「 充実感 」 に関する一覧を表示中

フィクションの世界(2)

さて、ここまでした話をひっくり返してしまうように感じるかもしれないが、決して社会は悪ではない。 ただ自由なのだ。ただ解放されているだけなのである。だから社会には …

無意味なことほど価値がある

スピリチュアルや宗教などに 携わっているなかで たとえばこの世界の「外側」には ・大きな愛がある ・神が守ってくれている そのように考えているかもしれないが そ …

素敵なひとが現れるとき

太陽の光も酸素も この体も 無条件に与えられている ずっと与えられていることに 気づくことだ ただしそれは 太陽の光でも酸素でも この体でもない それらは頭で考 …

焦りを克服するメソッド

少し前の手記でも話したように 焦りが人生を台無しにする 別に焦ってなんかいないよと あなたは言うかもしれないが どうして食器洗いやお風呂のとき 別のことを考えて …

豊かな人生を実現する

いつも話しているように 私たちは二重の世界を生きている ひとつは存在の次元 つまり高次といわれる領野 それは巨大な一本の流れであり 海が蒸発して雨や川になって …

焦りが幸せを消していく

あとになって あの頃は幸せだったんだと気づく いつもそうだろう 遠く過ぎ去ってから 大事なものに触れていたことを知る 何でもない日々だと思っていたのに いまはと …

唯識と脳と現実変更(5)

これまで唯識と認知科学によって、あなたの現実世界が「なぜこのようであるのか」というその仕組みをみてきた。 私たちが日頃あれこれ考えているのは左脳であり、そうして …

唯識と脳と現実変更(4)

釈迦はたったひとつだけ真実があるといった。それは「すべては不変で実体がない」ということだ。つまり広大無辺な透明なシーツがゆらゆらと揺れているだけ。前回はそれを素 …

唯識と脳と現実変更(3)

さて前回まで認知科学と唯識仏教について話してきた。唯識は脳を超えているようにみえるだろう。その通り、阿頼耶識は私たちの一生というスパンに縛られていない。 ゆえに …

唯識と脳と現実変更(2)

前回話したように、唯識仏教は釈迦の教えをより理解しやすく体系化したものとなる。つまり凡夫(一般的な人間観点で生きている人々)に向けられたもの、つまりこの現実世界 …

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