不安な気持ちを解消する

心に何かつっかえがあるとき
不安を抱えているときなんかがそうだが
決してそのままにしておかないことだ

その不安を残したまま
他のことで気を紛らわそうとしても
大して手につかないうえに
余計にモヤモヤは大きくなるだろう

あることに無意識に恐れていると
精神エネルギーがどんどん浪費され
気力が失われていく

そればかりか不安をより強めるような物事を
無意識のうちに選択し続けていくことになる

いわゆる引き寄せの法則のカラクリは
この「逆向き」にあるわけだが
この場合では最も回避しなければならないことだ

そのためには不安を
意識上に引っ張り出して
とにかく何らかの手を付けてみることにある

もちろんいますぐに
どうにかできる問題ではないかもしれない

たとえば明日の〇〇が不安だとか
あの人にどう思われてるのだろう?とか
答えがすぐに見えないもの

だがそれならそれでノートを開いて
自分がいま何を不安に思っているのか
その不安に関わる人や物事や経過などを
書き出してみることだ

やってみればわかるが
それだけで心の中のモヤっとしたものが
消え去っていく

ここで気づいておくべきことは
モヤモヤの正体とは実は不安の物事ではなく
自分の中ではっきりさせないことによって
生まれていたのだと知ることにある

経営している会社やお店の不安ならば
売上げや販管費の変動なんかを
これまでの記録から洗い出して
エクセルなりでグラフ化して可視化するといい

SOHOや個人経営者は
そういったことをやらずに
先が不安だと言ってる人がとても多い

だからとにかく状況を知ること
己自身の歩んできた記録(足跡)とは
絶対的に信頼できる不動のものであり
どんなに成績が悪かろうがそれは宝物なのだ

その信じれる地盤こそが
あなたが必要としているものなのだよ
そうして過去のデータを可視化すれば
今後の見通しができるのだからね

この「見通し」なるものを
常に作り出す癖をつけておこう

人間の脳は様々な要素が絡み合うだけで
決して完成しない
完成しないゆえに不安なのであって
だから目に見える形にする

あとはその「見えるもの」に従って
やっていくだけだ

繰り返しておくけども
いま不安を抱えているならば
すべての要素を書き出してみること

以後その物事について考えるときは
必ずそのノートを眺めながら行うこと
決して形を持たない闇の中で
考えを走らせないこと

将来の計画や一週間の過ごし方も
人間関係や食材の補充でもなんでもそうだ

安らぎの楽園へと到達する地図は
あなたの足跡によって記されているのである

 

 


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コメント・質疑応答

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  1. buruku10 より:

    自分さん、こんばんは、

    自分が握りしめているとても強い執着が
    あるのですが、それを中々手放す事が出来ません。
    またそれを握りしめている事によって、出会ってきた
    様々な物に自己主張を突き付けてきた事にも気がつきました。
    こんな風に思われたいとか、こういう風には思われたくない。と常に拒んでいる感覚です。
    自分にとって、もういいや、という言葉が一つ
    解放を感じさせてくれる言葉なのですが、
    そのもういいやを中々実践して体現出来ないです。

    • 涅槃の書-自分 より:

      buruku10さん

      やあこんばんは。

      よくわかるよ、あなたは精一杯「人間」を生きている。ここに集まる人たちもみんなあなたと同じで、ひたすら孤独のレースを戦っている。私もそうだったし、別の意味ではいまでもそうだ。

      私たちは無人の惑星にいるようなもので、確かに家族や仕事先の人たちと顔を合わすけども、他の人々は自分とは異質の集まりに見える。つまり「自分vsその他の人々」という構図のなかにあり、その意味で己は無人の世界にいることになる。

      じゃあここで私たちはいったい何をすればいいのだろうか。

      美術館にも行けるし、中華料理を食べることもできる。働いてお金をもらうことも、欲しい靴を買うこともできる。だがそれがなんだというのか。

      私はとりあえず謎解きを始めることにした。”無人”のこの星をあちこち出歩いて街ゆく人たちを観察してみたり、図書館にこもって古い書物を読みあさったり、磁場やら心霊現象やらを確かめに現場に何度も足を運んできた。

      そうして謎を明かそうとしてきたわけだが、ところでそれはどういう謎なのだろう?

      そもそもなぜ謎を明かそうとしているのかさえも謎だったわけで、ようやく私は気づいたわけだ。

      ああ、”自由”だったんだ、これでいいんだとね。

      両足は地面をちゃんと捉えていた。

      この返信とあなたのコメントを交互に読み比べてみるといいだろう。読み比べたときにこの返信の意味がわかるようにしてある。

      いまのあなたはゲームの背景でしかない。ゲームを楽しんですらいない。

      “絵”から飛び出すことだ。

  2. SweetMoon より:

    ありがとうございます。
    いつも漠然とした不安や恐怖があります(言語化できる不安や恐怖もあります)。
    ①言語化できるものに関して、ノートには「○○について不安を感じている」のように書けばよいのでしょうか?
    ②言語化できないものに関しては、どのようにノートに書けばよいのでしょうか?
    コツなどありましたご教示いただければ幸いです。

    • 涅槃の書-自分 より:

