願いが叶うとき、必ず苦難が訪れる

よく書いていることだが願望実現とは
いつの間にかそうなっているものだ

例えばあなたが
「望み」を抱いたとしよう

すると多くの場合、
すぐに面倒事が起こり出す
あなたにとって
とても受け入れがたいことが起こる

会社が倒産するだの
伴侶の親の介護をしなければならないだの
癌が発覚するなどね

それは「望み」とはまるで無関係のものだ
あなたは願望など忘れて
その面倒事をどうにかしようと躍起になる
とても大変な出来事を経験する

あなたは苦労し
途方に暮れ
絶望する

このように、望み=希望を抱けば
必ず絶望する出来事が起こるようになっている
一枚のコイン
表と裏
宇宙とはそういうシステムだ

いま絶望の日々を送っているなら
それはあなたが望みを抱いたからなのだよ

誰もが絶望の中で散っていく
つまり絶望を放棄してしまう

それはいけない
なぜなら、あなたの望みのために
絶望が起きてきたからだ

コインは表裏でそれを成している
つまり絶望を消化していくと
同時に希望も消化されることを意味する

希望と絶望、それらは同じものなのだよ

受け入れがたい事実を受け入れるとき
忘れていた願望は
いつの間にか実現している

気が付いたらそうなっている

願望がその”方法”を呼び寄せたのだ
それがあなたには苦難に見えるだけだ

要は苦難を避けていたから
「願望」だったのだ

望みを現象化するには
あなたが最も避けていた方法を取ること
それが必要だっただけなのだよ

それが何の関係がないと思えても
タフに挑みなさい
そこにそれが起きている時点で
必ず何かの”表と裏”なのだ

この記事を保存・共有できます。

Notes , , , ,

コメント・質疑応答

会員記事のコメントは記事上ではログインしないと表示されません。
会員の方はユーザー名が入ってしまうので別名を希望の方はこちらで申請してください。
連続投稿する場合は「自分の最初のコメントに返信」してください。
記事に無関係なコメントは禁止です。良識の範囲内でご利用ください。
業者からのスパム広告を防止するシステムを採用しています。短期間内に連続投稿をするとシステムにスパム登録されてしまい一切の投稿ができなくなりますのでご注意ください。

  1. りお より:

    自分さん、いつもありがとうございます

    わかりません
    苦難が訪れてからもうかなり長いのですが、いっこうに願望が叶う気配がありません
    もっと心の深い部分の願望が叶っているということなんでしょうか

    例えば、私が不幸になることによって、両親に復讐する(恥をかかせ、迷惑をかけ、不安にさせ、心配をかけて苦しめる)ことに成功している、など

    • -自分- 涅槃 より:

      りおさん

      違うよ
      あなたがそこに存在していることが
      すでに「思い」の出力だ

      生きている光景自体がシンクロニシティであり
      結果だけがそこに起こっている

      あなたが長い苦難を感じているならば
      いつも何かを望んでいるのだろうし
      そして、苦難を拒んでいるのだろう

      小さな反復が続いてるだけだよ

      それがいまここで「コメントを書いた」という
      願望実現として現れている

      例えば車が欲しいという願望があるとき
      その根本にあるのは「満たされたい」だ

      願望実現とは車がやってくるのではなく
      満たされる何かが実現されるということだよ

      それは現象として起こる
      だから現実の「内容」に囚われないことだ
      そこに不幸はない
      あなたが不幸というラベルを貼っているだけだ

      最後にもうひとつだけ

      喩え話であっても
      「私が不幸になることによって、両親に復讐する」
      そのような言葉を使ってはならない

      あなたの意識に刻まれてしまうからだ
      世界はあなただから
      あなた自体がダメージを負うことになる

      また手記にするが
      「言葉」が世界を作っている

      思考や感情の正体とは「言葉」なのだ
      だからそこには注意をしておくべきだよ

    • りお より:

      自分さん、お返事ありがとうございます

      手記を読んでいて、つい、「困難に見合っただけの願望実現がされていない」とネガティブが出てしまいました
      よくない言葉でした、申し訳ありません 以後気をつけます

      光景の全てがシンクロニシティだという理解にはまだまだ到っていません
      でも最近ちょっと変わったことがよく起きます

      以前だったら、数字や名前のシンクロがよく起きて喜んでましたが
      最近は、自分さんから教わっていなかったら、妙な能力(予知?)がついたと勘違いしていたかもしれないようなことが起きてます
      とあるお店の前を通りかかったときに、ふいに「店内に(知り合いの)Aさんがいる」という思いがわき、駐車場をみたら本当にAさんの車があったり
      母から靴を買ってもらったような気がして急に嬉しくなって、翌日本当に靴をプレゼントされたり、などです

