死と再生

“自分”の死をイメージしてみようか

すると布の手触りや雨の日に感じた湿気や
オレンジジュースの甘さや
人々の姿やいろんな姿形なんかが
すべてなかったことになるね

もちろん抱えている苦悩もなかったことになるが
欲しいものをみつけてワクワクする気持ちや
出先でようやくトイレをみつけて
すっきりできたこともすべてなくなる

そのように
人間として経験しているすべてが
消えてなくなるわけだがむしろそれは
それまであったものがなくなるというのではなく

そもそもそんなものはなかったのだと
知らされるようなものだといえる

 

知ることのできないもの

ところが「知らされる」といっても
知ることはできない

それを知る自分はいないのだからね

それゆえに
死とはまさに”生きている自分”にしか
存在しないものであり

つまりここが重要だが
死さえも死によってなかったことになる

たしかに世界には死が溢れているだろう

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