覗き穴から(後編)
「いまここ」とは何かといえば
時間や場所のことではなく
意識の中心点のことだ
そのポイントは常に同じ位置にある
どこへ行こうとも
どれぐらいの時が過ぎようとも
それは変わることがない
たとえあなたの肉体が滅んでも
そのポイントはそこにある
なぜならば毎朝熟睡から
目覚めたときもそうであるし
それどころか毎瞬、
刻々と変わる肉体を
その意識は体験しているからだ
つまり意識は肉体ではない
肉体とリンクすらしていない
肉体は単なる壁の穴
穴から外を覗いているのが意識だ
意識の視野があなたの世界の広さとなる
今回は私がそこに行き着いた経緯を交えて
話してみよう
未知との遭遇
壁の外側では現実というレベルが起こる
そこは時間が支配する世界だ
物事はあるがままに流れている
以前の私はその中で流されないように
必死に踏ん張っていた
街に怒濤のように流れる洪水の中
三井住友銀行の看板にしがみついていた
完全に運命に翻弄されていた
一体どこへ向かうのか
どうすれば安住の地へ辿れるのか
なぜここにいるのか
なぜこんなにも月日が流れたのか
諸行無常の世界に為す術もなく
私は洪水に流され溺れ続けていた
そんなときだった
渦巻く水流の中で目をやった先の壁に
覗き穴が空いていることに気が付いた
誰かが覗いていた
私は見逃さなかった
だがまた洪水に引き摺り込まれる
そこから数ヶ月、数年、
現実に追われ
覗き穴のことなど忘れてしまう
過ぎてはまた起こる嵐
そのせいで
いつも未来を警戒するようになった
将来への悲観、絶望
常に恐れ戦いていた
愛する家族や持ち物、自分の人生、
私は守り続けられるのだろうか
不安と憂鬱の月日が流れていた
何度も諦めたつもりだったが
現実という何トンのプレスが
轟音とともに毎日私を叩き潰しにくる
その恐怖にまた自分を守ってしまう
そしてある日、間一髪でプレスを避け
地面で派手に転んで目が向いた先に
いつかの覗き穴を見つけた
そうだ、あれは一体誰だったのだろう?
私はその穴を覗き込んだ
誰かがいたような気がしていたが
何度覗いても誰もいない
それでも度々覗くようになった
私は壁の前に立ち
気が向けば穴を覗いていた
そうしているうちに
覗いていたのは私だったのだと気が付いた
不思議なことに
穴の内側を覗き込むとなぜか外側が見えた
そこから見える穴の外側、
つまり内側から見た現実の世界は
一見同じ様子なのに何かが違う
壁の内側は実存というレベルだった
内側から覗き穴を通して見える光景は
外側にいたときに信じきっていた、
「世界の広さ」もなく
「時間の経過」もなく
「何かを所有するということ」もなく
「成功も失敗」もなく
「幸も不幸」もない
愛する人ですら
穴に浮かぶ光景のかけらであり
私が抱えていた思いとは
ただの壁の絵柄だった
今まで、自分が動いて
自分で考えて
自分で何かをしてきたと思っていたが
穴から見ていると
勝手に光景が変わっているだけであり
自分は何もしていなかったこともわかった
自分の力で生きていたと
思い込んでいたのだ
子供と大人
壁の外で猛威を振るう「時間」の力は
内側には及ばない
もし時間の世界が真実であれば
壁の穴を覗いている者でさえも
過ぎ去るものとなってしまう
だがそれではおかしい
小学生の写真を見たときに
現在も変わらず続いている何かを
そこに感じるからだ
あなたはどうして子供の頃の経験が
自分の経験だとわかるのかね?
「記憶があるからだ」というかもしれない
記憶は壁の絵に描かれたものだ
だが体験をずっと見ていた者がいること
そこに気が付くだろうか?
