光と闇について理解する

この世の真実とは2つだけだ
それは
あるか、ないか、だ

暗闇に光を灯すと
光景が現れる
それが「ある」だ

光を消すと
光景が消える
それが「ない」となる

あなたは闇が襲ってくると思っているが
そうじゃない
闇は光がないときの状態のこと
つまり「ない」という様子

周りを見渡してみなさい
すべて光として浮かんでいる
どこに浮かんでいるかといえば
闇の上にだ

いま私はカフェでこれを書いているが
私のタイピングする両手も
3つ隣の席で談笑する老人たちも
すべて光である
私は光を見ている

 

感覚を観るということ

「見ている」とすれば
それは内容を指すから語弊がある
正しくは「観ている」だ

何かが聴こえるならば
それを聴くとするのではなく
聴いていることを”観る”のだ
何かに触れているならば
触れていることを観る

そうしてあらゆる感覚を「観て」いく
“視界を見ていることすら観る”
に至るときあなたはその内容、
つまり対象を重視しなくなる
すなわち、物事に囚われず
ただそこで起こるがままを
観ることができるようになる

では一体何を観ているかといえば
それが光だ

光が消えると
闇という空間がただ残る
闇は距離や大きさ、
時間という概念を持たない
ただ漠然とそこに据えている
光と闇
オンとオフ
つまり生やら死やら
色やら空やら
それは光と闇のことだと
置き換えればわかりやすい

ただし先にも書いたように
闇は襲ってくるものではない
光が消えるとそこに残るものだ
もともとそこにあるもの

つまりあなたの本質は闇なのだ
熟睡や無意識
それらはすべて闇というモード
空というスペース
涅槃という境地

だから”人間的な解釈”では光こそが
「すべて」であるといえる

音も感触も味も匂いも
そして見えるものも
すべて闇に想起した光
あなたはいつも光を感じている

 

地獄のカラクリ

さてここからが本題

不安や憎悪、怒りなど
あらゆるネガティブは
そこにないものから発生する

どういうことかといえば
例えば誰かに
何かを言われて腹が立つとき
あなたは過去の体験から
その言葉を判断している
「彼はこういう意味で言っているのだ」とね
つまり内容を作り出しているのだ
すべての内容はあなたが作っている

もしあなたが光を照らせば
内容を重視しなくなる
誰かが音を発している、
とだけにしか受け取れない

それ以外に何がある?
そこで茂った葉が風で揺れている
それ以外に何がある?
だがあなたは
「葉が風で揺れている、不吉だ」という
どこにそんな不吉があるのかね

やることやってるのに
仕事がうまくいかない?
その「うまくいかない」とは
一体何のことかね

「闇に浮かんだ光を観ている」
と自覚しているとき
そこにないものはやってこない

つまり
一切のネガティブとは
光がないときに起こるということだ

可視的な闇はいたるところにある
物の陰、物入れの奥、遠くにある建物の窓の中
マインドはそこに恐怖を感じる
なぜならば、マインドの居場所ではないからだ
人は死を恐れる
完全な無
虚空、虚無

だがそれがあなたの本質
「あなた」という概念すら
その闇に浮かんだ光なのだ
毎晩眠りに入り闇に還る
そうしてリフレッシュされる

つまりあなたはあなたに戻る
あなたというスイッチを一旦オフにして
すべてにすべてが溶け合わさる

光は人間的な「すべて」だ
それは確かだ
あなたが光輝けば
あなたは幸せになる
多くの人が集まってくる
笑顔が溢れる
まさに「スター」となる

だが闇も素晴らしい
誰もが忌み嫌う
人は寄りつかなくなる
なぜならば
あらゆる存在を認めないものが闇だからだ
完全なる静寂
ヒーリング
他者もすべて
あなたが作り出しているのだから
彼らはその存在性を失う
だからあなたから”離れていくような動き”を
とりだす
これは潜在意識を逆手に取った面白さだ

闇に恐れがあるならば
それは理解ができていない
闇にはネガティブすら「ない」のだ

あなたが光を灯さないとき
そのマインドはあらゆる妄想をかき立てる
それがネガティブの根源となる
それが地獄世界のカラクリとなる

外的な闇だけじゃなく内的な闇

あなたが無意識に生きているとき、
それは常に闇の状態

誰かが何かを言って怒りや憎しみの反応をする
誰かが何かを言って嬉しくなったり喜んだりする
通帳の数字を見て不安になったりする
鏡を見て今日はバッチリだと思ったりする

それらはすべて無意識だ
「思い」とは無意識が生み出した闇の産物

たとえポジティブに受け取っているものですら
あなたが自らの存在性に光を灯していなければ
それはやがて自身を苦しめるものとなる

 

意識的に生きるということ

覚えておきなさい
無意識=闇だ

闇は先のとおり「ない」だ
そこにはネガティブすらないのだ
だからあなたがネガティブを感じているとき
ありもしない何かを
作り出していることになる

作り出されたこと自体は制御できないが
「自ら作り出している」と
受け取ることはできる

そのためには内的なスペースに
光を灯さなければならない
意識的に生きているとき
あなたはネガティブを超える
その嘘っぱちに気が付くようになる

すべては闇に想起した幻影だと
わかるようになる

常に闇を感じなさい
物の陰の闇を見つめて
そこから入りなさい

すべての光景、物事は
闇の上に浮かんだ煙のようなものだと
悟りなさい

そしてオンであろうがオフであろうが
あなたが闇そのものであるゆえ
決して消え去ることはないこと
そこに気が付きなさい

日常生活の中で
そこに気が付くようになることだ
すべてを大切にできるようになる

生という奇跡に
あなたは感謝しかなくなるだろう

この世の真実とは2つだけだ
あるか
ないか

だがそのどちらも
あなたは知っている
「ない」すらも知っている

この超越した意識をつかみ取りなさい
あなたは何者なのか
そこに気が付くのだよ

 


