なぜ何もないのではなく、何かがあるのか

なぜ何もないのではなく
何かがあるのか

これは有名な形而上学のテーマだ
カントやハイデガーなどが議論しているが
その「議論」ですらそこにあるのだ

人は「自分が体験している」と捉える
それがエゴのレベル
自分という小さな見解がすべてであり
起こる出来事に対してジャッジをする
あなたの持つ
その薄っぺらいルールブックには
これは不幸で、それも不幸、
幸福は探して掴み取るもの、
そのように書かれている

つまり常に何らかの
判断を行いながら生きている
そこにないものに意識を向け
妄想の中で不安になったり
期待をしたりする

目の前で車が急発進すれば
「なんだ危ないなあ!
一体どういう神経してるんだ!」と
ルールブックを音読する

だが「自分が体験をしている」
という枠を超え
「ただ体験が起こっている」
という意識になれば
あなたは実存のレベルに入る
急発進した車がただそこにあり
通帳残高に50円と
ただ印刷されているだけだ

例えば水の流れる音が聞こえる
このとき「聞こえる」のは自分であり
エゴがそれを体験している

もしそこに水の音だけがあるのならば
あなたはいない
エゴが消えるというよりも
自分を見出すことができなくなる

そうして水の音に溶けていると
ある次元が開いてくる
水の音だけではなく
そこにあるすべてのものが
ただ在るのだ、とね

あなたはいつも
何かがあったということに気が付きだす

意識が起こっているとき
いつも何かがある

あなたが静かにそれらへ
意識を澄ませていると満たされた感覚が
広がってくるようになる

いつも充足であり
いわば神に包まれており
そこにあるものだけで
充分だったのだとわかる

触れるもの
見えるもの
関わる人々
すべてが神だったのだとわかる
カラフルな光の渦に共鳴していく

そして次のレベルに到達する

神とは私のことであり
私は私に包まれていたのだ

あなたは自分を見出すこともなく
出来事が起こっているということも
察知せず
もはや言葉も表現も落ちてしまい

ただ、そこに在る、に至る

 


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  1. あの時の覚醒者 より:

    最近よく神に包まれているような暖かい広がりを長時間感じるようになりました
    でもそれと同時に所謂現実と感情も急激なアップダウンをはじめました
    これはなんなんでしょう?(笑)
    自分さんはこういった経験ありますか?
    まるでエゴが飛躍的に進み始めた覚醒を止めようと、必死に抵抗して僕の金的を蹴り上げてきてるかのようです

    最悪な気分の時は本当に胃がねじ切れそうになります
    先日までド健康だったのに食欲もなくなり睡眠も短く浅いです
    風の音に耳を澄ませても、強烈な痛みに気を取られ全く神を感じれなくなります
    対して気分良く無限にある時は「ああ、これでもう永遠に大丈夫なんだ」といった感じの安心感と恍惚の中にいます
    そんな時は世界が直接話しかけてきてるかのようなシンクロニシティに遭遇します

    最悪の原因は失恋です
    無限の原因は元恋人の愛情と、周りの人の思いやりと、世界そのものの優しさです
    辛い底の時にご先祖さんや神に素直に助けを求めて泣くと、直後に大きな温もりを感じて安らかになります

    元恋人は僕に新しい恋人ができるまで側で支えてくれるそうです
    でも別れの大きな原因を作った恋人を僕はまだ許す事ができない時間帯があり、素直をテーマに生きてる今、今までなら我慢してたとこを彼女を言葉で傷つけてしまいます
    彼女は「結果が上手くいかないからって愚図らず、それが例え私を傷つける事でも素直に気持ちを出したんだから胸を張りなさい」と言いますが、
    大事な人を傷つけるのは僕も痛いし、ちょっとずつ彼女に嫌われてしまうかもという恐怖から胸を張るどころか空しく凹んでしまいます
    気分は本当に山の天気のように脈絡なく変化を続けます