記憶とは外側でのやり取りを収めた
データファイル
だが内側のそれは記憶とは違う
記憶のように増減するものではなく
ずっと一定のもの、別の質を帯びたものだ
だけども確実にそれはあったとわかる
なぜならいまもそこにあり
この文章を読んでいるというあなたの体験を
見ている何かがそこにいるからだ
覗く者は何ひとつ変わることがない
現れ消えていく世界をただ見つめている
我々はすでに死んでいる
そうして「私」とは
一体何者であるかが判明する
つまり最初からずっと
死の世界にいるということだ
我々はすでに死んでいるのだ
死が基本状態なのだよ
死の中にカタチが現れ
それを「生まれた」としてきた
それを「現実」としてきた
それを「愛する家族」としてきたし
それを「学校や青春」としてきた
だから死は恐怖でも失うことでもなく
毎日何回もあなたに起きていることなのだよ
つまり最初から生きていない
生まれてもいないから
その対極である「死」などないのだ
私もあなたも生死を繰り返している
さっきのあなたはいまのあなたではない
それは子供の頃の写真と同じ話
コンビニでレジで並ぶあなたと
いまそこにいるあなたも違う人だ
さらにいえば人などもいない
穴から見える光景があるだけ
画家の描いた絵が
別の絵に変わるだけ
だから死はないのだよ
あなたの本性は
決して消え去ることはない
最初から死の世界にいるのに
一体何が死ぬのだろう?
日々起こる出来事とは
生の象徴とされる
生は常に死の中にある
死という空間の中に
浮かび上がるヴィジョンが
生といわれるものだ
死に還るために生は起こる
それが何度も繰り返される
何度も何度も過ぎていく
何度も死が繰り返されている
我々はそうして
過ぎていくものをいつも見ている
無論、見ているのは覗き穴のあなただ
分かち合う
先日、十数年ぶりに
Smokeという映画を観た
ハーヴェイカイテルが主演だ
時間があれば是非最後まで観て欲しい
この現実世界での在り方が
うまく表現されている
さて、
覗き穴というヴィジョンに起こるすべては
先に記したように本当に儚いものだ
私は若い頃、人付き合いが苦手でね
それでも仕事の関係で接待やら付き合いに
毎晩行かなくてはならなかった
取引先や上司と向かういつもの飲み屋
そこのマスターがくだらない話をする
実にくだらない話だった
話の内容が本当かどうかもわからないが
たぶん全部嘘っぱちだろう
下ネタやらどこかで覚えた豆知識を
自慢話のように盛り立てて話す
ただの調子者だった
さらに客の中で若かった私に対して
「人生の先輩」として説教をはじめる
それを聞いている他のお客たちは
マスターに調子を合わせて盛り上がる
明らかに程度の低い話だと
わかっているのに
調子を合わせている
私の上司は帰り際によく言ったものだ
「マスターが『いい話』をしているんだから
お前もちゃんとハイハイと合わせろよ」
くだらない、実にくだらなかった
マスターも他の客も
何のポリシーもなく
無意識のままに右へならえ
作り話に大げさに相槌を打つ
そんな馬鹿げた空間を
馬鹿者たちが作り上げている
私は息苦しさを感じていた
私が求めているのは真実のみ
どうすれば人生の解決があるのか
どうすれば苦悩から解放されるのか
私は妻と幼い子供との暮らしで精一杯だ
あなた方が偉そうに話している豆知識は
近所の子供でも知っているようなものだ
私には何の役にも立たない
あなた方はそんな場を盛り上げるぐらい
ヒマなのだろうがね
とまあそのように
いつも腹が立っていたわけだ
まったく無意味で悪趣味なこの集会には
うんざりしていた
だが覗き穴から世界を観たとき
すべてが変わってしまった
私は一体何をしていたのだと
何てくだらないプライドを
抱えていたのだとね
マスターの馬鹿話も
私の『精一杯』も
すべてヴィジョンだった
マスターの話の真偽も
人生の真実も
どうでも良いことだった
起きた光景だけが真実であり
ハズレすらもアタリだった
そのクジがそこにあるということ
それだけがそこに起きている
私が見えたことが真実であり
そこで起こるすべてが真実だったのだ
なのに私は自ら勝手に「内容」を作り上げ
それを審議しその幻影に振り回されていた
本当に起こっているのはそのヴィジョン
エゴはそこで起きているシンプルな世界を
観ようとしない
釈迦の経典が本当か嘘かはわからない
