覗き穴から(前編)

ついさっきのこと
それはもう過ぎ去った
ここにはなく
どこかに消えていった

水滴が湖に落ちたように
河が海に流れ出たように
もうそのカタチは見えない
大きなものに合流していった

ひとつのカタチを捨て
カタチなきものへと姿を消す

死んでいった人々
過ぎ去った昨日
ほんの1秒前の出来事
すべてはカタチを捨てて
何かに溶けていった

この世界で触れ合うものは
すべてカタチあるものに限られる
人や物、出来事や感情
何らかの定義が与えられたもの
つまり存在とは定義のことである

そして定義が定義を失うとき
その存在性はどこかに溶けてしまう

 

どこへ?

以前私はこんな疑問を感じていた

例えば友人が部屋に遊びに来ていて
バイトの時間がきたので帰って行った
だが本当に友人は歩いてやってきて
そしてどこかへ
戻っていったのだろうか?
本当に私の知らないどこかで
電車に揺られているのだろうか?

翌日に友人に聞けば
彼の話が私の聴覚に触れてくるだろう
だがそれでは疑問の解決になっていない
察知できる範囲での
確認でしかないからだ

私が知りたいのは
「私の前にいないときお前は実在するのか」
ということだ

これを友人に確認することはできない
確認しようとしている時点で
友人は私の世界に現れているのだから

もし世界とやらが私の肉体的に
感じ取る範囲だけでしかないのであれば
この視界という映像枠に
現れ消えていっただけ
つまり友人は私の映像に生まれ
そして死んでいったということと
同じではないのだろうか?

その都度、彼は生まれ死んでいく
私という画面上にオンとオフを繰り返している

「すべては過ぎゆくもの」と方便されるが
それは時間経過のニュアンスがある
現実というレベルにおいては
時間という制限に支配される
すべてを因果の法則に委ねるしかなくなる

だが後述する実存というレベルに至っては
時間は幻想となる
あるのは「いまここ」で
目の前に起こっている事実、それのみだ

いまここで生と死が
何度も繰り返されている
生まれ続け
同時に死に続けている
その寿命は0秒だ
実存のレベルにおいては
すべてが0秒で存滅する

カタチができて
カタチがなくなる
瞬時の速さで
それが繰り返されている
ずっと繰り返されている
うんざりするほどに繰り返されている

だから世界は儚い

いま目の前にいる人は確かにいる
だがその人が目の前にいないとき
妙な儚さがある
なぜだろう
ずっと思っていた

死んでるわけでもあるまいし
また会えるはずなのに
目の前にいないとき
そこに一輪の儚さが咲く

現実世界とは諸行無常
何もかもが変わり続ける中で
生き続けていく世界である

 

変わらない世界

小学生の頃の写真を見つけた
いまの自分を鏡に映してみる
どう見れば同じ人物だというのだ
明らかにすべてが異なっている
顔立ちも身体の大きさも
知識も技術も
考え方も物事の捉え方も価値観も
精神的な部分ですらも全くの別人だ

だが私はこの子供だった
それを知っている
どういうことだろう

ある「存在」は
この子供を通じて世界を体験していた
それはいまも一貫されている
いまはこの男を通じて体験している
その内側にある一貫性は同じだ
何も変わっていない
年齢を重ねたり
知識を得たりしているのは外側だが
内側のこの何かは何一つ変わっていない
同じままで在り続けている
外側が右や左を向いても
内側のそれは向きを変えることはなく
外側が地球の裏側まで旅行に行っても
内側のそれは一歩も動いていない
ずっと同じ場所にあり
上下左右の概念もない
そんな何かがいつもあることがわかる

子供の頃もいまも
内側から覗き続け
体験を”感じている”者
それは年齢を超えても
変わらずそこにいる

私という壁に穴を空けて外側を覗いている
その壁の表側には
マリリンが描かれているかもしれない
だとすれば私はマリリンモンローだ
ミッキーの絵であれば
私はミッキーマウスだ

そして度々、壁は改修される
モダンなデザインになったり
ゴミ置き場だったり
外側の様子はいつも違う

だが覗いている者は変わらない
そこからずっと世界を覗いている
覗いている者からすれば
穴の向こう側はいつも変わりゆく光景だ

何かが現れては消えていく
壁の絵が変わる度に
そこに集まる人や出来事も変わる
壁に向かって話かけてくる
壁が返答している様子を
覗く者はただ見つめている
人々も起こった様子も
生まれては消えていく
覗く者だけがその始終を見ている

 

