インスピレーションを備えて意識的に生きる

あなたは想像力(イマジネーション)
という魔法を持っている

あらゆる欲望について、
その「根源」を探ったことがあるかね
性欲や食欲、物欲も
それらは突然湧き起こるものじゃない
想像力が起点となっている

あなたがあれやこれやと意味付けし
それらを脳裏で展開することにより
欲という「望み」が起きてくる

また不安や焦り、憎しみに怒り
そうしたネガティブも同じ
そこにないことをイメージして
ワナワナしたりフツフツしたり
想像を膨らますことで
肉体に変調を起こすこともできるのだ

だから想像力ひとつで
快楽に耽ることもできれば
病気にもなれる
文明の発展や科学の進歩も
すべて想像力によるものだ
戦争も平和も何もかも
イマジネーションが織り成す世界である

良くも悪くもこういう大きな力というのは
使い方を誤るとあなた自身やその人生に
多大なダメージを与えてしまう

そして多くの人は
完全に使い方を間違えている

想像力というと
前向きでポジティブな印象だが
過去や未来に囚われたり思い煩うことも
想像力というパワーによるものだよ

つまりあなたはネガティブな方面にのみ
イマジネーションを駆使する
プロフェッショナルだといえる

 

想像力が起こるとき

さて想像力だが
どういう時に発動するのだろう

欲望・希望・絶望などあらゆる「望み」は
想像力が生み出しているのは前述の通りだが
注意深く見ていると、
その想像力自体が起き出す”切っ掛け”がある

それはあなたの意図ではない

つまり最初にインスピレーションが
やってくる
それは霊的なもの、
スピリチュアリティだ

ビビッと電波が届いてそれを翻訳する
その翻訳作業がイマジネーション

心(幻想)の世界を生きている、とは
いつも伝えている通りだが
それは自ら作り出した想像力の中に
いるということだ

ここで実験

あなたが何かを思考したり
なんらかの気分になるには
何かが到来してから、そうなるわけだから
その「何か」を探してみよう

用事をしながらでもいい
脳裏に思考が浮かんだら
思考の内容には入り込まず
浮かんだタイミングに注意を向ける
大体はパターンがあるはずだ

  • 何かが視界に入ったとき
  • 肌に触れる空気の感じがあったとき
  • 胃のあたりの変化を感じたとき
  • 何かの動作をしたとき

特に単純な作業中にはそれが働きやすい

例えば、浴室で考え事をする癖がある場合
シャワーの音、肌に触れる水など
そうした状況に反応して
反射的にイマジネーションが起きる
他には、食器を洗っているときなどだ

風呂や食器洗いで
いつもネガティブになっていないかね?

今回の実験で発見したいのは
反応と想像力との間にあるものだ
そのごく僅かな隙間に
インスピレーションがある

イマジネーションはただの翻訳作業だが
インスピレーションはあなたの意図ではない

あなたがもしインスピレーションを
良い方向に翻訳できたら
シャワーを浴びればワクワクするし
食器を洗う度にワクワクする

どんな出来事も素敵な質を帯びてくる

逆境に負けない人の強さとは
単に翻訳機能が違うだけだ
あなたが嫌な気持ちになることでも
彼は隣でワクワクしている

 

インスピレーションを備える

しかしだ
それらは一見素晴らしい話に聞こえるが
イマジネーションを「良い翻訳」として
コントロールすることが今回の狙いではない

それだけをどうにかするというのは
ポジティブシンキング、
つまり自己啓発のゲームに過ぎないからだ

コントロールの裏にはネガティブがあり
それを維持すること自体が
幻想に足を突っ込んだままなのである

大事なのは「思考が起こる前に
インスピレーションがあるということ」
それに気付くかどうかだ

感情が起こる前の「それ」を知ると
あなたは感情に振り回されなくなる

なぜならば、
いままで想像力により恐れや不安を
作り上げていたことを知るからだ

怒りや恐れ、理由のある悲しみは
マインドが作り出した演出のようなもの
わざわざ考えてから、それをやっている

だが理由のない笑いや解放感は
あなたの思考をスルーしたものとなる
それはインスピレーション自体が
強烈にポジティブなものであることを
示している

理由のない笑いには拒絶反応がない
あなたにとってピッタリとフィットするもの
つまりインスピレーションとは
本来の「あなた」のことなのだよ
拡散されていた意識がひとつの場所に還ろうと
あなたに呼びかけていた
胸を躍らせるパワーに満ちて
そこに集結してきていたのだ

