世界を流す3つの方法

世界を流す手ほどきをしよう

まず嘘をつくのをやめることだ
嘘とは「あなたの事実」を
曲げるということだ
ただし言い逃れや言い訳だけじゃなく

・いい格好をしない
・違う自分を演じない

ということも含まれる

嘘でなければいいのだ
例えばテニスを始めたくて
テニスプレーヤーの気分になる
それは本当のことだからGOだ

ここでいう「演じる」とは
レジに並んでお客のフリをしないということ
この「フリ」、つまりペルソナといわれる
インスタントな人格があなたを苦しめている
近所のおばちゃんに挨拶するときも
わざわざ満面の笑顔を作って
威勢の良い挨拶をしなくてもよい
そのときの自分の延長を引き出せばいいのだ

NOなものはNOでいい
なぜYesといわなければならないのかね?

この「フリ」というものをやめるとき
あなたは世界からの完全な独立を果たす
孤独を感じるだろうがそれでいい
しばらくその孤独に浸って生きてみなさい
あなたはその孤独が怖くて
ずっと演じてきていた
だからいつも計算してきた
玄関を出て
近所のおばちゃんと鉢合わせになったら
どうしよう
レジで変な人間だと誤解されたらどうしよう
あなたはそんなことで消耗を続けてきた

あなたには善か悪しかない
どちらかしかないから
善でなければならないとする

ふふ
くだらないね

つまりそういった諸々の「嘘」を暴きなさい
自分についている嘘をやめるのだ
それだけでとても人生が軽くなる

あなたの本性とは
善か悪かだけのモノクロではなく
もっと無段階にカラフルなものだ

最初は世界に置き去りにされた感覚になる
素の自分で他人に対応することで
後で恐怖に落ちるかもしれない
それでも続けなさい

すべて幻想なのだよ
あなたは幻想の中で戦っている
それに気が付くためには
幻想を相手にしないことだ
いずれ「ある納得」が訪れる

 

2つめ

さて次だ

自分の嘘を暴いたら
次は他人の嘘を許すようにしなさい

あなたは他人の言動を許さずに生きてきた
だから理不尽や不幸がそこにあるのだ
覚えておきなさい
他人は「嘘」でできている
他者とは嘘そのものなのだよ

なぜ「他」者なのかね
それはあなたではないからだ
もっと砕いていえば、
いまそこにあるマインドとは別のマインド
それが白ならば
その白以外が「他者」だ

どれだけあなたに同意をしようが
どれだけあなたに親密に関わろうが
あなたがそこに主義主張を持ち込む限り
必ず抵抗感が生まれる
白でないものを
白に塗りつぶさなければならないからだ

いいかね、この本質に触れなさい
他人は、そこでそのようにその通りに
存在しているということ

あなたが自転車に乗って
電柱にぶつからないようにする
それは電柱を識別したから避けたのだ
それが他人
あなたと同じ「色」ならば
それは存在しない

つまり世界とは
すべてあなたに反発するものだけがあるのだ

毎日色々と思うことがあって当然なのだよ
すべてが「あなたではない」のだからね

だから覚えておきなさい
あなたではない、ということは
あなたにとってストレートではないということ
言葉の表現は何でもいいが
「嘘」がベストマッチだ
マインドが許さない最も対極側にあるからだ

あらゆる教えで
「他者や世界を許しなさい」とあるだろう
それはつまり
彼らの嘘に反論するな、ということだ
それをそのまま認めて受けいれればいい
そこに電柱があるようにすればいい
見たら避ければいいのだ
わざわざ悪態をつく必要などないのだ
それはそこにそのようにある

同様に他人をそのままに流していこう
彼らはその通りにそれをしているのだから
それはそういうものなのだ

 

3つめ

そして3つめ

すべては「すぐ近くで起きている」ことを
知りなさい

遠くの風景を見てみる
だがそれは遠くがあちらにあるのではなく
眼球が目の表面、すぐそこで見ているのだ
つまり遠くというものはなく
すべてはすぐ近くにあるということ

