人生の違和感を超える

一体何の為に生まれてくるのか
そしてなぜ死ぬのか誰にもわからない
言い換えるまでもなく
我々は犠牲者だ

高級腕時計をちらつかせて
夜の繁華街を闊歩する成金社長も
なんでそんなことをしているのか
本当のところは本人もわかっていない
ただそうすることが「楽しいことらしい」と
これまで生きてきた世界にそう教え込まれたから
そうせざるを得ないのだ
あなたは何をするのが楽しい?
旅行や映画鑑賞、ショッピング?
あなたの楽しいことがなんであれ
いくつかの選択肢から選ばされているのだよ

楽しい‥はずなのに
どこか腑に落ちない違和感
そんなことを感じたことがあるのなら
あなたはすでに何かが変だと気付いている

毎日通勤ラッシュに揺られ
日夜働く会社員たちも同じ
社会の為に働いて
毎月一回の給料をもらって
計画的に生活をする
だがなんでそんなことをしているのか
本当のところはやはりわかっていない
「ただ、そうするものらしい」
「そうしないとダメらしい」
彼らは世界にそう教え込まれたから
そうせざるを得ないのだ

それが当たり前の事‥のはずなのに
どこか腑に落ちない違和感

突然、生を与えられ
そしてある日、死を与えられる
生きている間も用意されたかのような
「楽しい‥といわれること」を楽しみ
「悲しい‥といわれること」で悲しみ
でも実際、楽しいとか悲しいとか
それが何なのか本当はよくわかっていない

みんな、ただの犠牲者なのだ
負けるために送り込まれる兵隊のようなもの
何もかもを用意された中から選ばされ
自由な意思すら持てない
本当の感情を表現したこともない
気が付けば戦場にいて
地雷とミサイルの中を逃げ回る
で、決して勝利を得ることなく
ドカンだ

悪態をつく若者も
そこでそれをせざるを得ないから
そうしてるだけで
実際のところそれが何なのか
なんでそんなことを自分がしているのか
よくわかっていない
ただ「そうするものだ」と
世界から思い込まされている犠牲者だ

どれかを選ばさせれているような違和感が
いつも付きまとっている

誰もどうしたらいいのかわからない
まったく見当もつかない
ただ「そこではそうするもの」と
教え込まれた選択から選ぶしかない
それ以外には何もできないのだ

なぜ働くのか
なぜ悩むのか
なぜ見たり聞いたりするのか
なぜそんなことをしなければならないのか
そんなことのために生まれてきたのか

犬や猫たちも同じ
吠えたり鳴いたり
画一的な行動を与えられ
その通りにしかできない
世の中に放り出されるかのように生まれ
そして人間社会の中で
野生本能が仇となり死んでいく

いったい何のために、、、

いったい何のために我々は
ここにいるのだろう?

どうしたらいいのかわからないし
そしてどうすることもできない

もし神と呼ばれるような者がいて
我々をコントロールしているのなら話は早い
なぜならば、そこには「理由」があるからだ
支配のためにあなたを生み出し
そして何かに加担させて物事をコントロールする
役割を終えたら死を与える
あなたは納得をするだろう

だが、神はいない

さあどうする?

つまり
あなたの「生まれてきた理由がない」のだ

意味も口実もなくあなたはそこにいる
どこかの海上で風に吹かれ発生した
小さなさざ波よりも無意味なもの、
それがあなただ

「楽しいと言われていること」を追い続け
「悲しいと言われていること」から逃げ続け
ただそのように生きてきただろう
そろそろ本当のことに目を向ける時期だ

そうでなければ
「我々は悲しすぎる」
あなたの人生には
そんな思いしか残らない

あなたのその幸せは本当に幸せなのかね?
どこか変だなと思ってないかね

世界を見渡してみなさい
あなたの意思とは無関係に全ては起こっている
止めることはできない
コントロールすることはできない
ただ諦めるしかないのだ

諦めるとは世界を諦めるのではなく
自分を諦めるのだ
世捨て人になるのではない
自殺をするのでもない
自分自身を捨て去るのだ

あなたの主義や主張、
個人的な好き嫌いや意見
あなたの「大切」
あなたの「個性」
あなたの「プライド」
あなたの「努力」「苦労」「夢」「成果」
そんなものがすべての元凶だ

あなたが世界に発生した理由はない
つまり、あなたは「ない」のだ
ないのに、あろうとする
だから違和感を感じるのだよ

これからあなたは自分を捨てる機会が多くなる
実際これまでも沢山チャンスがあったが
あなたは見過ごしてきた
自分と世界を天秤にかけるときがきたら‥
つまり、理不尽とか不幸とか
そういうことを感じさせてくれる
絶好のタイミングがきたら
迷わず自分を捨てなさい
あなたにとって
あなたなど、全く必要がない