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コメント・質疑応答

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  1. より:

    確かに、対象がここに居ないとき、つまり、光が当たっていないとき、それは悪魔に、或いは天使などに変貌しますね。

  2. より:

    記事を読んで、ふと、能と言う芸術が闇の中に思い浮かびました。観賞したことはないですが、西洋の舞台芸術が光の芸術だとすると、日本の能楽は闇の芸術なのかもしれない。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      いいかい
      光は実在で
      闇は不在のことだ

      善悪のことではない
      また、熱い冷たいのような
      二元性のことでもない

      あるか、ないか、

      それだけのことだ
      だが、あなたのその生は
      それだけが事実なのだよ

      いまそこに想起している光景
      それが光だ
      だが多くの場合、
      あなたは自分の内側を灯していない
      だから現実に囚われてしまう

      もっといえば
      世界はあなたであり
      それが照らされるのは
      あなたの意思とは無関係だ
      だがあなたのエゴの後ろに影ができる
      つまり心は照らされていない

      どうして心を照らそうか
      簡単だよ
      エゴを退ければいい

      エゴですら光のもの
      どうにかするのは
      エゴの後ろにできた影だけだよ

      そこが照らされるとき
      あなたのステージは眩さで満ちる

  3. 岩窟王 より:

    ありがとうございます。

    ここに、いろんな答えが入っていました。

    • 自分 -涅槃- より:

      岩窟王さん

      今回の手記は
      長い話の一部分だ
      その続きを書いていくよ

      無論、長い話とは
      あなたという存在のことだ

  4. 困ったさん より:

    このまえはお返事ありがとうございました。
    でもまだ実感はできてません。

    今日ここにコメントする気になったのは。
    お好み焼き屋で夕ご飯食べててエンブレムテイク2っていう昔の漫画が置いていて暇つぶしに読んでたんですね。ヤクザ漫画ですw 高校生の時、弟が買ってきたり自分が買ったりでヤンマガ読んでたんですが、途中で読まなくなりました。
    ビーバップハイスクールの作者で全くのヤクザ漫画と思ってたので単行本に手をだすこともなく存在さえ忘れてたのですが、今日、最終巻に近い巻をお好み焼き屋で読んで主人公が「俺は記憶なんてなくしてないのかもしれない。誰かに操られてるのかもしれない」という台詞がでていて、あれ?こんな話だったかな?と違和感を。最終巻置いてなかったので気になって調べたら、なんとゲーム落ち。

    主人公は仮想現実のゲームの中で神(プレイヤー)に操られていて抗争相手と戦わされてたってSF落ち。かなり昔に終わった漫画ですし、今更、この衝撃のラストに。あ、やはりゲームか・・・と思いました。けれど私は神(プレイヤー)に動かされてるコマで、望みは適わないのか・・・。と思うと。

    意識ない熟睡中でも腹痛がおきると飛び起きますし
    自分がゲームプレイヤーのコマだって悟っても空しいな・・・という気持ちが強いです。

    • 自分 -涅槃- より:

      困ったさん

      あなたが「自分」から離れることができるならば
      それがゲームのコマであっても
      それは構わないことになる

      このように考えてみなさい

      いまあなたの関わる人々
      彼らはあなたにとって
      どういう存在なのだろう

      あなたの関わり方、
      すなわち、あなたの見ている世界に登場する彼らは
      まさにゲームのコマのようではないだろうか
      他者をコントロールするという話ではないよ

      そうではなく
      彼らはあなたの意思とは無関係に行動しつつも
      いつもあなたの意識の中にいる

      同じように
      自分自身もそのように見据えてみなさい

      そうして世界を捉えるとき
      虚しさなどは生まれない
      なぜならば
      すべてあなたの中で起こっているからだ

  5. より:

    闇の部分に天使や悪魔が生まれ、それが現実に投影されるようです。
    よく見ると天使や悪魔(ポジティブやネガティブ)は目の前の出来事と関係は無いようです。そこまでは気が付いています。
    気が付いていても、出来事に触発されて、嫌な気分が生じると嫌なものです。
    それは確実に内側から生じている。
    目の前の人が悪魔なのではなく、そのように感じている自分がいる。
    そのように感じている自分を私はいつも観るようにしている。これが闇を照すと言うことかどうかわからないけど、このようにしている。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      新しい手記にもコメントを頂いているようだから
      そちらに返信をさせて頂こう

  6. kouiti より:

    手記で自分さんは般若心経を持ち歩いていたと書かれてましたが、般若心経をどのように解釈されますか?

    • 自分 -涅槃- より:

      kouitiさん

      持ち歩いていたのはかなり昔のことだよ
      いまとなれば
      般若心経も電子レンジの取扱い説明書も
      同じものだ

      それがそこにあるということ
      すべてこの世界に起きたものだ

      いずれあなたが物事に対して
      意味を与えなくなるとき
      この話が理解できるだろう

      我々は意味を与えている
      あれはこういうもので
      これはこういうものだ

      現実と夢、
      生と死

      それらの内容に囚われず
      意味づけを葬り去るとき
      あなたはすべてが己そのものだったことに気が付く

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