100M先の列車の音も
向こうで鳴っているのではなく
その鼓膜がそこで聞いているのだ

すべてはあなたに
まとわりつくように起きている
つまり、距離は実在しない
ただの妄想だということに気付きなさい

そして距離がないということは
時間が存在しないということだよ

この話は古い経典を持ち出した方が良いだろうから
次回にまわしておくよ

今回の話

・自分の嘘を暴く
・他者は嘘でできている
・すべてはあなたに張り付いて起きている

この3つを理解することで
あなたは世界を流すことができる

 

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コメント・質疑応答

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  1. より:

    今日、丁度、仕事で追い詰められてるとき、ふと涅槃の書を思い出して、全ての感情を観照してみよう、怖い気持ちや不安な気持ちも一年後に味わうことにしたら、急に孤独感が襲ってきて村八分にされる不安に苦しめられた。
    つまり、感情を「エポケー」すると言うことは、凄いリラックスするので、家の中のくつろいだ自分になってしまうわけだ。
    急に疎外される不安が襲ってきて、慌てて仮面をつけた。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      自我がどれほどに世界に反発をしているかが
      あなたにはよく見えているようだ

      不安になるほど
      疎外感を覚えるほど
      自我がくっきりと姿を見せはじめる

      そうして捕まえなさい
      その自我があなたの苦だ
      一度捕まえたら
      その感覚を忘れないようにする
      それだけでいい

      感覚を覚えている限り
      あなたは自分を見失わない
      世界をあるがままに受け流すことが
      できるようになる

  2. 岩窟王 より:

    眼球への刺激が「それ」。
    それを「遠くの風景」に翻訳しているのが「私」。

    鼓膜への刺激が「それ」。
    それを「100M先の列車の音」に翻訳しているのが「私」。

    感触は、「体(首から下)=目の前の世界」にありはしないか?

    頭の位置は「透明=空」に成ってはいないか?

    誰が「見ている? 聞いている?」

    「私」はいない。  ただ「それ」が起こっている。

    • 自分 -涅槃- より:

      岩窟王さん

      あなたが立ち止まって
      誰かが歩いている姿を見るとき
      彼は世界の中を進んでいる
      風景という固定された枠の中を
      彼は歩いている
      そしてどこかに消えていく
      世界に登場するすべては同じ動きをする
      固定された風景の中を過ぎていく
      だがあなただけは違う

      あなたが歩くとき
      風景が動く
      風景の中に進んでいるあなたはいない
      どこにもいない

      世界そのものが動く
      それがあなただよ

  3. 29歳 より:

    人生に目的や意味を求めることの不毛さは、理解し始めてきたかと思います。
    「精神的構築物としての私」が崩壊し死んでしまったことも、
    これで良かったのだと受け入れるようになりました。
    頭の中がいよいよ「空(から)」になり、思考による構築ができなくなりました。

    Whatever happens happens.
    「なるようになるさ」と和訳されることが多いですが、
    起こることは起こるというトートロジー以外ないのでしょう。
    それでもやはり、何か大きな変化が起こることを期待してしまうのですが。

    映画smoke観ました。とても良い映画でした。
    ただ、私はかつてうつ病であることを隠すために多々嘘をついてきたので、
    これ以上嘘はつく生活は嫌だなという感想を持ちました。
    具合が良くなってからそれを周囲に打ち明けたところ、
    かなりびっくりされたということもありました。

    今回の記事にある「自分の嘘を暴く」「他者は嘘でできている」は
    理解できますし、実際にできます。
    ただ、3番目の「すべてはあなたに張り付いて起きている」がよくわからない。
    正確には、なぜこのような内容が重要なのかが理解できないのです。
    また、すべては幻想であると強調される必要性がわからないのです。

    自分の感知しているところだけが現実感覚として作られている、
    自分が動いているのではなく周囲の背景が動いている、
    すぐ後ろの舞台裏は無であるというのは、
    スタートレックのホロデッキの仕組みに近い話だなとは思いました。

    最近掲載されている手記を読み、ふと思い出したのは、
    SFドラマ「スタートレックDS9」に出てくる
    嘘の達人でもある人気キャラクター、ガラックのセリフでした。