世界を流れるがままに流しなさい
どうしたらいいのかを考える必要もないし
どうすることもできなくてもいいのだ

すべての制限は自分で創っているのだよ
あなたがマインドを超えて
「理由」を求めなくなったとき
生の本当の在処を知る

 

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コメント・質疑応答

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  1. 匿名 より:

    自分の心の投影だから仕方がないのだが、自分さんが、やりたいように自由に生きなさいと言っているようにも、好き勝手に生きようとする自分を捨てよと言っているようにも聞こえる。
    心の声なので何を見てもそう感じるのだろうが。

  2. buruku10 より:

    たまたまこの記事を読んだのですが、

    そうでなければ
    「我々は悲しすぎる」
    あなたの人生には
    そんな思いしか残らない

    この場所が凄く心にグサッときました。

    正に今そんな心境なのです。

    過去を思いだすと寂しさと同時に暖かい気持ちが湧いてきます。

    きっとあの頃僕の心はたくさんの人と触れ合っていた。

    今は誰と会ってもどこにいても一人ぼっちですね。

    僕だけじゃなくて僕の視界に映る僕の世界が全体的に皆孤独そうです。

    それはきっと僕の心がそうだからなのでしょうけど、

    年を重ねる事にルールは増えて自由を失い時間もなくなります。

    みんないつか幸せになれると思っていますが、今が幸せそのものなのでしょうね。

    この自分という壁がなくなって、何にも求めずあるがままにいられたらきっとまた心から誰かと触れ合う事ができるんでしょう。

    そうでなければ人生はやっぱり悲しすぎる物になってしまいます。

    子供のようになんのルールも作らず無邪気に生きれる人が幸せになれるんだと心から思います。

    けっして願いが叶った時なんかじゃないですね。

    最近くだらない事なんですけど、

    少し思い通りになる事があるんですね。

    本当にくだらない事で、欲しかったゲームの最新版が出たり、

    食べたかった物が夕飯だったり、

    でも達成してしまったら、それで終わり、

    毎日こうなって欲しい、
    こうなれば自由になれるって

    ずっと思うんですけど、
    それが叶ったら叶ったで
    また何かしらの理由をつけて、

    不自由になるんだと思いますね。

    いろんな問題があるんですけど、最終的に突き詰めると、やっぱり世界との分離感、自分が何かを求めること、自分を作り出してしまうこととか、
    そういった物が苦しさの原因なんですよね。

    この書に本当は何かを通して本当の自分に触れたいだけ、というような言葉を見ますが

    なんとなく分かる気がします。
    それがきっと自然だったりあるがままだったり、自分を落とすって事だったり、幸せな事なんですね。

  3. 涅槃の書-自分 より:

    buruku10さん
    匿名さん

    すべての出来事の本質は何かわかるかね?それは生命の実感を味わうことだ。だが物事に価値を見ようとすれば、手記の通り身を切るような悲しみしか残らない。どんな金持ちでも、どんなに人間関係に恵まれたひとでも、それは変わらない。仏陀はこの儚い現実を諸行無常と説いた。じゃあ終わりのない悲しみに浸かり続けるしかないのかといえば、それは違う。悲しい出来事に目を向けるのではなく「なぜ悲しいのか」を知るのだよ。それを知る術を学ぶのだよ。

    ならばあなたは悲しみを超えることができる。ただ過ぎていくこの世界であなたはひとり、街を歩いているだろう。

    その視界には何が見えるのか。仏陀は慈悲という表現をしたが、誰もがその意味を誤解して「みんなを愛そう」なんて陥ってる。慈悲とは自他を超えた世界そのものになるということだ。起伏のある大地を包む大空になるということだ。すべてが己なのだよ。

  4. タタータ より:

    >迷わず自分を捨てなさい
    あなたにとって
    あなたなど、全く必要がない

    とっても気持ちいい言葉!😆

    でも、「見捨てないで」って腕をつかまれる。
    今まで手塩にかけて育て上げたヤツを見放せないって後ろ髪引かれる・・・
    って、思ってるのは誰だろう?(笑)

    • ushi より:

      ありがとう。
      あなたのコメントがあったからこの記事を読めた。

      自分を捨てる。

    • 涅槃の書-自分 より:

      タタータさん

      >あなたにとってあなたなど全く必要がない

      この真意は「世界はあなたのなか」にあるということ、それを理解することにある。つまりこの世を「全面的に捉える」ことで、あなたは自由になるということだ。

      なぜなら、すべての人々や物事の存在を「ありのままに許す」ことができるからだ。すべてを許すということは、自分自身がそこから解放されることを意味する。

      だが「許す」というのは、自分に無理強いして相手を我慢するということではない。それはまったく許せていない。繰り返しとなるが、許すというのはありのままに認めるということだ。

