが到来する準備なのかもしれません。
    明らかに、生活が変化している。
    新しい現実=信念の受け入れ作業

    • より:

      福山雅治さんが結婚したそうですが、逆に何故今まで、独身だったのか。
      何かをきっかけに信念構造が変化したのかもしれませんが。

    • より:

      ネガティブなインスピレーションと言うのもあるでしょうね。少なくともエゴにとっては。
      それはキャッチせずスルーした方が良いのか、受け取って流した方が良いのか

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      >ネガティブなインスピレーションと言うのも
      >あるでしょうね。少なくともエゴにとっては。

      エゴはインスピレーションを翻訳した後のものだから
      その見解には正しくない
      見解自体が制限を与え、カタチに変容させてしまう

      もしインスピレーションを受け取るままに
      生きてみれば、すべてに意味が消える

      思考にとっては
      巨大なクエスチョンマークの世界となるが
      それが本来あるべき世界の姿なのだ
      真の意味での普遍的世界だ

      受け取りをエゴの都合で
      ネガティブやらに変えてしまうから
      それはそうなるのであり
      いかにエゴを切り離すかが大切なのだよ

      あなたの世界の要素ゆえに
      エゴを捨て去ることはできない
      だから俯瞰するのだよ

      己を後ろから観る

      興味がないかもしれないが
      能を調べてみると良いだろう

      あれは禅のひとつ
      演ずることなく演じている
      つまり自己を忘却している

      あなたは陶芸をやられるようだから
      通ずる何かを感じるかもしれないね

      茶道などがそうだが
      一見、堅苦しい作法とは
      思考的であるからそう見える

      作法は自己の超越により完成するのだ

      思考を捨て、動きのままに在り
      静寂の己がただ眺めている
      その境地こそが
      インスピレーションの受け流しとなる

  8. より:

    なるほど。以前、能についてお訊ねしたとき、コメントが無かったので、特に評価されていないのかと思っていました。
    ありがとうございます、
    私は曲がりなりにも悟りの境地を芸術で表現出来たらと思っており、能も、その辺を目指しているのではないかと思われるので、物凄く興味があます。

    • -自分- 涅槃 より:

      鯤さん

      >以前、能についてお訊ねしたとき、コメントが無かったので、

      そうだったね
      当時私にその波は来ておらず
      流すことはできなかった

      能はサマーディ(三昧)のひとつだ
      ビジネス化したもの、つまり
      外側に意識が向いているものはダメだが
      自己を捨て去り
      インスピレーションを流すことができる役者は
      本物だといえる

      三味線も手で弾いているものは「そこにあらず」
      手で弾かずに弾いているものを見つけたいね

      早起きして彼氏に弁当を作ったりなど
      ひたむきに愛を伝える女子高生も同じ

      そうした姿は
      私たちの日常生活に禅を与えてくれる
      どんな小さなことでも
      そこに瞑想があること

      すなわち行為そのものに入ることだ

  9. 我無駄無 より:

    「願望は何もしないから実現する」たしかにその通りだと思います。

    たとえば、健康な人と健康でない人の場合には根本的な違いがありますが、それは何かというと、「健康になりたい」と思うかどうかだと思います。

    つまり、健康な人は、健康であるがゆえに、わざわざ「健康になりたい」と思う必要がないわけです。つまり、健康な人は、「健康を願わない」ということですね。

    別な言い方をすると、「自分が健康であることが、信念であり当たり前になっている」こういうことでしょう。

    その一方で、病気やケガで苦しんでいる人は、「一日も早く病気やケガを治して健康になりたい」こう思っているはずですが、この状態では、逆に病気もケガも治らないのではないかと思います。なぜなら、こういう人にとって、「自分が病気であり苦しんでいることが、信念であり当たり前」になっているわけですから。

    では、どうすればよいのかというと、極論を言えば、「健康になりたい」と思わなければいい。こうなるでしょう。

    なぜなら、健康に人にとって自分が健康であることは、当たり前のことであり、わざわざ願う必要などないことですから。

    なので、病気で苦しんでいる人は、「病気を治して健康になりたい」こう思わなければ、「自分が健康であることが信念であり、当たり前のこと」になっていく。こういうことだと思います。

    別な角度から言うと、願望というのは、実現すれば消滅するものだと思います。

    つまり、自分の意識の中にあって、その願望が消えていく感覚があればその願望は、自ずから実現に向かっていくのでしょう。

    あと、上のコメントで能に関して書かれているで、少し書きますが、能の形式の一つである、「複式夢幻能」は俗世に居場所を失った旅の僧侶などが、旅の途中で不思議な老人などと出会い、その老人が、ある人物や場所に関する逸話を語って、その後消えていくわけです。

    そして、実は、その老人はその逸話の中で語られていた、人物(例えば融という演目では、源融)の幽霊だったりするわけです。

    つまり、能の中においては過去と現在、あの世とこの世が混在して混ざり合う。こういう状況ができていく。

    そして、見所で見る人は、時として強烈な睡魔に襲われますがそれはおそらく、このような能の独特の世界に触れることで、自我が保てなくなり忘我状態になるからでしょう。

    つまり、一流の能楽師は己自身が「自己を捨て去っている」以上に観客の自己すらも捨てさせることができると。こういうことだと思います。

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