      SweetMoonさん

      まずこの手記はある程度の尺度で留めていることもあってね、「守られていることを知る」という手記とのセットで読むことを勧めておくよ。

      あなたはまだ新しい人のようなので少し本書について解説をしておくけども、本書は無数に手記があるが、すべてが「最上位」までの解説をしているわけではない。もちろんすべてはそのメタファーにあって、その導線ではあるのだけども、様々な読み手の現実のシーン(つまり尺度)に対応するようになっている。だがこうした手記の構成自体が、各々が生きている現実世界のカラクリそのものに照応している。

      尺度というのは、たとえばあなたがある人を目の前にするとき、それを「いつものこの人だ」と捉えられるのは適切な距離があるからだ。その距離があるからこそ、その人の容姿や性格や心の状態などが現れている。

      だがもっと近づいてみれば、それは臓器の活動や細胞レベルの世界であり、容姿や感情は幻想だったことになる。逆に遠ざかってみれば、そこには社会という総体があり、その人は個人的な存在ではなく、その社会によって規定づけられた容姿の優劣、感情の良し悪しが表現されていたのだとわかる。

      もしかすると古代ではその人の容姿はいまとは違う評価であるかもしれず、その人の優しさは古代ではとても否定されるものかもしれない。同様に肉食が禁じられている宗教の原理主義者からすれば、幸せそうな笑顔でハンバーガーをかじる子どもたちは、餓鬼にしかみえないことになる。それらは社会や時代や歴史という総体としての表れなのであって、それは目の前のその人という個人性は消滅する。

      こうした「尺度」が各手記の前提にあることをまず頭にいれておこう。そしてこの現実も同様にそこらに尺度がある。

      「節度」とは度を越さず、ちょうど良い頃合いを心得るという意味だが、言いかえれば「尺度を知る」ということにある。尺度は現実ゲーム上の原則のことだが、たとえばいくら親しい家族であっても「家族という関係」が保たれるには、その尺度があるからであり、恋人に対してもそうであるし、行きつけの店で自分がお得意さんだからといって大きな顔をするのでもない。

      そうなると尺度が破壊される。それは砂漠に放り出されるようなものとなる。人は尺度という枠のなかでのみ、豊かな勢いをもって流れることができる。各手記もそうであるし、既存のあらゆる分野もそうであって、すべてがオルタナティブにまたいでしまうと、締まりのないもの、ただ広がるだけのもの、つまり無秩序となってしまうわけだ。

      しかしそれが私たちの世界の真に背後にあるものであり、言いかえれば、その無形のなかに有形を創り出すことが、生の本来あるべき姿である。同じ水量でもホースを摘めば水の勢いが生まれるようなものだ。

      先にも言ったように、こうした様々な尺度を持つ手記の編成によって、それゆえに「すべての手記にて最上位の「それ」を描き出している」ことになる。これはあなたの現実世界も同じであって、だからこの世に意味のないものはひとつもないといわれるわけだね。

      では返答に入ろう。

      >①言語化できるものに関して、ノートには「○○について不安を感じている」のように書けばよいのでしょうか?

      >②言語化できないものに関しては、どのようにノートに書けばよいのでしょうか?

      人は不安に取り憑かれているとき、その不安だけを相手にしてしまう。だがその不安とやらはなんだろう? それ自体はどうして書き出せるのだろう? だからあなたの2つの質問は同じところを巡っているといえる。

      まず「不安」という湯気を生じさせているものが何であるのかを明らかにすることだ。書き方はなんだっていいのだよ。「これと、これと、そしてこれ。これらによってこの不安感という星座ができてるようだ」と知るだけでオーケーだ。

      夜空を見上げればオリオン座があるが、だが実際それは「オリオン座」などではない。いくつかの星が並んでいるにすぎない。だがそれをオリオン座では”ないようにみる”のはとても困難といえる。つまり湯気とはこのことにあり、そして湯気という幻想を解き放つには、それらの星の並びそのものを知ることにある。

      また各々の「星」も可能な限り分解してみるといい。星さえも、星という湯気であるからだ。たとえば、ある相手について不安を抱えているならば、その相手がどういう要素で組み上がっているのかを書き出してみる。

      そうして「いまの私の現実世界」を要素単位でバラバラにしてみることだ。そうして切り離したとき、ある特定の組み立て方において、「不安」という湯気があがることがわかる。この立体的な視点は人生を創造していくうえでとても大事となる。

      だからあなたの質問の1つめへの返答だが、どのように書いても構わないが、しかし書き方がどうなのはなく(メソッドが目的となってはならない)、書き出したときに「見えてくるものがある」ということを知ることにある。言いかえれば、未知を信じることにある。

      これはなんでもそうだね。

      行ったことのない場所へも行ったつもりにはなれる。いまは情報はいくらでも入るし、これまでの経験則もある。以前こんな経験をしたからあそこもどうせ同じだろう、という具合にね。

      だけどもそうして人は小さな世界を生き始めることになる。あなたは苦悩しているが、それは世間が力を持っているゆえの苦悩ではなく、己が何も見ていない苦悩なのではないかな。「未知」はあなたの光によって開いていくものだ。ゆえに未知を信じるとは己自身を信じることであり、己を信じるからこそ、新しい現実に変容していく。

      二つ目の返答は、言語化できないもの=不安という湯気だけを見ているということだ。もちろん肉体的な不調和を感じているだろう。だけども、それはあなたの潜在意識が体にそのように指示を出しているからそうなのであって、体のその不快感は出来事によって与えられたものではないことを理解しなければならない。

      別のあなたのコメントに詳細を返信している。

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