      たとえば「個人」という狭い自分からみれば、人々は間違えているようにみえる。だがそれぞれは「正しく」存在している。

      よく森にたとえるが、草花や川の流れや鳥や虫たちは、お互いに配慮しあっているわけでも誰かの役に立とうとしているわけでもない。常に全開に生き生きと存在し、そのために必要があれば「世界を使うだけ」だ。

      その「世界を使う」ということにおいて、あなたが自分というものを狭い視野で捉えていたら「他者に利用されている」「自分を守らなければ」と思うようになる。

      そうなると今度はあなたが世界を自由に使ってよいという気持ちに後ろめたさが起こりはじめる。

      だがその「後ろめたさ」というのは、己の本来あるべき姿が抑え込まれているから感じるのである。

      これは犯罪行為や利己心に見られるような、他者の自由を奪い去って我が自由を獲得するというのは違う。それも自分を守るという心理が働いている。自己中やわがままというのも同じ。それらもやはり狭い視野で生きているからだ。

      奪うというのは獲得であって使用ではない。

      もし森の生物がそのような誤った自由(奪い合い)にあるとするならば、森は成立しないだろう。海の生物界も同じ。

      誰に指示されるわけでも掟があるわけでもなく、自然はずっと栄えてきた。それは互いが獲得ではなく「使用」という流れのなかにあるからだ。つまり森とはその「流れ」の結果としてそこに現象しているものだといえる。

      だから掟を必要としたのは、狭い視野でしか己を見ることができない「人間」という存在だけなのだ。

      だがこの世は「あなたのなか」にある。つまりあなたが森なのであり、そして森は様々な存在の集合として成立している。単体としての森は存在しない。

      そこに気づくとき、

      >って、思ってるのは誰だろう?(笑)

      その答えがわかる。

  5. タタータ より:

    ushiさん、おはようございます(^-^)
    こちらこそ、ありがとう。

  6. タタータ より:

    自分さん、こんばんは。
    お返事ありがとうございます。

    子どもの頃を思い出していました。

    >常に全開に生き生きと存在し、そのために必要があれば「世界を使うだけ」だ。

    まさにそうでした。
    自分(自我)を意識することなく、損得勘定も無く
    、ただ目の前の出来事と一体となり、
    楽しかったなぁー(^-^)

    キラキラした素敵な思い出が私を取り巻いていて
    今はまだそれを手放せず握りしめています。
    でも、少しずつ、何だかとっても大きい存在に
    近づいているのを感じています。
    もしいつか、本当に対峙する時が来たら、私はどんな風になっちゃうのだろう?ワクワクするような、でも少し恐いような。

    • 涅槃の書-自分 より:

      タタータさん

      >でも、少しずつ、何だかとっても大きい存在に近づいているのを感じています。

      その大きな存在はいまもずっとあなたを包んでいる。だからあなた自身がだんだん曇りが落ちてきているということにある。

      怖いものではないよ、あなたにとって人を思いやる気持ち、優しさ、愛すること、そうした思考を超えた温かい感覚がその「大きな存在そのもの」の姿となる。

      私たちはみんなそこからやって来て、そしてそこへ還っていく。だけどもそれはいまここと同じところなのだ。

      人はそれに気づいていないだけなのだよ。だからある意味で私たちの方こそが死んでいるのであり、また私たちの方が眠っているといえる。

      何も失われなどしないし誰かと離れることもない。逆にいえば、一体どうやって離れることができるというのだろう?

      そういうものだ。

  7. タタータ より:

    連投すいません。
    悲しくて泣きたいときに、私は車の中とかで大声出して泣いたりするんですが、最近あまり長く泣けなくなりました。
    なんかすぐ後ろで誰かに冷静に眺められてる感じで、なんというかシラケてしまうのです😅

    • 涅槃の書-自分 より:

      タタータさん

      感情は長く続くものではない。途中から思考の演技に変わる。怒りも悲しみもそうだ。

      あなたが冷静に見ている対象とは思考のことであり、つまりあなたは思考ではないということが表れている。

      見ている者は何かといえば様々な表現ができるけども、多くは「大いなる意識」とよばれる。だがそれは実体を持つものではない。

      たとえば眼球はあらゆるものを見ることができるけども、眼球そのものを見ることができないように、意識とは「見ること」そのものであり、すべてを含んだ全体の「揺らぎ」のようなものとなる。

      言いかえれば、あなたが全体だということだ。

      あなたが全体ゆえにこの世のすべてと関わることができる。交流したり共感したりできるのである。

      よって思考を俯瞰しているとき、あなたは個人という制限を超えて全体意識に到達しているといえる。それを保ってみるといい。なんでもうまくいくようになる。

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