      これって、以前に比べて思考が静かになってきた分、ダイレクトに反映しているのがわかってきた、ってことでしょうか
      そんな感じがしたのと同時に創造されてるんですかね

      あと、他の方へのコメントで「体の中の意識を意識する」と仰ってますが、
      この「体の中の意識」とは、体内で揺れていて熱いもののことですか?
      ちょっと前に体の感覚がなくなる体験をしましたが、
      そのときは、振動している「それ」に集中していたらそうなりました
      (今も感じているので、正確には「これ」です 笑)
      他の瞑想でも振動することがありましたが、体を意識する瞑想が一番はやく振動し始めます
      これを感じているとき、本当に至福です とにかく熱い 笑
      常に感じていられるように意識したいと思います
      自分さん、ありがとうございます

    • りお より:

      「体の内部の意識を意識する」「意識を内側に」
      神社の鏡のご神体は、この技法のことも教えてくれていたんですか?
      自分(の体内の意識)にお参り(意識)しなさいよ、って
      面白いです(笑)

    • -自分- 涅槃 より:

      りおさん

      >思考が静かになってきた分、
      >ダイレクトに反映しているのがわかってきた

      その通り
      思考の影に隠されていた真実の流れが
      表に出てきている

      >光景の全てがシンクロニシティだという
      >理解にはまだまだ到っていません

      つまり、思考の影で見えないだけで
      そのAさんの例ばかりが起きている

      人生で起こる光景は
      すべてあなたの認識したものの集まりなのだよ
      じゃあなぜ、あなたが認識できるかといえば
      あなたが創り出しているからに他ならない

      だから遠くでシンクロニシティが起きたのではなく
      その都度、あなたがそれを創り出し
      それを体験しているのだよ

      >「体の中の意識」とは、
      >体内で揺れていて熱いもののことですか?

      体験とはヴィジョンのことであり
      それは各々で異なる
      だが、体とは思考と違い
      常にそこにあるものを感じているから
      何に意識を向けても
      その瞬間は「いま」にあるようになる

      大事なのは、思考が静止していたことに
      気が付くことだよ
      あなたが感じる至福とは
      まさに心が静まっているから体験しているのだ

      シンクロニシティも至福も
      思考の裏側にあるものということだね

      >神社の鏡のご神体は、
      >この技法のことも教えてくれていたんですか?

      そう、古い伝承は言葉を超えたものを現している
      社の中は空っぽだったりね

      すべて、あなたなのだよ

  2. 困ったさん より:

    猫に4時ごろ起こされてしまいました。休日でよかった。
    東の空に明けの明星、金星が眩しいくらいに大きく輝いてました。20代の頃、恋愛や親子関係で悩み友達と明け方まで遊びまわり港に止めた車の中からいつもあの星を見た気がします。長い間忘れててふと思い出しました。見てたというより見られてた。何度か自分でどうしようもないような事柄が起こった時、その今は縁が切れてしまった親友から「神様はあんたの事を少しだけ多く見てると思うんやんか」と慰め?られたものです。いつもは世俗的で当時は
    今時の若者と分類される側の友達と私だったのに。思いもよらぬ哲学的な話が飛び出てギャップ萌え(笑)でした。
    マザーテレサが平和を祈るならまず家族を大事にしてくださいと言葉に残しテレサは霊的な覚者だと思いますが必ず反発、また偽善者と悪評もたてられたようです。

    一度、以前の酷い鬱状態の時、とても不思議なことを体験した。近所のスーパーにいった時、とても心から疲れてて
    考えるのもできなかった時、通行人すべてに振り替えられて見られた。子供からすらも。帰っておかしな格好をしてるのではと何度も鏡を見たけれど特に顔に何かついてたわけでもなく普通の格好で。その時、近所のスーパーは安いのが有名で、いつも子供の声がうるさくレジは混雑するくらい人が多くうるさいところだけど、その時だけは頼むから疲れてるから静かであってくれと心底から願ってたら不思議なくらいスーパーが静かだった。いつもの音楽も流れていなくてレジもすっと対応してもらえた。不思議でしかありませんでした。

    • -自分- 涅槃 より:

      困ったさん

      私も4時頃に目が覚めていた
      同じだね

      スーパーの頃の話だが
      それは鬱であるというよりも

      >とても心から疲れてて
      >考えるのもできなかった時、

      それが起こしているのだよ
      あなたは、ありのままの姿でそこにいた
      思考という算段もなく
      つまり自己防衛のない姿で
      そこに立っていた

      だから、他人はあなたを見るのだ
      なぜなら他人とは
      あなたが解釈を与えただけの
      オバケだからだよ

      あなたが今に在るとき
      彼らは困るのだ
      その存在を定義されない
      だからあなたにサインを送っていたのだ

      この表現は伝えやすいようにしたユーモアだがね、
      核の部分は本当だよ

      ちなみに私も商店街を歩けば
      皆が振り返る

      そんなものだよ
      すべてあなたが存在を与えているのだ

  3. M子 より:

    最初に起こる願望は記憶ですか、それともインスピレーションですか

    • -自分- 涅槃 より:

      M子さん

      願望とは、マインドの算段のことだよ

      「記憶であること」に関しては
      この手記とは次元が違うから混同してはならない

      願望が起こる次元とは
      現実というカタチの世界

      「記憶を見る」とは
      現実を俯瞰しているときに
      起きている様子のこと
      つまり観照という境地にある

      立ち位置が違うということだよ

      現実を「死が見ている回想」として
      受け取れているならば
      願望などあなたに何の影響も与えない

      だが現実の中にダイブするならば
      この手記が生かされる

      >最初に起こる願望は〜

      最初に起こるものは
      インスピレーションだ

      それも「起こる」というよりも
      あなたが経験することはすべて
      到来するインスピレーションだけなのだよ

      そこからあなたの解釈が入り
      願望なり喜怒哀楽なりに転換される
      だからあなたを苦しめているものは
      思考が提供した、ただの幻なのだ

      そして「現実」をこのように
      “仕組み”として見るとき
      あなたの”現実”は記憶となるわけだよ

  4. ワモノ より:

    望みを絶たせるために絶望が起こるんですね
    いわゆる絶望感に苛まれている状態ではまだ絶望していない
    まだ希望をつかんでいる

    心の底から降参する、完全な手放し、それが絶望の本当の意味かなと思いました

    • たかたかし より:

      他人のせいで自分の現実がうまくいかないと思っていると
      実際に他人のせいで現実がうまくいかなくなるようになるのくゎ

    • -自分- 涅槃 より:

      ワモノさん

      実に良い理解だ
      また手記にするが
      大いなる循環の中に我々は漂っている
      その「流れ」が
      この次元の私たちには人生というドラマに映る

      何かを失い
      何かを達成できず
      みな滅んでいく

      希望も絶望も
      川の流れのようなもの

      あなたが川の畔に立つとき
      現実は手のひらで転がるだろう

  5. たかたかし より:

    コメントする場所をミスしたよ
    これも他人のせいだね・・。

    • K より:

      私の知っているたかたかしさんかどうかはわかりませんが、私も願望を持ったがため転落したようです。
      支配者から支配される方に転落です。
      今はそれを受けとめています。
      今後どのような展開になるかはわかりませんが、今はとにかくすべての事象を自覚しています。
      自覚の法はこちらの書にもありますが、他人も私も自分が作り上げたことがわかってきます。
      よろしければお試しを。

    • たかたかし より:

      しかし他人も自分が作っているという事は自分が創造主というわけだが
      他人も創造主だからこの世界には大量の創造主がいるという事になりそうだが
      この思考自体エゴが創りだした泥沼なのかな?

    • -自分- 涅槃 より:

      たかたかしさん

      あなたの見解は深い
      それでいい

      だが思考で導き出される「答え」は
      「単なる答え」であることを覚えておくことだ

      あなたが答えを捨てたときに
      “問い”だけの世界が残る

      それはなんだろう?
      あなたは堂々巡りの末に
      最初に戻ってしまう

      最初とはなんだ?

      そこに真理があるのだよ

  6. chie より:

    本当にそうでした!!
    長い間、苦しんできましたが、わたしが望んでいたのは
    今、なんとかしようとして苦しんでいるものとは正反対のものだったことに気づきました。
    わたしが本当に望んでいたのは”真実の愛”だったのです!!
    そのために自分自身の中にある”真実ではない愛”を手放さなければならない状況になっているのでした。

    • -自分- 涅槃 より:

      chieさん

      表と裏で一枚のコインとなる
      あらゆるものは両極がある
      二元性というものだ

      だが二元とは
      一元という天秤の両極なのだ

      つまり天秤が
      イーブンにバランスされるとき
      二元性を超える

      その中心点がタオであり
      中観というエリアとなる

      両極が起きたら
      片方にだけ寄りかかるのではなく
      どちらも同じように愛してあげなさい

      するとコインはあなたのものになる

  7. chie より:

    ああ、、、どうやら、わたしは二元の愛の苦しみから逃れるために
    一元の愛を二元の愛と同じ天秤に乗せようとしていたみたいです。

    • -自分- 涅槃 より:

      chieさん

      二元の愛とは憎しみを意味する
      それらは同じものだよ

      その両極が合わさったものが
      一元の愛となる
      だが一元の愛とは
      あらゆるものの総称のことだ

      あなたが観照の位置に立つとき
      苦手な人間も苦手な虫も
      すべてに秩序のようなものを感じるようになる

      それが真なる愛となる

コメント・質疑応答

  関連記事