社会と人間
相手に合わせてしまう癖がないだろうか。気づいたらいつもお調子者になっていないだろうか。そしてあとで自分の情けなさに後悔していないかな。
こうした「癖」は子供の頃からの情操教育で「相手の立場になって接しなさい」と教えられてきたためであるが、私たちはそれがごく当然のことだと染み付いてしまっている。たとえどれだけ悪態をついても自分が悪態をついていることをわかっている時点で、やはり相手を意識しているのだ。つまり常に他者に意識が向かっている。
道徳や倫理観は綺麗な言葉でまとめられる。「思いやり」だとか「気遣い」とか、「配慮」とかね。それらは悪いことじゃない。やるやらないは別として「してはならないことだ」とは思わないだろう。
だが実際のあなたはどうだろうか。誰かと接して「相手を立てる、相手に合わせる、同調する」といったとき、ある種の恐れのようなものがないだろうか。
「こうしなければならない」という外的な規範は、あなたに落ち着かなさや不安、焦り、恐怖を与える。これは世界各国で同様のことであり、つまりあなたと同じ「恐れ」を、目の前の相手も同様に感じているのだ。
1.仕込み済みの世界
人間関係や人生そのものを「厄介で面倒で重苦しいもの」にしているのは、このなぜだか感じてしまう「恐れ」に他ならない。ビジネスを始めるときも、素敵な異性に声をかけるときも、ただ普通に働いたり、家族を会話をするときだってそうだ。自分の本当に接したいやり方、本当はこうでありたい、といった自由を完全に奪われている。
そうであるから誰もが神社で願いを捧げたり、恋愛ドラマを見て自分もそれに憧れたり、願望実現などの本が売れるのだ。
この世の「見本」となるすべて、つまり神社にしろ願望実現や恋愛成就といった概念などが、まるで「用意されたかのように」ぶら下げられていることに疑問を持たなければならない。すべてが仕組まれているのだ。
物事に自由を見出そうとするのは、いま自分が不自由を感じているからであるけども、このような観点で世の中を見てみれば、流行や話題も最新商品も、昇進もボーナスも資格取得も海外旅行も、あらゆるものが「そこに自由を思わされているだけ」のものだとわかる。
ゆえにどんなに「自分は自由に生きている」という人がいても、それは用意された自由のなかで泳がされているにすぎない。そして彼らはやはり恐れている。恐れがある限りは自由とはいえないのだ。
2.見えない鎖
繰り返すけども、相手を思いやったり同じ瞬間を共有し合うのは良いことだ。だがここで問題としているのは、その良いことのために「恐れを抱く心」が、生の不自由、すなわち目に見えない鎖で縛られているということにある。
実際誰かと分かち合う喜びというのは、その恐れが消え去ったときに恩寵として起きているものであり、あらゆるポジティブな躍動は鎖からの解放を意味している。それが自由なのだ。それを獲得するとき、あなたはこの世界という巨大な家の「持ち主」となる。何も持たないゆえに「すべてを持っている」ということだ。
さて今回はなぜそんな鎖に縛られているのか、そしてどうすれば解放されるのかについて話そう。
3.社会の根底にあるもの
西洋でいえば中世ごろまで、日本は明治以前まで、支配者は恐怖による権力で民衆を治めていた。晒し首とか磔とか、罪を犯したものは公開処刑で見せしめにされていた。現在の死刑罪は誰の目にも触れず厳かに行われるが、以前までは公衆の面前で刑罰のパフォーマンスを行なっていた。無論、支配者はその権力を誇示するために打ってつけであるからだ。
また国王を祝うようなパレードもそうだ。己の権力を見せつけることがその前提にある。誰もがその威光に頭を下げる。
ところがそうした力での制圧は、逆に力によって覆される危険性を孕んでいる。フランス革命でもみられたように、民衆が団結してしまえばいくら王とはいえど、その足元から崩されてしまってはどうにもならない。数百年続いた従来の支配のスタイルはもう限界にきていたのだ。そして新時代へと変わる。
4.新しい支配システム
実際、1793年にフランス革命裁判でルイ16世や妻のマリーアントワネットが斬首刑にされたあと、オルレアン朝を経た1840年ごろには、見せしめの身体刑は廃止され晒し台も撤去されていった。そしてそれまでとは打って変わり、人目につかない刑務所に放り込まれてそこで社会的な矯正をされるようになった。
