第二の鍵

あなたの人生が苦か楽か
それはいつも心の状態できまる

私は「気分転換でもどうかね」という
音楽を聴いたり
森林の中を歩いたり

だがあなたはそんなチンケな作法など
いらないというだろう
もっと具体的な解決案がほしい
いまのこの泥沼な状況を脱する知恵がほしい

いいかい
世界はあなたが作っている
いわば心の様子
あなたの心が世界に現れている
これはいつもの話
だが本当に大事なポイントは
あなたの心の世界を
あなた自身が見るハメになっているということだ

あなたはその不幸な状況
つまり自分の不幸な心を見ている
それがその泥沼というやつだ

永遠なる自打球
バットを振ればボールが自分に向けて跳ね返る
どのような角度で振っても
どのようなタイミングを試みても
ボールは凄まじい勢いで
あなた目掛けて飛んでくる
激痛の連続
何をやってもうまくいかない
どこをどう変えようがうまくいかない
あなたの人生のことだよ

さあどうする

あなたという難攻不落の要塞を
どのようにして落とすのかね

「そうだ裏口から回ろう」
あなたがそう思ったら
あなたは裏口を塞ぐ
「地下から侵入しよう」
あなたがそう思ったと同時に
地下は塞がれる

あなたがあなたという罠を超えるには
それをどうにかしようなんて思わないことだ
バットを振らない限り
自打球の痛みはないのだよ

つまりまともに相手をしないこと
それがクレイジーなあなたへの唯一の法だ

 

第二の鍵

あなたに新しい鍵を渡そう

あなたが何を思い立とうと
何を期待しようと
何を始めようと
何かを計画しようと

つまりゼロから何かを作り出そうとするとき
ゼロから何かを始めようとするとき
その状態から抜け出そうとするとき

この新しい鍵を使いなさい

あなたはいつも色んな思案をする
「うまくいくかな‥」
「失敗したらどうしよう‥」

そうして目の前に現れたドアを開けようとする
だがあなたは途方に暮れる

なぜなら
あなたが持ち歩いている「マインドの鍵」では
いくら鍵穴に差し込もうとしたところで
合わないからだ

根本的な何かが間違っていることに気が付けば
ドアという幻想は消える
それが「役に立たない鍵(マインドの鍵)」の役割だ

だがあなたが期待を持って
まだドアノブに手をかけているようならば
鍵穴に新しい鍵を差し込みなさい

鍵には「諦める」と刻まれている

この「諦めの鍵」を差し込んで回しなさい
何の手応えもなく鍵はスルッと回るだろう

「あれ?」
そこであなたは気が付く
鍵はかかっていなかったのだとね

我に戻ったら声を挙げて驚くだろう
「鍵は掛かっていなかった!」
なぜ鍵が掛かっていると思い込んでいたのか
いまは理由すら思い出せない

あなたがあらゆる期待や希望を落として
物事に挑むとき
そこには一切の不安や恐怖はない
つまり何の抵抗もなく
あなたはドアを開けることができる
「諦めの鍵」を差し込むと
無理難題というロックは消える

だから何かがほしければ
諦めなさい

何かを達成したければ
諦めなさい

その泥沼から脱したければ
諦めなさい

諦めるという手段ではない
完全に降参するということだ

あなたは完全に失敗している
そこに気が付くことだ

生まれながらに
失敗の中にいる

あなたが失敗そのものであることを悟れば
あなたに失敗は存在しなくなる

何かを望むということは
あなたが手にしていないということだ
だが望まないということは
手にする必要もないということ

この意識の違いは大きい
気が付いたらその問題は過ぎ去っているだろう
つまり問題を問題として捉えなければ
それは問題にはならないのだよ
さあ色々な面倒事を抱えているのなら
気分転換でもどうかね?

