フィクションの世界(1)

ほんの100年前まで人は「現実」の世界を生きていた。すべてはあるがままに存在しているだけ、貧しい暮らしのなかで、おとぎ話を夢見るだけでしかなかった。

時折起こる戦争や飢饉などの出来事に全員が巻き込まれて、無慈悲な自然の脅威にただ屈服するしかなかった。だから絵画や小説などの様々な作品が溢れて、それが人々を和ませていた。宗教もそうだ。唯一の拠り所として人々の心を支えていた。

芸術も宗教も非常に大きな役割があったわけだが、つまりそれだけ変えることも曲げることも許されない、重く厚い鉄板のような「現実」を生きていたわけである。

ところがこの100年で人間の世界は大きく変わる。

以前は熾烈な太陽が地表を照らしていた。太陽が唯一の恵みであり、人々はその恩恵によって昼間の活動や作物を手に入れていた。

だがいまや人類を照らす光といえば、街を埋め尽くす企業の広告やスマホのディスプレイだ。その光によって娯楽も性的嗜好も、なんでも叶う時代になった。

1.

企業はあらゆるものを概念化する。人々はそうして生み出された「新商品」を広告によって欲望させられる。本当にそれが欲しかったのかどうかは絶対にわからない。気がついたらすでに「欲しいこと」になっているからだ。

消費社会、情報社会、インターネットの時代へと移りゆくたびに、企業の錬金術はますますその限界を突破し続けていく。どんな要求もたちどころに実現される。

昔の人々がおとぎ話として空想していた世界が、いまやそれが現実となり、つまり本来的な現実と虚構が完全に入れ替わってしまったといえる。私たちは何にでも変化する虚構に取り囲まれて生きているのである。

時代が進むにつれて映画や音楽産業が下火だなんてそりゃ当然となる。人々はフィクションを疑似体験として与えてもらうことを、もう必要としていないからだ。

2.

あなたが何年か昔に、あるアーティストを心酔していたとしよう。疲れた心を支えてくるアイドルだった。そこに己の夢を重ねていた。ライブや個展があるならば足を運んでいた。作品が発表されたならば買い漁っていた。

だがいまやアートの主役はそのアーティストや作品ではなくあなた自身にある。音楽も映像もすべては己を着飾るもの、己を演出するためのものになった。作者が誰であるかなんてどうでもいい。Apple Musicのプレイリストに気分のいい音楽がただ紛れ込んでいるだけだ。

つまり己自身がこのフィクションの世界の主人公であり、どんな服もおいしいお菓子も魔法のようになんでも揃う。そんな時代になったわけである。

特に虚構世界の最先端を走る日本はその最もたる場所だ。巨大な小説のなかにこの国はある。

ルーマニアで暮らす妻の友人が日本に帰国するたびに、常に発展し続けているこの様子に毎回驚きの声をあげる。もちろん彼女が真っ先に走るのは、並び連なったコンビニとファストフード店だ。

3.

だが「良い時代になった」と手放しで喜ぶわけにはいかない。

なぜならこれが何を意味するのかといえば、企業広告やパフォーマンスだけの政治、予算確保のために仮説を創造するだけの科学、流行に操られるアイデンティティ、つまり家族も恋人も親友も会社の仲間も、明日は違うことを当然のように言っている世界、そんな何も信じられないような「虚構に支配された世界」に私たちは暮らしているということであるからだ。

恋愛もスポーツクラブで鍛えることも、なんだか実感のない虚しさがつきまとう。実際にやっているはずのすべてが擬似体験に感じられる。

テレビの報道ひとつでみんなが同じことをしゃべり、インターネットの情報ひとつでみんなに嫌われる。

そのせいで誰もが「不幸」という病気にかかっている。

誰もがこっそりと覗き見をするような仕草で歩いている。みんな他人の顔色が怖くてたまらない。そしてまた誰もが自分のことを呪っている。テレビもネットもどこをみても、自分よりも遥かに幸せそうで美しい人たちで溢れかえっているからだ。

そしてグーグルアドセンス(閲覧や検索履歴などから自分の興味が自動的に表示される広告)はあなたに言う。

「これがあればあなたも幸せの仲間入りですよ」

4.

この恐るべきシステムは「クリックしなければいい」というものではない。関心に近いものが度々映し出されることによって、無意識層に刷り込まれることにある。

その時点であなたの人生は社会の管理化におかれる。庶民の生活のガイドはマスメディアからインターネットに変わり、いまやグーグルは現代の精神分析の権威だといえる。彼らのさじ加減で人々の心はどんな様相にも変わる。

何かに悩んだらまず検索をするだろう? そこに出て来るものがすべてなのだ。つまりシステムがあなたを幸せにも不幸にもすることができる。

そのシステムとはなんだといえば、人間の平均化のことであり、無個性のゾンビを増産することで、そのシステムのクオリティ(検索精度)はさらに向上する。

どうしてあなたのWebブラウザにそのマッチング広告が表示されているのかといえば、あなたの履歴を記録されているからだが、どうしてその履歴を残したのかと考えれば、それも無意識的に何かを検索したからだ。

5.

そのようにいくら原因を探ってみてもどこに己自身の発端があるのかが一向にみえてこない。つまり己の意志などそもそもなかったのだ。なのにあなたは「これが自分の欲しいものだ」と思い込んでいる。

物欲だけじゃない。今日あなたが家族とした会話の内容さえも、また街で遭遇したちょっとした出来事に対するネガティブな感情でさえも、すべて引き継いでいるのである。

広告収益目的の情報サイトが溢れかえっている。ある新情報が出たら、あっという間にどのサイトも掲載完了している。だけどもその情報がデマだったら? そんなことは関係がない。なぜなら検索すれば数百ページにわたってその情報で溢れかえっているからだ。

すると本来ありもしなかったはずの現実が生まれることになる。今年の流行ファッション、流行グルメ、新しいテレビアイドル、新しい価値観。いくらでもフィクションは事実化する。だがその背景にはゾンビの増産という薄暗い現実がある。

つまり人間の無個性化によって、この華やかな虚構社会がめまぐるしく回転を続けているのだ。

6.

虚構に取り囲まれた世界。

本当の現実はどこを探せば出てくるのだろう?

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