気付きが起こる

この文章を書いているのは
壁の絵である私だ
“どこからか湧き起こる”ひらめきを
文字に綴っている

その様子をいつも背後から眺めている者を
私はいつも感じている
この数年は忘れることもなくなった

目の前の何かを見るとき
ただ「それを見た」のではなく
何かを見た私を見ている者を
見るようになった
つまり物を見るときは
見ている何かに対しても見ている
双方向に矢を放つ

何かを聞いているときは
聞いている私を聞いている者を
見るようになった
どちらへも矢を放っている
食べているときも歩いているときも
セックスをしていてもだ

壁の絵である私は
この覗く者と共にいる

目の前に広がるこの光景は消滅していく
時間が経過しているのではなく
次々と光景が生まれては死んでいる
そのように受け取れるようになった
カセットテープに磁気ヘッドが当たるように
その瞬間だけを存在できるようになった

そして共にその光景を眺めてきた末に
覗く者が私であったことを悟ったのだ

続編へ続く

 

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  1. より:

    THE BLUE HEARTSの甲本ヒロトさんが、最近、私の世界に現れました。
    二十年前から名前は知っていましたが、私の世界には存在しない人でした。
    いや、存在してはならないというように、私の世界に彼が現れることをゆるしませんでした。
    あまり好きじゃなかったのです。
    それがひょんなことで、大好きになりました。二十年以上、私は彼のイメージを見ていた事に気がつきました。
    そして、ブルーハーツ→ハイロウズ→クロマニヨンズと、彼の音楽人生30年の歩みをYouTubeなどの映像含めて追いかけていきました。
    すると、ヒロト青年は、もうおじいさんになっていました。
    でも、実際に会ったことはないので、青年の姿と老人の姿でどっちが本当か僕にはわかりません。
    ただ、確かに言えるのは、どんな姿であれ、甲本ヒロトさんが、私の世界の中で生きていると言う事なのです。
    それはそれは幸せそうにマーシーさんと共にギターを奏でる甲本さんが今の私の心の中には住んでいるのです。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      知人の知人という感じで
      間接的だが彼を知っている

      あなたのお陰でそのことを思い出したよ
      これはあなたの話と同じことだ
      私の世界に想起した
      そして心の中に住んでいる

      すべてはあなたの中にある
      あなたですら
      あなたの中にある

      その包み込んでいる「あなた」と
      触れ合ってみなさい
      それはとても温かいものだ
      とても優しいものだよ

      触れ合えた瞬間、
      あなたは泣き出すかもしれないね
      実のところ、私も泣いてしまったのだから

  2. 困ったさん より:

    この前結構な地震にあいました。
    どうも私の世界は黙示録が好きなようです。
    気分転換してもなぜか・・・。

    それも本来の私が望んだものと何も無い時は考えたって仕方ないと思いますがやはり不安や恐れが消せたわけではありません。
    やっぱり無くすことは恐ろしいし痛みなど本当は無いと思っても(真実はそうだと思います)けれどやはり痛みを感覚として感じるのは今の段階じゃ辛いです。

    自分さんの世界は戦争の可能性も災害、地震の可能性も無い世界か気にならない世界なのでしょうね。だけれど私はどうしても気になってしまいます。

    • 自分 -涅槃- より:

      困ったさん

      あなたの世界の人々や物事だけでなく
      あなたの中で起こっている
      不安や恐れもヴィジョンなのだよ

      つまり「あなたの中」ですら
      外側なのだ

      ではもっと内側
      つまり覗き穴の内側
      そこからあなたの肉体を通じて
      いつも見ている者
      彼を探しなさい

      だが探しても見つからない

      探しているあなたが
      彼だったことがわかるだろう

  3. より:

    昔、甲本さんを見ると、苦しくて苦しくて仕方がなかった。
    あの人たちはビートルズを聴いてビートルズになりたいと思ってビートルズになった人で、ストレートに真我の声に従って生きている。
    今、若い頃の彼らも現在の彼らも愛しく感じる。
    一方で、私が私のままで入って行けない世界と言うのもある。
    学校社会とか一般企業社会では、職業選択のミスマッチもあるかもしれないけど、うまく適応できない。
    良い悪い抜きに二次的な事実としてそう言う事がある。

    ※一次的な事実とは悟りの視点から見た事実で、適応も不適応も存在しない、会社もなければ世間もないと言う世界認識
    二次的な事実とは、心が受け取っている世界認識。目の前のコップは、悟りの世界から見れば存在しないのかも知れないが、ともあれ、有るように見えてしまう事実。

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      彼は何も変わっていない
      あなたが変わったから世界が変わった
      無論、彼も変わった

      世界はあなたの中にある
      あなたが決めているのだ
      つまりあなたが常に創造しているのだよ
      どのようなことも

      目の前のコップは〜

      コップの後ろ側に、「コップのなさ」が
      感じ取れるだろうか?
      騒音の中に静けさが感じ取れるだろうか?

