幸せとは何だろう

そもそも幸せになるってなんだろうか
あなたはどのように考えているだろう?

あれが手に入ったら幸せ?
物事がうまくいってくれたら幸せ?

それらは求める気持ちが先にあって
単にそれが満たされたいだけだから
すぐに振り出しに戻ってしまう

また幸せを探さなきゃならない
いつものパターンだ

じゃあこういうのはどうだろう

誰かに喜ばれることや
誰かの役に立てることが幸せ?

一見美しい話にきこえるけども
自分が良いことをして気持ちいいという
快楽が見え隠れしている

言い方をかえれば
他人をダシに使って
己が喜ぼうとしているということだ

 

1.

この話の理解のために
少し話を寄り道しようか

「黄金律」ってのがある
宗教や道徳で謳われる倫理命題のことだ

たとえばキリスト教なら

「人にしてもらいたいと思うことは何でも
あなたがたも人にしなさい」
(マタイによる福音書7:12)

こんな感じのやつだね

本当は聖書は宇宙の原理について
伝えているのだけども
多くの人はそんな超越したところまで
読み込めない
ただ文面通りに読んでしまう

ここが聖書を魔術書とするか
単なる教育指導の教科書とするかの
分かれ目なのだけども
まあ後者が選ばれて今日の
教育的な道徳が築かれてきたわけだ

だがそうなるとこの黄金律は
「おかしいこと」になってしまう

なぜなら
「別に人に何もしてもらいたくないから
自分は人に何もしなくでもいい」
というふうに捉えられてしまうからである

本来この命法が言わんとしているのは
「人になにかをしなさい」つまり
「自分自身を動き出すこと」にある
それが己のみる世界を創り出すからだ

だがこの命題が教育化すると
前件である「条件句」のほうが
メインディッシュとなってしまう

「人になにかをしてもらいたい」の部分だ

つまり
人に何かをしてもらいたいから
人に何かを「しなければならない」と
読み換えられてしまう

これは
「人に喜んでもらいたいから頑張る」とか
そういうのも同じ

子供を褒めるときにこう言うだろう

「あなたがみんなにしてあげたから
みんなもお返しをしてくれたのよ」

ママのこの言葉は世界標準に
なっているわけだけども
この教えのおかげで
「こうしてもらうためにはこうすればいい」
という良くも悪くも
因果応報のカルマに陥るようになる

つまり何かを得るために
別のこれをすればいいという
エゴイズム
見返りを求める気持ちが人生の基本姿勢となる

恋人同士のお互いのプレゼントが
どこか形式的な胡散臭さを超えられないのは
そのエゴイズムが見え隠れしているからだ

結局自分が
気持ちよくなりたいだけなのだとね

 

2.

またこれは逆に
自己嫌悪、自己憐憫やらの原因にもなる
「自分がこうだからこうなった」って具合だ

おかげで自分を見失い
なにをどうしていいのかわからない

目的のためには
何かをやらなきゃならない
でもそんな気力もない

このまま何もせずに
ただ朽ちていくだけ

そんな絶望感に襲われ続けるようになる
いわゆる不幸というやつだ
つまり幸せになれなければ
不幸になるしかないという図式が描かれる

誰もがその不幸に怯えて
自分に鞭を打って「幸せになろう」とする
だがそうして得るものはいつも不安定だ
少しでも気を抜いたら
一気に不幸の奈落へと落ちるのだからね

ゆえにこの「もし○○であるならば○○であれ」
という条件付きの道徳文というのは
まったく人を導くものではない

聖書は2000年以上も
全世界のベストセラーだってのに
まったくその聖なる効果をあげていない
それどころか
余計に悪が蔓延する結果になっている

それは先の通り
「自分は何もいらないから
他人のことなどどうでもいい」
と受け取れるからだ

それは間違っていない
実に正しい読み方といえる

だから教師は不良生徒に
まともな返答ができない
彼らの主張は正しいからだ

また
「彼の喜ぶ顔が見れたら私しあわせ!」

そんな恋人からのプレゼントに
素直に喜べないのは
彼女の笑顔の仮面の裏に
何か得体の知れない
おぞましいものを感じるからだ

だからこの黄金律を教育的な道徳として
基本理念化してしまうことで
世の中は大幅に狂ってしまったわけだ

人間はイエスが思っている以上に
馬鹿だったのだ

 

3.

さて古くから人間性として伝えられてきた
この黄金律の「読み換え」のおかげで
人間は苦しむ格好となった

大きな要因としてはローマ帝国が
キリスト教を国教とする際に
イエスのユーモラスすぎる名言集を
都合よく民衆支配に用いたことがあげられる

「貧しきものは幸いなり」
聖書のこれは仏教でいうところの
「無所得」を意味する

本来の自己を呼び覚ますための一句だが
ローマは民衆の私財を奪うために
この言葉を利用した

そうした黄金律の誤読が
いまの私たち「人間」の
基本フォーマットとなっているのである

あなたも悪いことが起きたとき
「こう願ったからこうなったんだ」
と慌てるだろう

因果応報とは「己が作っている」のだ
単なる自然現象を
独自のルールを当てはめて
みているだけでしかない

だがこの因果応報という観念は
常に心につきまとっているゆえに
良くも悪くも何をするにしても
それを基準に物事を判断してしまう

いつも話しているように人間とは
頭のなかの「空想の存在」でしかない
それはルールの集大成のことだ

偽りの幸福、偽りの思いやり
偽りの不幸、偽りの苦しみ

そんな泥沼に浸かり込んでいる動物が
「人間」なのである

うちの猫は
窓の外を行き交う人間たちを眺めて
完全に呆れている

 

4.

では真の幸福とはなんだろう

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  1. ダテキヨ より:
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