永遠のエリアに入る瞑想

いま目の前で起きていることも
リアルタイムではない
そこでコップに触れていることすら
記憶を観ているのだ

“リアルタイム”は凄まじいパワーを放つ
世界という記憶はそのパワーにより
存在を与えられているに過ぎない
歩いた後にできた道のようなものだ

ではそのリアルタイムはどこにあるのか
それを見つける瞑想をしてみよう

 

現在という錯覚を溶かす

この瞑想は仕事中でも
異性を口説いているときでも可能だ
これを備えれば
すべてが正しく流れるようになる

  1. 記憶を観ているとき
    観ている人はどこにいるかね?
  2. いま目の前の物事を観ているとき
    観ている人はどこにいるかね?

上記2つを何度も行き来して
それぞれの”観ている人”を同調させる

ギターの調律のように
マインドで隔てられた二者を
ゆっくりと合わせていく

二者が合わさるとき
そこに死の回想が起こる

現実はモニター画面の中となる
死が生を眺めている様子がわかる

意識が後退した感じがあり
現実が映像のような感覚になればOKだ
思考せずその様子を観察し続けなさい

そのエリアにいるとき
あなたは現実世界から離れている
つまり自我から離れているということ

あなたが現実に対して抱えていた、
「どうにかしよう」というエゴが消え
世界は顛末だけが、ただ流れるようになる

時間の経過はなく
方向性もない
永遠なるリアルタイムに到達する

 

観照と離人症

観照と離人症の関係について
よくメールを頂くので書いておくよ

私が思うところ、
深い観照と離人症とは紙一重の関係にある
マインドの不安が関わるかの違いだけで
根本的なところは同じだ

症例としての”離人”感は
思考による解釈や比較によるもので
初段階で湧き起こった観照状態とは
すでに無関係のエリアにある

精神疾患まで進行しておれば
それは観照ではなく心の檻の中、
単なるマインドの暴走だ

観照の起こりは過去を捨て去ってしまう
つまり自己というものが
消え去ってしまう

何もない状態でただ世界が流れるのを
眺めることになるゆえに
スピリチュアルの知識があるとか
瞑想が習慣付いているならいいが
そういう備えがない人の場合
突然訪れる観照はネガティブなものとなる

慣れ親しんだ「自分」や
「現実」から切り離されるので
孤独感や疎外感に耐えられなくなり
マインドに恐れと不安が起こるというわけだ

いつも書いていることだが
死ですらネガティブなものでもなく
避けて生きるよりも
連れて生きることで
あなたはより生を感じられるようになる

ジェットコースターに喩えるなら
スピードと一体となって自己を溶かすのか
それともレールの各ネジに不安を抱くかで
楽しさにも苦悩にもなる
どちらにしても乗り込んだ後は
委ねるしかないのだ
マインドが算段をしたところで
コースターは世界を駆け抜けるのだから

自由意志があるとかないとか
くだらないと思わないかね?

マインドはコースターを制御することが
自由な意思だと思っているが
それは苦悩が名を変えた偽の自由だ

コースターとひとつになることが
本当の自由なのだよ

 

だから観照であれなんであれ
結局は内側に意識が向いているかどうかで
その作用は大きく変わる

何かから自由になろうとするのではなく、
つまり避けようとするのではなく、
その中へ自由を見いだすことが鍵なのだ
すべては掌中にある
あなた次第なのだよ

話が逸れてしまったが
離人症的感覚とは後付け解釈による不快感
マインドがもたらす心の世界である

だが「いまに在る」意識は明晰だ
世界そのものと合わさり
マインドから解放された自由に到達する

意識の光を内側に灯している限り
あなたが迷うことはない

 


Notes, 瞑想 , , , , , ,

 

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  1. ONEPOINT より:

    最近は自分のネガティブを受け入れる瞑想(?)をしているので
    観照はあまりしていないのですが、確か私も離人症についてコメントを残したと思います。
    今現在は全くそのような状態にないという事は一過性のものだったか
    そもそも勘違いだったのかもしれません。

    その前は気がふれたかのように笑いが出たり、その前はものすごく眠くて仕方なかったです。
    そう考えるとスピリチュアルの探求はいろいろな景色を見せてくるのかもしれません。

    あくまで私の体験ですがそのようになっても一時的なことが多いのであまり心配する必要はないと思います。
    ただし無理に続行するようなものでもないと思うのでちょっとマズイかなと思ったら
    中断したほうがいいのかもしれません。

    • -自分- 涅槃 より:

      ONEPOINTさん

      よい経験談をありがとう
      みんなの参考になるよ

      マインドというひとつの作用があり
      それを細かくカテゴライズした中に
      離人症という項目がある

      症状から見ればお馴染みの
      不安や焦燥感、倦怠感などであり
      離人症とは単に架け橋のようなものだ

      現実世界で同様のネガティブに
      悩んでいるならば
      離人症をクローズアップすることもない

      何にしても
      意識を内側に向けることで
      すべては消滅するのだから

  2. M子 より:

    いつも気づきに関してわかりやすく書いてくださりありがとうございます。
    観ている人を同調させることがどのようなことかと、
     >マインドはコースターを制御することが自由な意思だと思っているが
      それは苦悩が名を変えた偽の自由だ
      コースターとひとつになることが本当の自由なのだよ
    という説明はとてもよくわかりました。
     >何かから自由になろうとするのではなく、つまり避けようとするのではなく、
      その中へ自由を見いだすことが鍵なのだ
    その中へ自由を見出すというのは、コースターの流れそのものになるということですか。それとも、コースターの流れの中で好きに動くということですか。
    いつもすみません。アドバイスお願いします。

    • -自分- 涅槃 より:

      M子さん

      >コースターの流れそのものになるということですか。
      >それとも、コースターの流れの中で好きに動くということですか。

      その質問の時点で
      「マインドが求める自由」から抜け出ていない
      あなたはまだ「委ね」に到達していないのだ

      こればかりは
      実際に体感するしか理解できないのだよ
      理解というよりも「見る」ものだ

      別の方のコメントで伝えたことだが
      あなたはスキーやスノーボードなどを
      トライしたことはあるかな?

      最初はそのスピードに恐怖する
      恐怖する限り、痛い思いをする
      痛いのは嫌だからと
      より尻込みする
      まさに”現実”と同じ

      スピードに乗り込んではじめて
      自由の境地が見える
      無論、板は雪上を滑ったままだ
      それをコントロールするとか
      そういうことではなく
      (あなたの言うのはここだね)
      雪上を滑るという前提の上での自由を得る

      つまりあなたが現実という針先に立つとき
      現実そのものになるということだ

      あなたの「自分」という自覚すら
      あなたの意図とは無関係にそこに起きている
      つまり自身の存在すら
      現実という循環の一部なのだよ

      ゆえにエゴを落として
      現実とひとつになるとき
      何の抵抗もないスムーズな流れが起こる
      それが自由というものであり
      あなたにとって最大の至福となる

  3. 爽やかハンサム より:

    私の場合、それらしい体験はいつも10秒20秒位で終わってしまいます。
    1分も続いた事がないです。汗
    今後、意識的にやってみようと思います。
    ありがとうございます。

    ―――――――――――

    少し前から「現象界の今」ではなく、
    内に在る「永遠のエリア、永遠の今」を探していました。

    “現実はモニター画面の中となる
    死が生を眺めている様子がわかる”
    (昔、一度これを体験した事がありました)

    ここを探していました。

    すると「それらしいところ」を発見しました。
    “本当だ、今しかない ここは死なない 画面の外だ”と思いました。
    (あの時のリアルさではなかったですが・・)

    しかし、ちょっと待てよ、、、
    「ここ」に気付いているのは誰なんだ?と思いました。

    これが、しばらく解かりませんでした。
    まさか「思考」?

    で、発見しました。

    「永遠のエリア」が「それ」なのではなく、
    「永遠のエリア」に気付いているのが「それ」。

    「私は在る」に気付いているのが「それ」。

    「それ」が、あっちこっちで「やらかしている」笑。

    触れてる感触も、匂っているも、聞こえるも・・「それ」

    「ブツ」の方ではなく、「気付いている私」ではなく、
    間にある「やらかしている」が「それ」。

    「見ているものと、見られているもの」の両者ではなく、
    間にある「見る」が「それ」。

    “間にあるものが「それ」だ”
    これはずっと自分さんから教えてもらっていた事。
    これがやっと理解出来ました。

    なぜなら、そこにあるエネルギーに触れたから。
    これが「それだ!」と解かりました。
    ツータッチ位ですが。笑

    ―――――――――――

    前:目の前が、「現象界=画面の中」
    真ん中:「私の身体」が、「時間の起点」
    後ろ:「涅槃」

    “ひとつ後ろにさがってみなさい”

    「私」が立ち上がる前。
    その「手前」。
    「最初のきっかかり」
    そこにあるのが「それ」。

    私は今まで、分けて考えることしか出来なかった。
    私、物体、オオソトガリ。

    しかし「それ」しか存在してないことが解かった。
    それはエネルギーそのものだ。

    「私」ではない。
    「物体」ではない
    「観ている者」ではない。

    「観る」だ。
    「観る」が、その後のものを存在させている。

    これはいつも自分さんが言っていた事。
    やっと解かった。

    全てがダイレクト。
    ダイレクトしかない。

    ダイレクトすぎて「心持ち」もダイレクトに作用する。
    「心持ち」自体が「それ」だ。
    「創造するなら」、「創造」が「それ」だ。

    覚醒する為に「涅槃の書」を読んでいる方は覚醒する。

    「読んでいる方」の「それ」が「覚醒」だから。

    • -自分- 涅槃 より:

      爽やかハンサムさん

      あなたは熱心な人だ
      スピリチュアルでは
      思考を捨てることを重点に置かれるが
      私はまず熟考することが大事だと
      思っている

      熟考し
      あらゆる答えが出尽くし
      そのどれもがまるで役に立たない

      そこに立ってはじめて
      「すべてが何であるか」を見るのだ

      だからあなたの姿勢はとても良い
      探求するほど
      苦難が訪れる

      だが苦難すら
      熟考の前には力を持たない

      ただただ、あなたの見解が崩れていくだけだ
      私も同じだったから言えることだよ

      だが多くの人が
      あなたの話を読んでいる
      だから続けなさい

      自分のために
      それを続けなさい

  4. chie より:

    ありがたいです
    ただただ ありがたいです

    ここのコメントの文字が、全て私自身が文字として私に語っているようで
    今、このページにいさせてもらえること、感謝です。

    • -自分- 涅槃 より:

      chieさん

      この世界はあなたが作り出している
      だからあなたの言葉通りなのだよ
      “自分の存在”に感謝を向けて良いのだよ

      そして私も、みんなも
      感謝をしよう

      ありがとう

  5. りんくる より:

    はじめまして。
    若いころにクリシュナムルティなどの影響を得て、永遠の現在の瞑想をし、物欲やさまざまなネガティブな思考が消え、数年間ストレスのない幸福な毎日を送ったことがありました。
    その勢いで転職や結婚をして、その後、意識の状態が変わり、現在平々凡々に生きています。

    その頃は営業でルートセールスをしており、車を運転しながら瞑想をしていました。
    口をぱっくり開けて宙を見ながら運転している私を見て同僚が怖がっていたのを思い出しました。
    瞑想しながらも意識は周りの状況や自分の手や足の感覚を常に持っていて、事故は起こしませんでした。

    車の運転中に瞑想をしている時は、簡単に思考の白昼夢に吸い込まれてしまうので、その白昼夢との闘いを常にしていました。

    又、運転中でないときに瞑想をすると睡魔との闘いもありました。

    それらを克服し、いつの間にか日曜日の焦燥感(明日から仕事か~という)がなくなり、全身の緊張が抜け、大雨の中でも悠然と歩いている自分を見つけ、対人関係のストレスもありませんでした。

    その頃を再現する事を目指して、再度奮闘しています。

    今は、悟りについてもいろんな見かたが出てきましたが、やはり瞑想の基本は永遠の現在を全身で感じていくことだと思います。

    このサイトは、私に一番しっくりくる内容だと思いますので、これから読み進めるのが楽しみです。

    • -自分- 涅槃 より:

      りんくるさん

      はじめまして。すべてはあなたの体験の中にある。例えば「瞑想しながら〜をすると危ない」というのは、そのように受け取るからそうなるだけであり、あなたがそうでなければ、それはそうならない。

      誰もが体験に支配されている。そうではなく体験は己の中に起こるのだ。前者は「瞑想をしよう、でも運転中だし大丈夫かな?」であり、後者は勝手に瞑想が起きている。体験のすべてが瞑想となっている。

      だからあなたにとって「瞑想」と「事故」は何の関連もないのだ。これを読んでいる人はたくさんいるから伝えておくが、ここが誰もが超えられないポイントとなる。彼らは瞑想を「する」から事故に結びつく。瞑想はするものではなく、そこに「起こる」ものなのだ。

      つまり「安全」「危険」ですら、外側にコントロールされたものではなく、在り方なのである。

      とてもよいコメントをありがとう。あなたはその通りで良い。また話を聞かせてくれないかな。

  6. komatta より:

    おそらく私の荒らしで埋まってしまったのだと思います。
    あげときます。ごめんなさい。

    • -自分- 涅槃 より:

      komattaさん

      すべては起こるべくして起こる。あなたの行為もわたしの行為も連結されたギアのひとつだ。それを優良とするのか、卑劣とするのか、人生とはそうした上辺だけのイメージに過ぎない。

      ここにあるのはギアの連結だけだ。あなたがギアであるとき、世界とともに動いていることがわかるようになる。

  7. buruku10 より:

    これは面白い、
    記憶の体験も今の体験も変わらないという
    感覚を得る事が出来た。
    肉体的な感覚は五感はどちらも今ここで再現されてる。
    どの記事かは忘れたけれど、記憶には重さがない
    マインドが記憶を起こす方に意識が向かうから
    だったかだけど、記憶には重さがない。
    ただ流れるシーンがある。それを見てる。
    現実は違う。シーンを拒む自分がいる。
    記憶は何も怖くない、何があってもただそれを
    見ているだけ、観照意識とはこのような視点なのかと
    プチ体験できた気がする。

コメント・質疑応答

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