生命の木漏れ日

そこに見えているものに
「私にはこのように見えている」

そこで聴こえている音に
「私にはこのように聴こえている」

そのようにして
世界が自分なりに浮かんでいることを
慣らしていくといい

ならば真理に到達する

たとえばコーヒーの注がれたカップがある

「私にはこのように見えている」
そう思いながらじっと見つめてみる

すると視覚が眼球よりも
頭の内側へ後退する感覚が起こる

そしていつもの何倍も生々しく
活力に満ちた
コーヒーの姿を捉えることができる

白いカップのあらゆる曲面は
滑らかに光を反射し
その内側に泡を浮かべたコーヒーが
なみなみと満ちている

その姿はまるで有機体のようであり
躍動した存在感にあふれている
それはもはや
日頃から知っている何かではない

普段はコーヒーカップのほうが
自らを「見せつけて」いた
つまり世界のすべてのものが
あなたを四方八方から取り囲んでいた

だがそれは死んだ世界だった

なぜならその存在そのものではなく
それらに掲げられた名札を
見せつけられていただけだからだ

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