不幸であるから幸せがある

本当に幸せなときとは
自分がそうであることを
自覚できないものだ

白い机のうえに
同じ色の白い紙切れを置いて
どうして判別できるのか

白い机を知るには
紙切れはほんの少しでも
色がついてなければならない

心はこの傾向を持っているゆえに
わざわざ不幸になろうとする

変な話だけども
「幸せになるため」だ

だから幸福というのは幻であり
不幸な者がみる夢でしかない
行けども行けども
そこにはたどり着かない

それは蜃気楼
決して到達できない
約束の地カナンのこと

つまり幸せを求める心そのものが
常に不幸でなければならない以上
釈迦が言ったように
この世には苦しかないことになるわけだ

愛しい人と安住の地で暮らしていても
いつかは別れのときがくる
一緒にいられる幸せとは
不幸な自分が感じているものとなる

じゃあ絶望しかない?
嘆き苦しむ本当の素顔を我慢して
優しく微笑み続けなければならないのか

大切なすべてが巨大な宇宙の渦に
塵になって消え去っていく様を
ただ泣き叫んで見つめるしかないのか

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