釈迦が実在したかも確証はない
龍樹が書いたファンタジーかもしれない
涅槃も拈華微笑も
釈迦という2500年前のエンターテイナーの
客寄せのネタだったのかもしれない
だが、だったらどうだというのだろう
それが本当であろうが嘘であろうが
私の生には確実に釈迦という存在は登場した
そのヴィジョンは間違いなく起きた
ペテンだろうが聖者だろうが
私は釈迦を知った
私の世界に出現したからだ
それだけがリアルなのだ
いま目の前で
”目の前のことが起きている”
それ以外に何があるというのか
ヴィジョンは私に多くの人を登場させた
多くの物事を想起させた
再び問う
ヴィジョンとは何か
私を苦しめるため?
私を学ばせるため?
いいや、そうじゃない
ヴィジョンとは
分かち合うこと、なのだよ
本当のことなんて
実はどこにもなかったのだ
なぜならば
すべてが本当に起きたことだからだ
マスターのくだらない話
彼との空間、その関わり
それがそこに起きた真実だった
内容など、それはエゴの解釈でしかない
実在しない
私とマスター
ただその幻がそこにあった
本当に儚いことだ
吹けば一瞬で消える
釈迦は言った
真実とは線香が最後に
フッと消えたようなものだと
死の世界
無の世界
穴を覗くと
マスターとお客たちがいた
彼らは「話」を分かち合っていた
話が本当か嘘なのか
話に意味があるのかないのか
そんなことどうでも良かったのだ
分かち合いが
ただそこにあった
親しい人も嫌いな人も
いずれ消えていく
煙のように消えていく
人、太陽、水、風、食べ物、
それらとの関係性を
分かち合うために世界は起きるのだ
本当はそこにないものなのだから
とても儚い
常に無が背後にある
笑顔で語りかける妻も
可愛い飼い猫も
その背後にはいつも無が開いている
だから大切にするべきなのだよ
ほんの一瞬だけ
その人はあなたの前に現れてくれたのだから
私たちにはいまそこで起きているものしか
ないのだから
Notes あなたの世界, ワンネス, 他者, 幻想, 循環, 死, 永遠, 真実
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すばらしいです。
「涅槃の書のまとめ」みたいです。
岩窟王さん
何かを伝えるときに
1000の表現がある
つまり言葉はそれ自体が
何の力を持たず
真実とは言葉を超えた何かなのだ
私は何度も言葉をかえて
ここに記していくだろう
だがすべて
同じひとつのことについてである
数ある言葉の表現の中で
あなたにとって伝わってきやすいものを
選びなさい
前篇後編合わせて読ませてもらいましたが私も同じようなことを考えて生きてきました。
私が見ていないときは家族や友達は消えてしまっているのだと思ったこともありますし
家族を見てもなぜこの人たちが自分の家族なのか、自分の顔や名前を見ても
なぜこれが自分の顔で名前なのか違和感がありました。
また年をとっても「私」という感覚が全く変わらないのはなぜなのかということも不思議に思いました。
不幸にもこれらのことをマインド側で捉えてしまったために現実感が乏しい人生となりました。
スピリチュアルの道に入り、この手記のようにスピリチュアルを説く人が
私が抱いてきた疑問と同じようなことを言っていて驚きました。
今ならマインドから離れた視点を持てるようになったので
「この世は幻想」「あなた以外は誰もいない」と言われても大して気にならなくなりました。
全てが仮初めだろうとそれがいったい何なんだと。
もしかしたらわざわざ遠回りさせるために数々の疑問をマインド側で捉えさせたのかもしれませんね。
ONEPOINTさん
大事なのはなぜあなたが同じようなことを
考えていたかだ
あなたの壁の穴の光景は
あなたを象徴した光景となる
つまり本書の内容は
あなたに興味をひくもの
あなたが関係を感じるもの
そうしたものが含まれるようになる
でなければ
あなたは本書を読んだりしない
これはどういうことだろう
つまり覗き穴の光景とは
あなたの思考を含めてワンセットだということだ
あなたの意思はない
なぜならば
あなたの意思ですら
そこに出現した要素のひとつ
人生を振り返ってみなさい
あなた以外にもうひとり
あなたの人生を見ている者がいるはずだ
自分の見たいビジョンを意識的に見ることは可能ですか?
