誰もいない

歌川広重の描いた浮世絵のなかで「大はしあたけの夕立」が昔から好きでね、あの絵を眺めていると、雨の湿った匂いや豪快な雨音に取り囲まれているような感覚が開いてくる。なにか共鳴するものが私のなかにあるのだろう。

ただしその呼び覚まされる光景のなかには「私」はおらず、ただ「雨降り」の風景だけがドンと存在している様子にある。つまり非人称の動詞だけがそこに起きている。もしあなたがこれと同じ感覚を知っているなら、それを感じられているとき「悟り」に触れているといえる。

たとえば雨の車内での自分と誰かの対話風景を録画して、あとでその記録をみていることをイメージするとわかりやすいかもしれない。

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  1. shiy より:
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