世界と呼吸を共にする

「この世は幻想」といわれるのは
それはつまり
“あなたの知ること”だけが
この世を組み立てているからだ

たとえばあなたの視力が悪いとしよう

メガネが手放せず
なければすべてがぼやけてみえる

だから視力のよい人がたくさん周りにいて
いつもいいなあと羨ましくなり
そしてどうして自分だけが
こんなぼやけた世界をみているんだと
悲しくなってくるかもしれない

だがそうじゃないんだ

鮮やかでシャープにみえる世界が
“本当の世界”なのではなく
つまりあなたは世界に除け者にされているのではない

むしろそうして
ぼやけている光景こそが真の世界にある

たしかにメガネをかければ
世界はくっきりとみえる

だがそこにみえている
メガネをかけていない人たちもまた
己のみている世界の一部にすぎない

 

“この幻想”

この話はあなたなりに
いくらでも置き換えられるだろう

たとえば視力がよくても
自分の容姿について不満があり
街を見渡せば美しい人たちが歩いてる

どうして自分はこうなんだと呪い
せめてその美しさに少しでも近づけるよう
努力をしているかもしれない

だがそんな美しい人たちは
本当は実在していない

彼らはあなたがみている世界にのみ
描かれているのであって
その美しさを”支える“ために
「美しくない自分」を世界は必要とする

ではこの世界とはなんだろう?

まるで自分を惨めにさせるためにあるみたいだね
現に大半の人が
なぜこんな自分が生まれてきたのかと
人生を呪っている

たしかに仏教の因縁生起や諸法無我のように
物事の関係性や表裏の構造を
突き詰めれば世界が幻想であることを
暴くことができる

しかしどうしても残される疑問は
「じゃあなぜこの幻想なのか」ということであり

つまりここに
“あなた”が何者であるのかが隠されているんだ

 

幸運に恵まれる人生

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