サボテンさん
それは可能だ
あなたが変われば
それは変わる
ただし
苦い青汁はそのままだ
苦さや色はそのままだし
野菜という成分もそのままだ
それらは変わることはない
あなたがどこかで
それはとても身体にいいと聞く
あなたの憧れ誰々が毎日飲んでいると聞く
なんでもいい
それまでのあなたの常識が
新しいものに変わるとき
青汁の苦さは消える
すべては発信者ではなく
受信者が司っているのだよ
この意味を熟考してみなさい
見たいヴィジョンの根本を探りなさい
金持ちになったらどんなハートになるのか
どんな気分になりたいのか
ならば金持ちになる必要はなく
その気分を生み出せばいい
それがヴィジョンだ
あとは勝手に起こっていく
だがいいかい
ここであなたが質問し
私がこれを書いた
そしてあなたが実行したとする
この一連ですら、最初からヴィジョンだ
あなたは何かを知りたい
ずっとそれを探している
その基本的なテーマ
それはとても美しいものだ
あなたというヴィジョン
そのテーマを大事にしなさい
覗く者を意識してみると自分がプロジェクターになって
世界を映し出している気分になります。
登校する小学生も朝からうるさい電話も
自分が作っていると思うととても面白いです。
ONEPOINTさん
あなたが作っているのは
彼らではなく、彼らの印象だよ
印象だけを見ている
そして、印象だけがあり
彼らは実在しない
その順番は押さえておくようにしたほうが
さらに理解が深まるだろう
つまりすべて私の心の投影ということでしょうか。
すべて私が映し出していると捉えたら
舞台裏に広がる闇のようなものを感じました。
その闇は恐怖ではなく、まさしく「無」といった感じでした。
ONEPOINTさん
あなたが音の裏側を聴くことができれば
すべての物事が想起している「空間」に
触れることができる
一旦それを知ってしまえば
すべては力を失う
あなただけの世界となる
まだエゴが騒いでるところをみると勘違いだったんでしょうかね。
しかし涅槃の書がトップページに掲げている「あなたはあなたの中で生きている」が改めて実感できました。
何も心の中など探らなくとも目の前に全部用意されていたとわかりました。
今日はたくさんの気づきがありました。ありがとうございます。
「私」というのがすべてを照らすプロジェクターだというなら
エゴの存在っていったい何なんでしょうね。
さながら自分でラーメン屋に入っていながらラーメンはいらないから
寿司を寄越せと言っているような間抜けさです。
それともそれすら神が創ったゲームの1つだというのでしょうか。
エゴの罠にはまって命を落とす人さえいる。
神様はあまりに冷酷無比に思えます。
ONEPOINTさん
エゴの正体とは
「意識が外側に掴まれている状態」のことだ
内側を灯しなさい
エゴは消える
手にランタンを持って
そのまま人生を歩きなさい
そこに明かりがある限り
エゴ(闇)は起こらない
自分さんにとって我々読者やコンビニの店員などは、壁にかかれた絵のようなもので実在しない訳ですよね。
ではなぜあたかも実在物に対するかのように熱心にコメントをしてくれるのでしょうか
それは、ペットを擬人化して可愛がる飼い主の心境なのでしょうか
鯤さん
この私も含めて
すべてが煙のようなものだからだよ
あなたのその解釈は
「自分がいて、他者がいる」が
前提となっているものだ
だが自分も他者も
そこに想起された、ひと巻きの煙、
一度それを見たら
あなたは何が望むというのだろう?