これはどういうことかといえば、民衆支配をそれまでの「邪魔者は死なせる」というやり方から「役に立つように生かせる」に変えたのだ。だが支配が「緩くなった」と思うのは早計であり、実はもっと巧妙に民を支配するためのシステムに移行したのだ。
つまりそれまでは反乱を起こした「罪人だけ」が支配者の矛先が向けられる対象とされていたが、その変革以降はすべての民衆に「あらかじめ反乱が起きないように」制御しはじめたということだ。
5.社会を刷り込ませる
これまでの話で読み取れるように、国王は反乱を恐れている。だが力での支配はいずれ覆される。じゃあどうすればいい?「常識」を植え付ければいいのだ。
学校でも会社でも社会でもどこでもそうだが、人は自分が理不尽に感じると反発しはじめる。だから人々を支配する最も良い方法とは「自分が支配されていると意識させない」ことにある。つまり「人々に自由だと思わせつつ、意のままにコントロールできる仕組み」を作ればよいのだ。順に説明していこう。
Notes あなたの世界, あなたの正体, あるがまま, タオ, ネガティブ, ワンネス, 不幸をやめる, 世界, 世界を変える, 他者, 幸せになる, 幻想, 心, 悟り, 生き方, 自由, 苦悩, 観念
関連記事
- PREV
- 顔の泥は自分ではみえない
- NEXT
- 自分を運ぶ
コメント投稿の注意事項
以下をかならずお読みください。
・公序良俗に反する内容、品性に欠いた文章、その他、閲覧者に不快感を与えると判断された投稿は掲載不可の対象となりますのでご留意ください。コメント欄は常時多くの方が閲覧しておりますことをご理解の上投稿してください。
・会員記事のコメントはログインしないと表示されません。
・会員の方はユーザー名が入ってしまうので別名をこちらで申請してください。必須。
・追記などを投稿する時は自分の最初のコメントに返信してください。
・記事に無関係な投稿は禁止です。良識範囲でお願いします。
・ハンドル名が変わっても固有idに基づき本人の同一性が保たれます。
・対応の状況によりすべてのコメントに作者が返信できるものではありません。
・規定の文字数に満たない短文、英文のみは表示できません。また半角記号(スペースやクエスチョンマークなどの感嘆符)は文字化けなどのエラーになりますので使用しないでください。使われる場合は全角文字でご使用ください。
・他の利用者を勧誘や扇動する行為、誤解を与える表現、卑猥な表現、犯罪行為を正当化するコメントなどは禁止です。また全体の文脈の意図を汲み取らず言葉の端や表現に用いられた構成部分だけを抜き出してその箇所のみへの質疑や意見する投稿も当事者にも他の閲覧者にとっても無益となりますので禁止です。それら意図がなくても事務局でそのように判断された場合はその箇所を修正削除させて頂いたり、または掲載不可となりますので予めご了承ください。
・同一者の投稿は1日1〜2件程度(例外を除く)に制限させていただいております。連投分は削除させていただきます(コメント欄が同一者で埋まり独占的な利用になってしまうのを防止するためであり日を跨いだ投稿も調整させていただく場合があります)
・個人情報保護法により個人情報や会員情報に関する箇所が含まれている場合は該当箇所を削除させていただきます。
・投稿内容に敏感な方も多くいらっしゃいますので、暴力的な表現など他の利用者様へ影響を与えそうな文面はお控えください。
・意図的であるなしに関わらず、文章が途中で途絶えているものは掲載不可となります。もし誤って送信された場合は早めに追記として再投稿してください。
・マナーを守らない場合は規約違反となります。また他のユーザーや当事業部、作者への中傷や毀損と思われる言動は会員規約に則り強制退会および法的措置となりますのでご注意ください。
・投稿者による有料記事の大部分に渡る引用は禁止しております。
・スパム広告対策にセキュリティを設定しております。投稿後に承認待ちと表示される場合がありますがしばらくすると表示されます。また短時間の連続投稿はスパム投稿とみなされるため承認されません。時間をおいてください。
・コメントシステムはWordpressを利用しておりますので他でWordpressアカウント(Gravatar)を設定されている場合、アイコン画像がコメント欄に表示されます。会員登録されたメールアドレスで紐づきますので、もしアイコンを表示させたくない場合はお手数ですがこちらより涅槃の書の登録メールアドレスを変更してください。