      それが無だ

      無の上にすべては煙のように起こっている

  4. 困ったさん より:

    お返事ありがとうございます。
    ですがごめんなさい。
    頭で理解するのと感覚で感じるのは別物です。

    世界が私だとしても地震が私の意志でおさまるのでなくそれはスペクタルな出来事だ。
    子供のころの台風だと感じればいい。恐怖より楽しい体験だったじゃないかみたいなかんじかもしれませんが、もうそれは無理です。

    そこまでは感じられるとすれば来世です。
    スモークって見てみようと検索かけたらコピペのeが抜けてゲームキャラの火龍がでました。フィルム変えられないならリタイアしたい。

    • 自分 -涅槃- より:

      困ったさん
      >頭で理解するのと感覚で感じるのは別物です。
      あなたは逆の意味で取っているだろうが
      それは真実にもう触れているということだ

      頭では「そのようにあればいいんだ」と理解する
      だが感覚ではネガティブが消えない
      なぜ頭と感覚は違うのか

      もしあなたがその頭を断ち落としたとき
      何が残るのだろう?
      そこに恐怖はあるのかね

  5. kouiti より:

    壁の外が現象世界、内側は霊的世界ということでしょうか。内側から覗いている「それ」とは私とは別の永遠の存在。私とは媒体ということでしょうか。現実があまりにリアルなのでのめりこみすぎるのでしょうね。

    • 自分 -涅槃- より:

      kouitiさん

      眠っているときの夢と
      日常の光景
      それらは一体何が違うのだろう?

      死をイメージしてみなさい
      あなたが死んだとき
      どれが現実で
      どれが夢だったのだろう?

      そしてもうひとつ
      現実や夢らしきそれらを見ている者は
      一体誰なのだろう?

      その者は明らかに死を超えている
      なぜならば
      死をイメージしたときに
      「どれが現実で
      どれが夢だったのだろう?」と
      感じ取ることができるからだ

      昨夜見た夢と
      昨日の記憶
      その違いは何か?

      さっきまで話していた友人と
      彼の死は
      一体何が違うのだろう?

      あなたは死をいつも経験している
      死を見続けることが
      あなたの存在なのだよ

      すべては過ぎていく
      それはすなわち
      あなたという先端が
      空間を突き進んでいるのだよ
      すべての光景は
      いつも流れていく
      いつも置き去りにされていく
      進んでいるのは
      あなただけなのだ

  6. kouiti より:

    有難うございます。昨夜見た夢と昨日の記憶ーー同じような感じですが違いはあるのでしょうか。
    死んだときどれが夢でどれが現実だったのか、それも
    同じみたいな感じです。ということは現実と夢は同じということなのですね。

    • 自分 -涅槃- より:

      kouitiさん
      休日の時間のあるときにこんな実験をしてみなさい
      昼間、本でも読みながらうたた寝をする
      だが完全に眠りに入ってはだめだ
      すぐに目を覚ましなさい

      ほんの数秒、あなたは眠っていた
      少しの間なのに夢を見ていた

      そして目が覚める
      また本の文字を追う
      するとまた眠気がくる
      数秒、あなたは眠る
      また夢を見る
      だが目を覚まそう

      うまくいけば十数回、繰り返すことができる
      そうしているうちに
      あることに気が付くだろう

      一体どういう理由で
      夢を見ているのだろう、と

      夢には色々な人が登場する
      本を片手に横になっているあなたには
      まるで関連性のない人たちが出てくる
      さらに関連性のない話が出てくる

      目をさました瞬間、あなたは
      「ああ、たぶんこんなことを考えてたからだな」と
      夢を見たきっかけを見つける

      だが繰り返すうちに
      その「きっかけ」と思っていたことすら
      夢の中での出来事だったことが判明する

      さあ大変だ

      あなたは一体どういう根拠で
      どういう理由で
      現実とはまるで関連性のない
      まったく無関係の「思考」を起こしたのだろう

      それはあなたが考えたものではない
      つまり突然やってきて
      あなたはその思考にまんまと染まった
      そしてそのまま夢の住人たちとご挨拶だ

      この実験の末にあなたは気が付くだろう
      目が覚めているときの思考ですら
      「自分で考えているものではない」ということにね

      そして夢も現実も
      すべて思考が作り上げていたことが
      徐々にわかってくる
      突然やってきた思考が
      あなたの見ている世界を作っている

      それは目が覚めているときも
      夢見のときも変わらない

      この話は長くなるから
      次の手記にまわしておくよ

  7. kouiti より:

    やってみます。明快で具体的なアドバイス有難うございます。思考とはそのようなものだったのですね。
    どのような実感をするか楽しみです。

    • 自分 -涅槃- より:

      kouitiさん

      先にも書いたように
      最初は
      「こんなことを考えていたから夢を見たのだ」
      そのように受け取るだろう
      現にそう考えていたことを思い出すのだからね

      だが何度か繰り返す内に
      「そう考えていたこと」も夢の中だったことがわかる

      つまり
      思考の性質を見破る手立てとなる
      いまそこでも
      あなたは思考にまんまとハメられている

      すでに思考の中だから
      それを見破るのは難しい

      ゆえに瞑想などの技法があるのだよ
      この世は思考、つまり心が作り出している

  8. より:

    全ての感情を観照してみよう。恐怖や不安や喜びさえも一年後の正月に味わうことにしようと、誓いを立てた途端に、決まって、許容範囲を越えた事態が起こってしまい、ひーたすけてと前言が覆されそうになります。
    でも、よく観察すると、自分の思い込みで、別に大したことは起きてなかったりします。
    何なんでしょうか

    • 自分 -涅槃- より:

      鯤さん

      その「よく観察してみると」の状態を維持してみなさい
      あなたに起こっているどんな小さなことも
      すべて、あなたが起こしていたことに気が付くかもしれない

  9. ONEPOINT より:

    観照を始めて6か月目ですが、今日は色んな不満が出て来てしまい
    全く進歩していない自分に嫌気が差しました。
    もちろんトータルで見れば変化はあるのですが同じくらい疑念もあります。

    それとこれは今までにない感覚なのですが
    自分の身体がときどき自分でないような感覚に襲われます。
    その状態にマインドが着いていけてないせいか
    軽い離人症ぽくなっています。
    これもあまり気にしないようにしているのですが
    このまま観照を続けていると狂人になってしまうのでは?という
    不安もあります。

    こういう場合は中断したほうがいいんでしょうか?
    不適切なコメントでしたら掲載しないでください。

    • 自分 -涅槃- より:

      ONEPOINTさん

      そうではないよ
      不満が出てくること、それも現象なのだ

      天候と同じだと思えばいい
      日光が注ぐ日もあれば
      雨の日もある
      それで自然なのだ

      離人症と恐れるのは誰かね?
      マインドの解釈を超えて行きなさい

      以下の言葉を食べてみなさい

      すべてあなたという生の中で起きている
      観照をしているという出来事も
      「出来事」だ

    • ONEPOINT より:

      返信ありがとうございます。
      マハラジさんもかなり怒りっぽかったみたいなので
      不満があること自体は問題ないのかもしれません。
      問題は半年も続けておきながら不満が出ると
      完全に飲み込まれてしまうことなのです。

      離人症ぽく感じるのもマインドの仕業というのは何となくわかっているので
      その怖れる気持ちを観照したいと思います。

    • 自分 -涅槃- より:

      ONEPOINTさん

      何かになろうとしないことだよ
      逆にいえば
      すでになっている何かを
      やめる方向に向けなさい

      すべての瞑想は
      得ることではなく
      捨てること

      不安はあるだろう

      だがあなたはいま何歳かね?
      今日までの無数の日々
      一度も衣食住が途切れることはなかった
      それも非常に複雑な要素が絡み合いながら
      あなたは生きてきた
      どれぐらいの確率なのだろうか

      奇跡的にたどり着いた先が
      いまここ

      さて、過去などあるのかね?
      あなたは何に包まれているのかね?
      何に守られているのだろう?

    • ONEPOINT より:

      昨日怒る出来事があったのですが今までの自分には考えられないほど
      躊躇せずに怒ってその様子に自分で驚きました。
      それと最近思考に巻き込まれる時に眠りに落ちるような感覚になるのです。
      今まで身体は起きていても頭は寝ていることに気づかずに生きてきたのかなと思います。
      スピリチュアルの探求は本当にいろいろな景色を見せてくれます。

      それと関係ないのですが
      >だがあなたはいま何歳かね?

      自分さんは単純に質問したのだと思いますが
      「お前はもういい年なのに何をぐずぐずやっているのか」と言われている気分になりました。
      もちろん私が勝手にそう思ってるだけなのですが、
      最近年齢を意識するようなことを他人から言われることが多く
      発破をかけられたような気になりました。

      悪い気分がしたわけではないのでお気になさらないでください。

    • 自分 -涅槃- より:

      ONEPOINTさん

      よろしい
      こういう話はどうかな

      雨が降ったとする
      すると、「雨は降った」のだ

      この単純な受け取り
      これが重要なこと

      だが、本当に雨は降ったのかね?

コメント・質疑応答

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