もっとお金がほしい
誰よりも上に立ちたい
勝負で勝ちたい
一人なんて嫌、誰かと一緒になりたい
そうしたことに
何の興味もなくなってしまう
だからといって世捨てになるのかね
そうじゃないだろう
境界線がないのだ
私とあなたも境目がないし
今日と明日も同じものだ
つまりやりたいことを
やりたいだけ
やっている
私が何に気が付こうと
世界という煙は
私を包むように起こっている
つまり私は世界の起こりそのものであり
ただ流れていくのを見ているしかないのだよ
ここでいま私らしき人間が
このブログを書いたり
コメントやメールに返答したりするのも
そうした流れを見ているに過ぎない
彼は
疲れているときもある
悩んでいるときもある
私はその姿を見ているだけだよ
私が彼に何をするということはない
世界には貧困や虐殺、
多くの出来事がある
だが私が何をするのだろう?
デモかね
身銭を切ってボランティア活動かね?
そんなことはしない
彼が生活に苦悩するならば
それがスムーズにいくように
見守るだけだ
彼が何かをしようとするならば
その行為を感じるだけだ
それはそれ
私は私だ
ひとつ覚えておきなさい
すべては幻想だが
幻想しかないのだよ
幻想じゃない場所、
そんなところはない
つまり幻想があなたなのだ
この記事が好きです。自分さんいつもありがとうございます。
komattaさんおめでとう!
ありがとございます。
自分さんの記事はどれもいい。
しかし覗いてる自分を見つけることや体からある程度、離れた感覚になれたこともなく意識的に内側に灯りを灯せたこともありません。
正直に私の今迄の体験では、少し不思議な感覚や気付きがくる時はいつも突然。
エゴ関係ない。頭の中は疑問だらけエゴだらけでも「くる時はくる。しかし瞑想しようが体の感覚に注意を向けようが来ない時はどうやっても来ない」
それに実践となるとペットも家族も友人なども
必ず消えていく。それは解っています。
おそらく小学生くらいでも、諸行無常や、いつか別れがあるは奥底のほうで、わかってるのじゃないかな。嫌でも目にするのだから。
そうなるともう失うのを見たくないから、幻想と無理に思うより一緒に死にたいとなる。
私は自分さんだからこそ、その見方と感覚が得られるのだと思う。またそう見れる方々はその方達だからだと思う。
内側に灯りを灯すって瞑想で考えことなどせず心臓の音や瞼にうつった暗い部分を見つめたりお腹の感覚を感じたりするけれど光は見えない。
奥側の光を感じた時もエゴは関係なく勝手に表れて、しばらくは「なんだったんだ?あれ」状態。
内側に灯りを灯すが解らず、あげくポジティブシンキングやマゾのように不快も心地よいかもなんて感覚の捻じ曲げで苦しくなったりもする。
本音言えば何回も、自分さんの領域に近づくより「楽に死ねる探し方を探したほうら楽」
と、もう無理だなという諦めが強くなるほど自殺願望も強くなる。これは正直な感想です。
この世界の捉え方だけならRPGゲームの世界と「思おう」が死んでから生が与えられるまでの刹那の世界と捉えようが、捉え方だけはいくらでもできますけど。
「実感」となるとマトリックスの中でも感覚も気付きも願いも何一つ、思うようにはならないし気持ちが軽い重いはあっても、体にかかる重力は感じてて物理的には空を飛べないし肉眼では仏の姿はとられられない。
あくまで噂だけで評判のよくないキッシンジャー氏が何故か直感的に11面観音に感じた。技術特異点のレイ・カーツワイル氏も
悪評も高いけど技術特異点は私的にも不安で嫌だけど、この人自身は何かもっと…そんな評価など超越というか理想としてもってるものは崇高なのだろうなという感覚に直感的にきたことはある。