    今日これじゃいけないと、新しい恋のために大量の服と、散らかりきった部屋の為の収納、古いガラケーを捨て新しいスマホ、そして生まれて初めて胃薬と、鎮静効果のある市販のハーブ薬と睡眠導入剤を購入しました
    今までどうもスピリチュアルな精神的な在り方に偏って物事にあたってきた所があるので、もう何でも良いからまず楽になろうと現実的な手段を思いつく限りやろうとの一念発起です
    前から憧れてたギターも始めました
    ギターを奏でてる時は胃の痛みはどこかに行き眠くなります

    ああ、僕今なんか愚痴を聴いてもらってるだけですね(笑)

    自分さんにもまだこうして苦しみにのたうつ事はありますか?
    それとももうそういった出来事は滅多に起きませんか?
    僕も早く最悪すら風景として眺め人生を高らかに胸を張り謳歌しつづけたいです
    要はただ楽に楽しみたいのです

    長々とした駄文すみません
    先程最悪だった気分が少し楽になりました
    いつも本当にありがとうございます

    あ、そうそう、先日の手記にあった「何だこれ?瞑想」始めました
    最悪より少し浮き上がった状態だとうまく思考が止まる事が多いです。

    • 自分 -涅槃- より:

      >>あの時の覚醒者さん

      こういうことだよ
      あなたのその経験している話
      私の目の前には
      ひとつの模様として浮かんでいる

      無論あなたのことなのだから
      私が入り込む余地はない
      私にとっては
      あなたの話が模様のように浮かぶ

      これは誰かの話をあなたが聞いたときも同じ
      それはひとつのデザインだ

      あなたの話を聞いて
      私の個人的な解釈は必要ない
      それは何の意味も持たない
      なぜならば
      私はあなたの関わる人々を知らないからだ
      あなたの事も知らない
      だからあなたの重さは知らないが
      あなたの体験は事実としてよくわかる

      映画があり、その映画に制作費がどれぐらいかかり
      その為に制作者は胃の痛いを思いをしていたなど
      映画のストーリーを純粋に楽しむことに関係がない
      だが制作者はストーリーと同時に胃の痛さがある
      同じ観客席に座っていても
      私はただ純粋にストーリーを楽しむことができる
      制作者が純粋に楽しむためには、それを忘れることが必要だ

      私はあなたの重さを知らないから
      ただ純粋な事実として
      それらの出来事をあるがままに受け取ることができる
      それはあなたの関わる人も出来事も
      そしてあなた自身のモーションですら
      こちらはあるがままに眺めている

      ここまでの距離感があれば
      あなたのことを俯瞰できるのはわかるだろう
      表現は悪いかもしれないが
      あなたの人生は私の手のひらの上に転がっている

      さてここからが本題だよ

      苦しむあなたがいて
      希望に踊るあなたがいる
      ギターを弾くあなたがいて
      楽しみたいあなたがいる

      話の中にたくさんのあなたがいる

      怒りながら喜ぶことが不可能なように
      それぞれのあなたは別々の瞬間を切り取ったもの
      様々な角度から見たものだ
      同じ山を東西南北から見れば姿が違うように
      あなたはこのメッセージを書いているとき
      あなたはあなたの様々な姿を俯瞰している

      さて当然ながら
      私から見た「あなた」というデザインには重さがない
      もしあなたが自らの世界に重さを感じることなく
      捉えることができれば
      それがあなたのいう
      「要はただ楽に楽しみたいのです」となる

      つまり私(当方)から見た様子になればいいのだよ
      その為には、あなたが自分を捨て去る必要がある
      あっても構わないが
      結局それが重いのだ

      重いのは恋人でもなければ
      出来事でもない

      >自分さんはこういった経験ありますか?

      私は日々起こる出来事を単なるデザインとして見えている
      うねるように流れ続けるエネルギー
      コーヒーにミルクが溶けていくようなもの
      ただそれを眺めている

      ただただ、「何だこれ」だ

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