    「うーん。何て美しいの。ほら、どこまでも…果てしなく空が広がってる。」
    「虚構だ。全て幻想です。10メートル先にはホロスイートの壁が立っている。」
    「目には見えないわ。」「感じるんです。」
    (第153話 “Afterimage”「再生する魂」)

    • 自分 -涅槃- より:

      29歳さん

      答えていこう
      まず映画の話から

      あの映画の最後のシーン
      たばこ屋と盲目の老婆のやり取りだ
      互いに嘘がある
      それは観ての通り

      大事なポイントは
      嘘をつくかどうか、ということではなく
      まして、他人に優しくするとか
      そういうことでもない

      あなたは内容を見ている
      たばこ屋と老婆との関わった内容を見ている
      あなたの現実生活でもそうなのだろう
      あなたは内容を見て生きている

      たばこ屋が作家に「作り話だろう?」と言われる
      作家もあなたと同じ
      それをやめなさい、ということだ

      なぜ人は不幸になるかわかるかね?
      「意味付け」をするからなのだよ

      あの映画を意味付けすることなく観たとき
      あなたは違う感想を持つだろう

      ただ起こった、

      それだけがある
      あなたが誰かと関わるとき
      一切の意味付けを捨ててみなさい
      自分にとってどうだとか
      意味があるとかないとか
      理由はなんだとか
      そういうものを持ち運ばずに
      人と関わってみなさい

      ならばあなたは誰とでも友達になれる

      さて次だが、
      「あなたに張り付いて起きている」
      これが理解できるようになると
      すべてがひっくり返ってしまう

      なぜならば
      あなたの「外側」など
      存在していないことがわかってしまうからだよ

      これについてはまた別の手記で伝えよう

  4. ガルシア より:

    自分さん、はじめまして。

    初歩的なことで恐縮ですが、いくつか質問をよろしいでしょうか?

    自分さんがよくお書きになる「自分を捨てる」と「自分の好きに生きる」についてなのですが、恐らくひとつのことを仰っているのだろうと思うのですが、対照的な印象を受けてしまい上手く体得出来ません。
    「自分を捨て」て「自分の好きに生きる」とはどのような感覚なのか、もう少し教えていただけないでしょうか?

    そして、自分さんは常に観照をしている状態にいらっしゃるようですが、1日の中で改めて座禅を組んだり瞑想をしたりということはなさっていないのですか?

    • 自分 -涅槃- より:

      ガルシアさん

      はじめまして
      >「自分を捨てる」と「自分の好きに生きる」について

      よろしい
      だが最初にひとつ理解が必要だ

      私が何を書こうが
      すべてあなたの世界の中の出来事なのだということ

      どんなに立派な僧がいても
      爆音を鳴らしてバイクで走る若者がいても
      それらに意識を向けた時点で
      あなたが映っているのだよ

      つまりすべてがあなただ

      私がAと書いた
      次の日はBと書いている

      AもBもあなただ
      あなたはAやBに映った自分を見ている
      私が「自分」と名乗っているのはそういうことだ

      だから覚えておきなさい

      あなたはあなた自身をいつも見ている
      あなたはあなた自身をいつも食べている
      あなたはあなた自身をいつも触っている

      なぜその世界を感じ取ることができるのか?
      それはあなた自身の姿だからだ

      だがエゴとして浮かび上がった「あなた」は
      その世界で奮闘する
      必死で手を伸ばして何かを掴もうとする

      「奮闘」も「掴もうとする」も
      その行為そのものが、あなただった

      これらの前提を踏まえた上で
      あなたが自分で書いたコメントを読んでみなさい

      誰が問うて
      誰が答えるのだろう?

      私はあなたに道を開くことができる
      だが私はあなただ
      あなたがその理解を得ない限り
      道に迷うだろう

      自分を捨てて
      自分の好きに生きる

      迷いを捨てて
      世界に溶けなさい

      世界はあなたの知っている通りにできているだろう?
      すべて都合良く揃っているだろう

      街では家が無数に建ち並び
      山では草木が無数に育っている

      一体どうやって?
      誰がやった?