しかし何故そう思ったのか?とピンときたのか?と問われると答えなんてない。
そしてそういう感覚が来たとしても目で見たもの映像も文章も変わりない。
私がこだわったのは目に悲惨な映像が映ってたら一瞬で「目に」お花畑と映る光景にチェンジするを望んで色々しましたが…。
どうもみてたら目に映るのは悲惨な光景だけど天才芸術家のように芸術的視点をもって眺められ悲惨と感じなくなるということのようだけど。
太陽の塔もピカソの芸術も私にはさっぱり理解不能。感性的に来るものもない。
天才のその感覚になりたいと思わないところが
生まれついた常人かなと。
死を直前とした体の感覚が超えられない。
死にかけた時は必ず痛みや、しんどさとワンセットだったから安らかな無だけど想像することも不可能。
読み物として読むのと、実際に体感として感じ目の前が幻想に映るかは全く違います。
読み物なら何の疑問もわかない。
自分さんの感じてる感覚のように感じるには、大袈裟でなく命がけな部分もある。
家が禅宗なだけで詳しくは本当に知らないけれど
深く入るほど危険も多いですよね。
以前、はじめて気づいた時、野狐禅というものを知った。それまで仏教知識も禅知識もなく野狐禅自体も知らなかった。気付くきっかけになった手に取った本も金金主義から抜けようてきな生き方バイブルもしくは投資から貯蓄へと運用本かなと思ってスピリチュアルと思ってなかったのだから。
前提知識が全くなかったからノイローゼのようになる危険や人によっては自殺するという危険も知らなかった。
昨日は物凄い悪夢みて夜中3時ごろ目を覚ました。眼鏡外してたのもあるけど私の部屋の闇が深かった。鏡に映った鼻の長い魔女のような自分(全く姿は違えど自分と認識してる)を悪魔のような恐ろしい存在が鏡に向かってその私を殺そうとする。
ほとんどの方々は、順調に気付かれたことしか書かれてないから余り、危険面とかを強調されないけれど。深く入るほど危険な面もあるのは確かですから、そのへんについての体験のお話もお聞きしてみたいと思う時があります。
またそのような状態になったら、どうしたのか。
おそらく今、魔境に近い。
親が亡くなった時、宗教勧誘でうんざりした経験と悟りに元々関心が無かったが良い結果となって悟った=偉い人、凄い人妄想には陥らずにすむけれど。
超常現象?と疑うような体験は何度かする。
殆どは科学で落ち着かせられる現象。
私が見た光も脳内発火。細胞が死滅する前の自然発火かな?とおも思えもする。
タイミングの問題や、何故、知ったのだ、何故、今更、この体験がこの時のためにあったと一瞬で認識するなど科学だけで説明できないことは多いけれど魔境に陥る危険は避けやすいから私個人はそれと、お地蔵真言唱えて静かに瞑想などで対応してます。
本当はこんな知識も知る必要なかった。
気付くまでは魔境も野狐禅も縁なかったし関心も知る必要もなかったんだから。
気付き=必ずしも「素晴らしい事、いい事」と私は受け取れません。
自分さんのようなレベルは本来なら仏門でそれなりの知識と危険性を説かれて何年もかけて修行して辿り着くような場所ではないのかと。
それを急ぐのは宇宙の事情でしょうか。
夢がすごい。これ書いた後、急激に眠くなり昼寝してたけど、その続き、まんま見ます。
同じようにPCを前に、同じコメント書いて誰かが危険はないなどの書き込みがあり後、女性のRESやら複数のRESが続く。途中から真っ白の雲が2人の天使の形になったりワケわからない夢になるが。
昼寝が出来るという優雅な環境に限って昼寝にかぎってだけど今、やってるその行動まま、夢ではなく現実として時間が続いたよう夢をよく見ます。超常現象というより最近は、夢に割とやられてる。
