ただ何かが動いている

夕陽の時刻
黄金色の太陽が街を照らしている

朝と夕暮れ時は光が優しくて
そしてなにより
斜めから光が当たることで
あらゆる存在がその輪郭を際立たせる

「この世」が素敵に彩られる

特に背後から照らされているとき
つまり逆光にあって
私と夕陽の”あいだ”に
妻や犬たちの姿を捉えるとき
「存在」とは本当は何であるのか
そんな神秘の一端を見るのである

それは光が真上から差す白昼や
天井照明の室内では
見過ごされやすい何かだ

もちろん”観る者”の心の状態によって
この夕刻のわずかなタイミングは
聖なる瞬間だったり
魔の入り口だったりする

私も長いあいだ「夕方」は
闇への暗示以外の何ものでもなかった

人々の表情が影に塗りつぶされていき
信じ切っていたものが剥奪される
得体の知れない真相が刻々と明らかとなり
己はそこからただ目を背けるばかり
そんな時間帯だった

だがそれは
別の意味でいまでもそうだ

いま17時を少し回ったところで
風景は黄金の光で溢れている

ベンチに腰掛けている私の視界には
親子連れやサッカーをしている少年たち
ジョギングで周回している人々がいる

夕陽のキラキラした霊気に包まれて
各々が実は影であるという本性
露わにしている
広い公園のあちこちで
光に包まれた影が蠢いている

生命エネルギーは太陽と大地のあいだ
場そのものに満ちているのだ

つまりこうして低い角度から
光に照らされてようやく
すべてが顔も内容も持たないものだった
わかるのである

 

1.

だから当時は”自分以外”の存在が
まったく理解できなかった

誰と関わっても否定的な観念が蓄積し
親しいはずの相手とも
そういう”ふり”を演じる以外に
どう接すればいいのかわからなかった

私は世界から切り離されていた

手を掛けて安心できるわずかな瞬間さえ
どこを探しても見当たらなかった

だがそれは

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