心の静寂

中世の日本では禅の寺が多くの役割を担っていた。たとえば村人のなかで気の触れた者が出てきたら、医者ではなく禅寺につれていく。

医者でもない禅師がどんな治療をするのかといえば、何も治療しないのだ。何も治療しないことが治療となる。

体を機能させるだけの最低限の食べ物と寝床が与えられるだけだ。そこで自分自身と向き合って暮らすことになる。遊ぶ物もないし、わがままを言う相手もいない。ただ自分自身とともに在るだけとなる。

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