だがそれを求めたり
それに意味を付けた時点で
霊性なものではなくなる

だから”知るだけ”でいい
それだけで意識は外部と縁を切る

意識を内側に向ける、とは
純粋にインスピレーションを
受け入れる”姿勢”のことだ

その精霊たちに従いなさい
あなたを自由の境地へ連れて行ってくれる

以前コメント欄で伝えたことだが
引用しておこう

感情が起こるとき、まずインスピレーションが先に起きていることを知ることが大事だ。突然何かが沸き起こり(インスピレーション)あなたはそれを過去の何かに紐付ける(感情)。

だから感情で動いてはならない。それはマインドの制御下だ。小さな枠の中の判断基準しか選択が起こらない。インスピレーションはマインドが意味付けできないもの。だから選択肢という概念すらない。そこにそのまま流れる、ということになる。

例えば「なんだかトントン拍子に進んだ」そんな経験はないかね?それはマインドの算段を加えず、コトが起こるがままに任せたということだ。それがインスピレーション。

インスピレーションがどこから来るかといえば、因縁生起という総体のマトリクスから来る。「来る」といえば語弊がある。総体の動きそのもの、のことだよ

 

意味付けのない「あるがまま」を
あなたが拾い集めていくとき
世界のすべてが祝福に変わる

そうしてはじめてイマジネーションが
本来の正しい使い方へと戻るのだ
無限の豊かな世界を、自分の好きなように
生きていくことが可能となる

 

すべてはコンセプト

今回イマジネーションを「意味付け」
すなわち概念という扱いで説明してみた

以前にも書いたが「唯識」も
「それ」へ向かう単なるアプローチだ

つまり概念

仏教も空思想もウパニシャッドも
目の前のコップも本書もみんな概念だ
無論、他者も概念だ
あなたは概念世界の住人なのだよ

人は概念(見立て)に囚われるが
“教え”とは、そのコンセプトを通じて
意味付けのない「無・意味」に
気付かせようとするものだ

この話についてはまたの機会に

 

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  1. より:

    いままで、この概念世界から出るための出口を必死で探していましたが、そんなものは無いと心底納得したら、急に全てがラクになりました。
    そして同時に、そこに「とどまり、自由になる」の意味がわかりました。
    最初から自由だったんですね。
    ありがとうございます。

    • -自分- 涅槃 より:

      竹さん

      その通り
      自由はいつもここにある

      行為しつつも放棄することだ
      それは「意味の追求」を
      やめることを意味する

      完全に降参していい
      「負け」を心から認めることだ

      巨大なクエスチョンマークが
      ただそこにあるだけなのだよ

      人はその”問い”を
      どうにか解こうと戦ってきた
      人生に翻弄され
      魂が失われてもなお戦い続けてきた

      だが行き場を失うとき
      エゴが問いに磔にされる

      その墓標を見るとき
      あなたは完全に自由となる

  2. ガルシア より:

    自分さん、こんにちは。

    私は以前、自分さんから「あなたはまたひとつ到達した だが最後の扉はこれまでよりも少し重い それは本書の存在を捨て去ることにある」というコメントをいただきました。
    その頃の私は、トリップ感のようなものが頻発していたこともあり、この流れで行くといずれ自然とそうなる(超えられる)のではないかと感じていました。
    しかし、今は扉の重さを感じるようになりました。最後の扉どころか、振り出しに戻ってしまったような気さえします。

    けれど、自分の中から何かが沸き上がってくる感覚、訴えてくる感覚があります。重い扉を開ける時期が来たように感じるのです。
    しかし、どう飛躍すれば良いのかがわかりません。
    自分さん、ご助言いただけないでしょうか?