瞑想や寝る前、楽な姿勢をとろうとすると必ず何故か片足を曲げてしまう。いつも「吊るされた男」がうかんでしまう。
心のランタンに火を灯すでタロットの「隠者」を思い出してしまいます。
意味を知ると割と状況と一致して気持ち悪かったり。
怖いから占いはやりません。
少し悪夢や金縛りが続いた時は、うちの宗派から経見たりして落ち着かせたりするのですが。
どれだけ遠回りしても結局、ノイローゼや金縛り避けて、地道にカルマおとしとなると…。
四諦・八正道
ttp://www.shorinzenji.com/%E4%BD%8F%E8%81%B7%E3%81%AE%E8%A9%B1/%E5%9B%9B%E8%AB%A6%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93/
しかないんだなと深くため息つきました。
ちなみに野狐禅も割と陥りやすい状態でもあるから戒めのために。
ttp://oshiete.goo.ne.jp/qa/341800.html
ムトウさん
ここで私が書いているのは、すべてあなたのことなのだよ。なぜ共感するのか、そしてそれ以前に「なぜこれがここにあるのか」だ。
つまり私があなたに書いているのではなく「あなたが読んでいる」からこれはここにあるのだ。常に受け取り側の視点でありなさい。受信者がすべてを創り出している。どんなに歴史的な美しい光景を見ても、それはあなたの中にある歴史が美しさを放っているのだ。
あなたの想像できるものは、想像できる時点でこの世に存在するものだ。すべてあなたの手中にあるのだよ。
あまり記事は保存しないのですが私もこの記事が好きで最後の段落をevernoteに保存しております。
私も過去に悪夢や金縛り、耳鳴りに苦しんだことがあります。その頃は昼夜逆転などの不規則な睡眠、惰眠、お酒の飲み過ぎ等していました。規則正しい生活に入るといつの間にか治りました。その様な心あたりがあれば、見直してみてはいかがでしょう?
ありがとうございます。お酒は一切、飲みませんが。たまに喫煙はします。(体が悪いのに医者には激怒されてますが)。食事は基本、粗食です。今日の夜ご飯は卵かけ御飯のみ。スナック菓子なども月1程度でしか食べません。
昼夜逆転は完全にしていますね。昼間、運動不足もあるでしょうが、一時、仕事の為に無理やり寝るため睡眠誘導材など服用してたから薬を使わないと自然に寝にくい状態にはなってますね。
耳鳴りすごいです。肩こり首コリからが殆どだと言われてて耳も慢性的な外耳炎持ってるので殆どはそちらからと思いますが、割と神秘体験?とか錯覚するような時と、妙にシンクロフィーバー続いた時は起こります。
比較的、平日の夜は車の騒音は静かなのですが。今日は静か。規則性などないのだろうけど昼夜問わず単車の音が瞑想や内観の邪魔するように爆音たてて通ることが多い。原付でマフラー外してる音の方が迷惑ですね。殆どは車より単車の迷惑音。よろしくないニュースを見ちゃうネットのし過ぎもあるだろうけど。急にエネルギーが吸い取られるように眠くなる。
3月からお仕事ですし最初はお給料のこともあり、3月からスタートに少し不満も抱えたのですが、このような状態なら慣らす期間が与えられたことは有難いことだと思ってます。
お仕事が決まった以上は、そろそろカン取り戻すためにソフト操作もしておかないといけないし。腕ふり運動と朝方に戻すを意識してのりきっていきたいと思います。
10のマイナス24乗さん
意見が合って嬉しいです!ありがとうございます。そしてkomattaさんの言う様に自分さんの記事はどれもいい。