      あなたは疑問に思う

      こんなに人生は辛いのに
      どうしてみんな普通に生きてるのだろう

      変だと思わないかね?

      それほどまでに大変な世界なのに
      どうしてみんな普通に生きてるのだろう
      そしてあなたが目を向ければ
      同じように大変な人々が出てくるのは
      どういうことだろう

      つまり目を向けたら
      何かが出てくるこの世界とは
      一体なんなのだろう

      変だと思わないかね?

      世界をよく眺めてみなさい
      特に固執せず
      ただありのまま、
      その流れている様子を静かに眺めてみなさい

      夕暮れの堤防でもいい

      川にキラキラと輝く夕日の反射
      自転車を押しながら下校する高校生
      買い物袋を下げた若いママ
      営業廻りから戻ろうとしている会社員

      ただじっと眺めてみなさい

      それが世界だ
      ただその光景だけがそこにあるのだ
      1秒後も1秒前もなく
      あなたが「見たとき」だけが
      そこに浮かんでいる

      まだ無意識の中をさまよっているから
      あなたはそれがわからない

      何も考えず
      何も理由付けをせず
      ただその瞬間を感じ取るよう
      努力をしなさい

      あなたが目を向けたこのブログに
      何かが書いてある

      それがどういうことなのか
      いずれわかるときがくる

      座禅もすればいい
      なんでもやりなさい

      そして、そういう行為が起きていること
      そこに気が付きなさい

  5. ガルシア より:

    自分さん、ご返信ありがとうございます。
    加えて18日付の記事も理解の助けになりました。

    とはいえすべての理解へは至っていないのですが、夕べ印象的なことがありました。

    好きなロックミュージシャンのliveを観に行ったのですが、本編ラストの曲の演奏を観ていたら、同じ曲の演奏中にも関わらず、数分前、数秒前のシーンすらもうすでにそこには無く、ステージもミュージシャンも、マイクも楽器も照明からの光も、一切は消滅していて、「私たちには実体がないのだ」とありありと感じ、愕然としました。

    この頃、数秒前のシーンはもうここには無いということをよく意識するようにしていて、ある種の儚さは感じていたのですが、実感としてこんなにもありありと感じたのは初めてでした。
    自分さんがよく「実在しない」と表現されていることはこのことかな?と思いました。
    本当に、私たちは実在していませんでした。

    その後、アンコールになりそのミュージシャンがステージから投げたペットボトルが私の足元に落ち、私はそれを取りました。
    そのミュージシャンの歌っている詩が涅槃の書と通ずることもあり、私は「OK」と言われたような気がしました。「この理解を得るために今日ここに来たのだ」とも思いました。
    しかし、帰りの電車の中で「そうだ、解釈を与えずただ眺めるのだった」と思い至りました。
    ペットボトルは「ただ足元に落ち」「ただ拾い」「ただ手元にある」のだと。

    自分さんがお伝えくださった、何の固執もせずただ眺めること、理由付けをせずただ瞬間を感じ取ることから始めたいと思います。

    ありがとうございました。

    • 自分 -涅槃- より:

      ガルシアさん

      その通り
      それでいい

      ミュージシャンの歌詞が
      あなたの他の経験とリンクするのは当然のことだ
      すべてあなたが作り出しているのだからね

      あなたがミュージシャンのライブに行ったとき
      そこに映る光景はすべてあなただけのものだ
      いまそこでこの文章を読んでいることもそう、
      これはあなたが自分に向けて伝えている

      あらゆる出来事は
      あなたのためだけに起こる
      もしペットボトルが数人隣の人が拾い上げたとしても
      それを見たのはあなただ

      何がどうあれ
      すべてあなたの中で起きている
      これが意味するところ、
      すなわち
      あなたの正体は「経験」そのものであるということだ

      経験に意識を置くとき
      それを経験している「自分」は消える

      アダムは本来のポジションへ戻る
      アダムとはイブが過ごすための空間だったのだ

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