記憶を見ている
Macのキーボードを打っている
感じている指の感触
これは「いま」起きているのではない
指がキーに触れる感覚があり
それを受け取っている
体験のすべては
いつもタイムラグがある
つまり常に記憶を見ているのだ
指の感触を思い出し続けている
「指よ動け」と念じても
指が動かない理由がこれだよ
実際に指が動いているとき、
それは「動いていることを見た」ということ
すべては起きたものを
読み取っているに過ぎない
すべては遅れてやってくる
右手を動かしてみなさい
→動く
次に右手よ動けと念じてみなさい
→動かない
後者のとき何を「見た」のかといえば
「念じたこと」そして
「動かなかったこと」だ
すべて記憶なのだ
これが大事なポイントとなる
今日の昼、どこかで何かをしていた
それをいま思い出している
それが本当にあったのかどうかの確証はない
「昼にコンビニで買ったペンがここにある」
だがそうとしたところで
それすらも「ペンを見ている」という記憶を見ている
だからそこにペンがあるわけではない
ペンではなく消しゴムを買ったという記憶ならば
そこには消しゴムがあるのだろう
つまりペンも消しゴムも実在しない
あるのは記憶
「こうだ」としている信念が
記憶の光景となる
だから「いまに在る」とき
出来事はすべて遅れてやってくることがわかる
記憶を見ていることがわかる
つまりすべてが夢であると見破ることができる
実在するものなど何もなく
ただ記憶という幻想があるだけ
自分は一歩も動いておらず
時間も一秒と進行しておらず
ただ起こりくる夢を
読み取っているだけ
五感という刺激も何もかも
ヴィジョンに映ったあとに
それを読み取っているに過ぎないのだ
成功と失敗
先の右手を動かす話
これはあなたの人生そのものだ
マインドは右手が「動くか動かないか」に囚われる
あなたは「動いたこと」を成功としてしまう
マインドはその成果を成功とする
何かの計画を立てて
その通りにコトが進めば成功だ
なぜ「成功」かといえばそれは偶然だからだ
たまたま計画と記憶が合致した
マインドはそれを知っている
己には何かを変える力など全くないことを
知っている
だから成功というラッキーを得たい
単なるギャンブル
当たれば大喜び
逆に「動け」としたものが動かなければ失敗
あなたはそれを繰り返して
無力さを味わい続けてきた
それがあなたの劣等感
不幸な人生だ、そういうセリフが多くなる
そこで起きた事実とは「動かなかったこと」だ
ただそれだけがある
つまり「事実」とは
いまそこで「その記憶を読み取った」ということ
ただそれだけのこと
マインドの策略などまるで関係がない
「右手よ動け」は
記憶を読み取っていないということ
そこで見ていない何かを求めている
それがマインドの未来志向な性質
成功を求めるゆえに常に失敗の中に生きている
繰り返すが
そこにあるのは、
記憶を見たということだけだ
記憶をいまそこで読み取ったこと
生とはただそれだけなのだよ
記憶とはなにか
注意しなければならないのは
記憶とは過去のことではない
「過去」を思い出すとき
過去という記憶を読み取っている
マインドは過去に時間を与え
それを価値化する
本当はありもしない物事なのに
それを「あったこと」にする
確固たるものにしてしまう
いいかい
過去などないのだよ
そこで作られた光景のひとつ
「今日の昼はコンビニに行った」というのは
いま、あなたがそこで見ている記憶であり
昼にコンビニ行ったことなど一度もない
昼もなければコンビニもない
記憶とは何かといえば
ヴィジョンのこと
あなたはいつも夢を見ている
目の前にいる笑顔の人も
エアコンの稼働する音も
すべて実在しない
棒で頭を叩けば痛い
それも記憶
何もかもが
そこで少し遅れて浮かび上がったヴィジョンだ
だからね、
すべてが根拠も形もない
そこで「ただ見えている幻想」だから
あなたの思い次第でいくらでも
光景は変わるということだ
過去にこういうことをしたから
現在はこうだ、という観念は
あなたが作っている
それをやめればいいだけだ
努力とはマインドの将来的な展望を意味する
そこに記憶を変える力はない
だが努力により観念が変わることがある
つまりあなたの「努力が実るとき」とは
観念が変わったときのことなのだよ
まずは現実を疑いなさい
そこから始まるのだよ
Notes あなたの世界, マインド, 世界を変える, 無為自然, 生き方, 観念, 願望
コメント・質疑応答
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私は涅槃の書を読みはじめてまだ日が浅いのですが、自分さんからコメントでご助言をいただくようになってから、特に先々週の1週間、頻繁にトリップ感のようなもの(専門用語がわからないのでこの言葉を使っています)を体験するようになりました。
特に「ここはあなたの世界」に書き込ませていただいた体験は強烈で、「LUCY」を拝見しましたが、覚醒後、初めて街を眺めるルーシーの姿と、街の中を歩く自分の感覚にとても似たものを感じました。
確か、「私たちは地球という肉体の細胞なのだ」というような台詞があったのですが(記憶違いなら申し訳ありません)、まさしくそのように感じました。
自分は一線を越えてしまったような気がしました。
その週は頭が冴え渡りほとんど眠れず、食も進まず、体重も毎日落ちました。だからと言ってやつれた感じはせず、肌も綺麗になり、元気そうとまで言われました。
その後、自分さんへの依存心に気づくと、その強烈な感覚もスーっと縮小していきました。
また眠れるようになり、食欲も戻り、私は少しほっとしました。
今はただ、何だか不思議な感じです。
異次元に行ってしまったような感覚と感動、生命体そのもののエネルギー、躍動感、呆然としている自分の姿、そして孤独と戸惑いだけが、記憶と共に残っています。
自分さん、私に何が起きたのでしょうか?