音楽を聴いたり
森林の中を歩いたり

困ったらまた尋ねてきなさい

 

 


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  1. より:

    確かに私は失敗してばかり来た。もう取り返しはつかない。
    どこまでもどこまでも落ちていく感覚…なのに諦めきれない。なんとかリカバリーして持ち直そうとする。
    空中でエンジンの壊れてしまった飛行機のよう…直せるエンジニアは乗っていないのに。
    私に残されたのは、墜落するまでの間にいかに心穏やかに終わりの時まで過ごせるか…。
    落ちゆく機内で恐怖をまぎらわす事。
    確かに諦める覚悟があれば怖くはないか…

    • 普通さん より:

      いや…。怖いですよ。マジで…。
      頭、理屈ではしゃあないのかも…。
      と思っても心臓バクバク。指先も震え来るし。

      そのへんなったら凄い抵抗感。
      せめて一矢報いるまでは。
      諦めるな、進化しろとか。
      もう心臓がバクバクして歯カチカチなって抵抗する。

    • -自分- 涅槃 より:

      新さん

      言葉は靴のようなものだ。つまりどんな靴であろうとも歩いていける。

      受容、手放し、諦め、委ね、解放、回帰、溶解、

      いろいろな言葉があるけども、その背後に共通する何かを感じ取れるだろう?それは言葉では表せない。言葉にすれば、上で一緒に並ぶだけのものとなる。

      その「何か」を感じながら生きてごらん。ならば別に持ち物を手放すことなく、最初から手放していたことに気付くだろう。

      あなたは何も手にしていなかったし、ゆえに何も失うものなどなかったのだよ。

    • より:

      自分さん

      返信ありがとうございます。

      確かに挙げて頂いた言葉の裏側に、何となくですがイメージのようなボンヤリとした「なにか」は感じます。
      楽な意識、苦悩から解放されたような感じを…。

      最初から何も手に入れてないし、失うものもないのならこれほど楽なことはないですね。

      何も足りてないと教わってきた。信じてきた。
      いつも不完全…何かが欠けていると思ってきた。

      …嘘だったんか全部。足りない所とかなかったんや。
      損も得もしてってことか。

      私はいまの状態で完璧に完結しているという事ですね。

    • -自分- 涅槃 より:

      新さん

      あなたは常にゴールにいる。つまり完成した結果の世界を生きている。そこからどこかへ向かわなければならないのではなく、すでに到達しているのだ。いまもそうだし、1秒後も、1分後も、その時々に、その瞬間に描き出されたゴールに辿り着いている。

      まずこれを胸に刻むことだ。「私は常にゴールにいる」

      ゴールとはまったくの完全性のことであり、つまり足りていないものはどこにもないということだ。「お金がない」というなら「お金がないこと」がそこに満ちている。隙間はどこにもないのだよ。

      自分自身が常に完全だったと気付くとき、人生から恐れが消える。なぜなら恐れる必要がないからだ。ゆえにいつ死んでも大丈夫だともわかる。死すらも完全なことであることに気付いているからだ。こうして「死」を携えて「ゴール続きの生」を歩み出すとき、あなたは光の存在となる。

      人生に自在性が備わり主体的な活動ができるようになる。非因習的で大胆不敵な選択ができるようになる。つまり世界に起こるすべてを自分に有利な方向に推し進めることが可能となる。それこそが神なる創造性と呼ばれるものだ。外側に翻弄されたものではないから、決してエゴイスティックなものではない。もはや世界はあなただけの遊び場となるのだよ。

  2. より:

    自分さん

    いつも丁寧な返信ありがとうございます。

    「私は常にゴールにいる」
    始まりもなくて終わりもないってことですね…。
    何処にもいかない。何にもならない。ただ、ここで「在る」。なんも意味なくそれなのか。

    過去も未来も「いま」設定し、ここに「置いた」だけ。
    苦痛も惨めさも焦りも不安も今置いた…。
    そうなっているで完結。過程すらないのか。
    これが針の先端の感覚かな?
    なんだか世界ってやつはシンプルに出来てるんですね。

    自分さんのコメントを呼んで、「じゃあわかった。これからは常に今がゴールだ、今に在るようにしよう。そうすれば神なる創造性が発揮されて幸せになれるんや!幸せになるんや」と思う【今ここ】も完成された完璧なものなのですね。

    (いつやるの!今でしょ‼︎)じゃなくて(もうやってた!終わってた‼︎)
    こんな感じ。

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