    • -自分- 涅槃 より:

      ガルシアさん

      こんにちは
      >どう飛躍すれば良いのかがわかりません。

      自然の法則はわかるかね?

      自己啓発やらの根性論ではなく
      本当の大自然の方だ

      雨や風、動物や虫、
      植物に鉱物など
      彼らは不幸を感じることはないし
      人間でいうところのハッピーもない

      木は木であることすら知らない
      風は風であることを知らない
      猫ですら自分が猫であるという自覚はない
      概念は人間だけのものだからだ

      ではその「自然」とやらは
      みんなで集まって
      一体何をやっているのだろう?

      いいかい

      何かをしているようで
      何もしていないのだよ

      なぜなら
      自然の法則に委ねているからだ
      川が流れるように循環が流れてる

      彼らは自然というサイクルの中で
      完全に自由に在り続けている

      シマウマは天敵に見つかるまで
      草を食べ続ける
      食べ過ぎて逃げられなくて
      「まあいいか」だ

      人間のあなたにとっては
      クレイジーな光景ばかりだが
      それこそが自然というパーティなのだよ

      あなたは何を守ろうとしているのかね?
      自分の都合ってのをいつ捨てるのかね?

      エゴとしての生き方ではなく
      起こる出来事に対応する生き方をするとき
      あなたは無為の境地に立つことができる

      とても素晴らしい場所なのだが
      エゴがある限り
      そこは恐怖の世界となる

      だから最後のハードルは難関かもしれない

      さて
      自然が扉を開くけども、
      準備はいいかい?

  3. ワモノ より:

    確かに食器を洗っているとき、洗濯物を干しているときなんかは特にネガティブになってましたね

    意識を内側に向ける、今に在るということを意識し始めてしばらく経つんですが、そういった家事をやっているときのネガティブは起こらなくなりました
    それだけでなく家事に対して感じていた苦痛もなくなりました
    家にいるときは意識してくても今に在るようになりました

    ただ街に出るとまだ人目を気にしてしまいます
    少しずつ今に在ることが出来る範囲を広げていきたいです

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      意識が内側に向くとき
      今に在るという様子になる

      思考が起ころうとも
      いつものように同化に至らず
      ただ眺めているエリアにいる

      だからネガティブは止むのだよ

      つまり一切の不幸とは妄想であり
      食器を触る感触、手の動きなどが
      ただそこに起きていることを知る
      あなたは自分の手の動きすら
      ただ眺めているだけだ
      それを委ねという
      あなたは何もしていない

      サマーディとはそこから
      さらに意識的に入ったレベルをいう
      動きそのものに湧き起こる至福があり
      動きという中に完全に解放され
      自由となる

      >ただ街に出るとまだ人目を気にしてしまいます
      つまり「視界」に関しては
      まだマインドが影響しているということ

      街は良い修練場になる

      自分がどれだけ「思考」を見ていたのか
      思い知ることができる

      美しい人々も芸術も
      何もかも
      あなたの思考だった

      街を舞台にしたワークは私のお気に入りだ
      いずれまた手記にしておくよ

  4. ワモノ より:

    お返事ありがとうございます

    >街を舞台にしたワークは私のお気に入りだ
    いずれまた手記にしておくよ

    よろしくお願いします

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      何かの手記でも書いたが
      五感の中で
      視界を落とすことが最も難しい

      あなたの目はいつも考えているからだ
      だが目はそういうものじゃない
      「見るもの」だ

      もっといえば
      「眼球の表面に刺激を受け取るもの」だ

      もしかすると
      このコメントだけで何かを掴むかもしれないね

  5. 地天泰 より:

    涅槃さん

    いつもありがとうございます!楽しく読んでます。
    人は生まれてもないし、死んでもいない
    なのですが、今日は私の誕生日でした。

    昨日掃除をし、月明かりをずっと見ながらいつの間にか寝ていました。

    朝5時に目が覚め朝日も見て
    なんだか霧が晴れたように清々しい一日で、それが終わろうとしています。

    そして、一日中、頭の中に恩寵という言葉がめぐっています。

    私というか私たちはすでにいつも恩寵の中にいる
    恩寵が降り注ぐ世界の中で幸せだとか不幸せだとか言ってるのだなと

    全てはワンネスなのでしょうが、私の人生と感じられる
    宇宙の悠久の中で一瞬の輝きが一層いとおしく感じられました。

    質問でもないのですが、兎に角書きたかったのです。
    また手記楽しみにしてます。

    • -自分- 涅槃 より:

      地天泰さん

      >質問でもないのですが、兎に角書きたかったのです。
      あなたは循環に従ったのだよ
      そこに意味はない
      だがそれでいいのだ

      “意味がないこと”こそ
      あなたを昇華させる

      あなたがそうであれば
      関わるすべてがそうなる

      つまりあなたの素晴らしい一日に
      私たちは感謝しなければならない

      あなたの開いた扉が
      皆を連れて行くのだ

      ありがとう

  6. M子 より:

    例えは、みんなが集まっている場があって会話していて、自分の感情で話すというより、勝手に口が動いている時があります。「自分でもなんで今私はこれを話しているんだろう」と感じながら、自分の声を聞いているみたいな。時には、しゃべりながら、「わー、損な役回りなのに、なんでそんなこと言ってるの」と思う時があります。チェスのコマのようにその場の中である1つのコマとして動かされているような感じです。
    言いたいことを判ってもらえるでしょうか。
    それは、その場が作り出す何かのエネルギーに憑依されているのですか。
    思考が分裂しているのでしょうか。

    • -自分- 涅槃 より:

      M子さん

      その話には段階がある

      >自分の感情で話すというより、
      >勝手に口が動いている時があります。

      まず、あなたのその状態は「無意識」だ
      人はほぼ一日を「無意識」という自動モードで
      過ごしている
      つまり、我ここに在らずのこと

      後になって後悔したり
      月日の流れに唖然としたりする

      本書が「意識的にあれ」というのは
      そうした自動モードを解除するためのものだ

      >自分の声を聞いているみたいな。

      その段階では
      自分の無意識に気付いた観照が起きている
      それこそが瞑想だよ

      >思考が分裂しているのでしょうか。

      思考が分裂しているのではなく
      思考を見ている何かがいるのだ

      その何かが、あなたの到達すべきものだよ
      思考に囚われて生きてきたから
      思考がそれを認めようとしない

      だからあなたのような見解となってしまう

      だが真実を掴みなさい
      あなたは思考ではない
      それはそこに置いてあるものだ

      あなたはすべての体験を見ている者
      そこに気付きなさい

  7. 困ったさん より:

    いつもありがとうございます。自分さんを質問攻めで困らせようとは思ってないのですが…。
    私も何故、こんなこと言ってるの?悪口ではなくわざわざ自分を落とすようなこと、誤解を招くようなことを感情からでなく無意識的に動かされるようにいってるときがあります。
    これに対処しようと我が強くなるのはエゴを育てることにんらないのでしょうか。

    戦争と平和が表裏一体なら平和を祈れば戦争が起こるということですか。自らの悪魔と闘い、自ら磔にならないとその望みは叶えられないと?。また絶望に対処するというのは絶望に何糞、負けるもんかと根性論で対処する。これと勇気をもって立ち向かうはどこが違うのでしょう。年齢と共にガッツはどんどん失われていきましたが若い時はまだ暑かったから根性論やポジティブシンキングで何とか乗り切ろうと疲れまくった経験があります。勇気を持って外に挑むと我を強く持つはどう違うのでしょうか。ここでは捨てることを推奨される信念を強く持たないと絶望に飲み込まれ立てなくなると思うのですが…。

  8. 困ったさん より:

    大きな渦は感じてます。どなたかが感覚を言葉で表してくださったように、その「うず」に2次元的な私という容姿画像が画面にテクスチャーとして張り付けられてると想像することはできます。そのうずを解りやすくしようと、その力を利用しようと人類共通の数字や数学記号で科学を発展できた。アニメや小説や漫画、歴史書も同じとこから。
    物理や数学は公式で少しでもそこに近づくことができるから。ゲームも難しい理論もそこからきてるは感じ取れるけど勇気という感じでは…。ほかの方々に起こる恩寵を羨ましくも喜ばしいことと感じることは出来ますが、やはり個人意識は消えません。

    • -自分- 涅槃 より:

      困ったさん

      >自分さんを質問攻めで困らせようとは思ってないのですが…。
      私は何も気にしていないよ
      すべてあなたの世界のお話

      あなたが危機を感じているなら
      それは危機なのだろうし
      優雅な午後を過ごしているなら
      “あなた”がそうなのだよ

      あなたにアドバイスするならば
      自分の悪を認めることだ

      こうであってはならない、
      そんな制約を課しているなら
      そんなもの取っ払いなさい

      この世界は善と悪の二極ではない
      虹のように段階的なカラフルさがある

      あなたは善ではないし悪でもない
      自分で課している制限に縛られることから
      抜けてみなさい

      その法とは、
      「認める」ことだ

  9. 困ったさん より:

    お返事ありがとうございます。この世界への理解が深まって恐怖がやわらいだように思います。

    先ほどまでC言語とJAVAのクラスやメソッドの概念を説明してるところで学んでて(きっかけは来週の授業に備えてまあ解りやすいように少し見とこ)程度ではじめたのですが、はじめて頭に入ったような気がします。面白味を感じた。就職やお金儲けの為にという余計なプレッシャーがなかったのか、今までの解らないなりに詰め込んだ知識がやっと回路として繋がってくれたのかは解りませんが。趣味的なもんだから他人には薦めませんが、今回、興味ひいたのは何もしないプログラムを作ってみようという基礎中の基礎で。
    その次の定番、HELLO、WORLD 「やあ、世界」がプログラムを動かすためだけの目的でなく別の意味に感じました。アインシュタインは宇宙は我々が思うより複雑で想像の域を超えているの意味が初めて分かった気がします。一応、耳にも注目してますが私のマンションは大通りに面してて駅前開発のせいか、終末はいつも若い子の単車の音や車の音にやかましかったのですが今日は土曜というのに、そういえば静かです。

  10. 困ったさん より:

    複雑といってのではないです。理解不能の域で複雑よいうより奇妙難解といってたのでした。
    巨大な❔は初めてプレステを購入してFF7をやった時、その技で「なんとか???」という敵の技があって巨大な❔だけが現れて9999のダメージを与えるもんでよく、不思議なことが起こるたび、そのなんとか巨大な?のイメージが浮かんだけど。それはシンクロというより世界のほうはすでに分かってたのでしょうね。

    • -自分- 涅槃 より:

      困ったさん

      良いね
      あなたは新しい風を通している

      あなたが人生を通じて向き合っている
      巨大な”何か”は
      同じ場所で手探りをしていても
      何もわからない

      場所を替え、登ったり降りたり
      いろいろなところを触ることで
      「あれ? こう思ってたけど違うみたいだ」
      と当初とは違う見解となる

      どこまで触れても
      それが何なのかはわかることがない

      なぜならば
      触れて”感じたこと”が
      その正体だからだ

      人はその対象を探ろうとする
      答えを探そうとする

      だが答えは見つからない

      探ろうとしていたことが
      すべてだったからだよ

      フロイトの名言だが
      何の不安もなく
      安心の世界で過ごしたときよりも
      苦難に立ち向かっていた年月の方が
      後で思い返すと、とても美しい

      それはまさに
      出来事そのものだけが
      真実だったことを意味している

      だからどんどん世界を広げていきなさい
      あなたはそれが可能だ

      街が静かなように
      自らに新しい風が吹く度に
      世界の光景は変わっていく

      なぜならすべては受信されたもの、
      「心の結果の世界」がそこに広がるからだよ

      まさに
      Hello My World だ

コメント・質疑応答

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