ガルシアさん
意識の変容といわれるが
つまり視点が変わってきたということだよ
いずれ
あなたの好きな通りの世界になるだろう
だがそれはあなたが望んでそうなるのではなく
世界が提示しているものが
あなたにとって好きなものとなるからだ
この法は
よくある引き寄せなどのカラクリとなる
いまあなたに起こっているものは
もともと世界がそのようにしていたものだ
だがあなたがそれを見ていなかった
次元が変わったのだ
そのまま続けなさい
意識は自分の中に向けておきなさい
「次元が変わるなんて恐ろしい」「このまま続けるなんて恐ろしい」と書き込むつもりでしたが、新しい手記「メタモルフォーゼ」を読み、少し心境が変わりました。
文中の雫は、雫として「ただ在る」だけであり、そこには覚悟や目的、意味などというものは恐らく無い。
何も無い。だから美しいと。
ならば私も「ただ在れ」ば良いと。
確かに、ルーシーのような感覚で街を歩いていたとき、そこにはあまり感情がなかった。知人と談笑もしたけれど、“談笑”がそこにあるだけで、私本体にはあまり感情がなかったように思う。
すれ違う人すべてを抱きしめたくなるような、ありがちな多幸感もなかった。
ただただ、「私たちは生命だったのか」と感じ入っていた。
自分さんが仰る、“至福”の一端を感じられるようになったら、もう少しわかるのかもしれません。
ガルシアさん
よく記しているが
道は2つある
あなたはそのうちの1つ、
「虫であること」を徹底すると良いだろう
周囲を一切気にせず生きてみなさい
あなたが見るのだ
どう見られているを考えてはならない
あなたが見ているかどうかだ
そうして
世界をあなたの庭にするとき
すべてが己だったのだとわかる
自分さん、ありがとう。
「虫であること」は私の性質にとても合っている気がします。
何だかとても嬉しかった。
ガルシアさん
言葉として表現をするならば
常に主観的であることだ
あなたからすべてに対して
光線が放たれていることを知りなさい
現実レベルにおいては
客観的であってはならない
それは魂が食われていることを意味する
常に自身の中に意識を
持ち運ぶことだ
いずれ手記にするが
自身に意識の光を持っていれば
あらゆるマジックが起こるようになる
まずはそれを維持できるようやってみなさい
先日は ありがとうございました。
>「ただ見えている幻想」だから
あなたの思い次第でいくらでも
光景は変わるということだ
数年間、束縛されストーカーのような存在がいます。大口のお得意様で
邪険にも出来ず。
これも私が作り出した幻想なのでしょうが、解釈や観念を変える?ことで
解消されますかね?
自分を愛し 全ての事に感謝し委ねきれれば幻想はかわりますか?
梵天花さん
そうではない
その相手をなぜ排除しないかだ
あなたは自身の立場を守るべく
その幻想を描いている
自分の立ち位置を失うのが怖いかね?
あなたの恐怖とは
その相手ではなく
エゴが失われること
だからあなたが怖がる以上、
その状況は続くだろう
すべてはひとつのものだ
それを自身の現状から悟りなさい
自分自身を生きなさい
次に進む道は見えているはずだ
すべてが記憶ならなるようになる。
と自暴自棄になるのも自分の責任ではないですよね。
甘えてる言い訳かもしれないのですが
そう思うことでしかもう救いようがない
ところまで来てしまっているような気がするのです。昨日のメールの続きになってしまいますが。
現在進行形で取り返しの付かない現実をつくっている自覚があるので。
もっと早く自分さんと出会えていたら道を踏み外さずに済んだかもしれません